【環を司る鈴の音】11「使命」
それが、何かしらの変化を与える能力であろうことは一目瞭然だった。【狂人化】という言葉の意味を理解しきれぬままに、魔族は彼に起こった現象を確認する。
漆黒の髪と瞳が、それぞれ濁った白色へと変貌した。外見の変化といえばその程度で、他の――例えば、獣人のような耳を生やしたり、妖人のように魔力を膨れ上がらせたりといった変化は見られない。
「なんだ、貴様?」
無言。男は腕の中の女神をそっと地面に寝かせて、覚束ない足取りで立ち上がった。無機質な瞳が、魔族をただ映している。
白い男は何も語らぬまま、震える足を一歩踏み出した。
「《闇の槍》」
その一歩を、敵対行動であると見なす。答えない者に与える時間は無い。敵対する者に残す命は無い。
闇の魔法は、ともすれば女神を貫いたものよりも速く、男に向かって飛来する。
「ハッ」
眼前に迫る死を、この男は笑って迎え撃つ。体を内側に捻って左腕へと力を込める。筋力・魔力ともに限界まで注いだそれを、力強く槍へと薙いだ。しかし、それはただの徒手である。魔法とかち合った男の腕は、当然のように潰れ、折れる。
裂かれた肉から血が押し出すように噴出し、あらゆる指は無残にも折れ曲がっている。あるいは、腕が肩から切り離されていないだけ、幸運だったのかもしれない。
「終わりだ」
どちらにせよ、その一手は無意味なものだった。決死の覚悟で魔族の一撃を防いでも、それが魔族の全霊ではない。防がれたら次の魔法を打てばいい。一撃につき一本の腕を使うのなら、あと二回撃てば仕留められる。
判断を下した魔族は、先ほどと同じ一撃を男に放つ。傷付いた状態では回避も防御も叶わない、純粋に強力な魔法の槍。
「――」
それを見つめて、白い男は何か呟いた。そうして次に、軽快な足取りで槍を避けた。
別段、不思議なことではない。いくら速くとも、魔族が放った《闇の槍》は直線のみを突き進む魔法だ。来ることさえ把握していれば、回避は容易である。
人間の能力を過小評価していたらしい。
避けられないと思っていた攻撃を避けられた魔族は、無意識に掛けていた制限を意識的に解除する。人間を脅威とは思わないが、自身の目測より逃げることだけは出来そうだ。
両手を突き出し、次の魔法を準備する。暴風のような《ダーク》を放ち、姿勢を崩したところに接近。《闇の槍》を直接刺して命を奪う。
「――え】」
白い男は再度、何かを呟いた。それが意味のある言葉なのかさえ分からないが、どうでもいいことである。
既に両手に魔力は込められている。視界にあるもの全てを吹き飛ばす勢いでこれを放てば、それで終わりだ。
「《ダーク》! ――なに!?」
事実そうであった。この一撃が、この戦いを決着させる。しかしその現象は、魔族が予想だにしていないもの。
前方より掛かる暴風の圧力に、思わず魔族の体が一歩よろめく。視界を塞ぐ紫色の霧のような魔力は、闇魔法のようなものだろう。闇の魔力をただ放つ《ダーク》が、魔族の下へ到達している。
(何故だ。まさか、奴の魔法が俺の魔法を打ち破ったとでも)
有り得ない。先ほど男は、回復魔法すら発動出来ぬ程に魔力を消耗していた。白い姿の変化が何であれ、魔族の魔法を容易く飲み込む程の力を出せるはずがない。
ここに来て、また魔族は男の力を見誤ったというのか。
「また……?」
「よう」
思考が纏まる前に、男の声が耳に届いた。視線を動かして声の方向を確認すると――白い男が、無傷の左腕を伸ばして魔族に掴みかかろうとしていた。
先の攻防で、無残にも砕かれた左腕。現在無傷であるそれを見た魔族に、ある仮設が浮かび上がる。
(超高速で、傷も魔力も回復しているというのか?)
傷が一瞬で癒えたから、怪我をしダメージが蓄積した状態では避けられぬ一撃を避けられた。
魔力が全快したから、魔族を凌ぐ程の魔法を撃つことが出来た。そうであれば、辻褄は会うのだろう。
「こ、の!」
崩れた体勢は勢いに任せ、腕だけを強引に男へ向ける。今、二人は伸ばした腕が触れ合う程近付いている。この状態では、放たれた魔法を回避することは両者不可能だ。
白い男が魔族を掴んでも、そこから首を絞めて殺したり拳を叩きつけたりする前に、魔族の魔法が突き刺さる。トドメを魔法で刺そうとしなかった、白い男の失策だ。
(女神を殺された怒りか? 俺を捉えて痛めつけたかったのかもしれんが――その怒りが、貴様の敗因だ!)
内心でほくそ笑む魔族の首に、白い男の指先が触れる。掴むことさえしなかった彼は、狙いを定めるかのように指を突き立て――。
「【狂え】」
雑巾を絞るような勢いで魔族の首が回転し、その勢いのままに捻じ切れた。破裂したかのような勢いで噴出した血液が、白い男を赤く染める。
魔族は最期に腕をぴくりと痙攣させ、そのまま仰向けに崩れ落ちた。そうして、そのまま動かなくなる。
「ハハハ――はぁ」
それが遺体になったことを確認した男は、興味を失ったかのように踵を返した。振り返った視線の先には、腰から下まで消滅している女神の姿がある。
男は屈んで、より致命傷であろう胸部に腕を向けた。直接触れることはせず、ただ念じるだけでその行動は完了する。
「【狂え】」
それは、魔族の首を捻じ曲げたものと同等の力。あらゆる事象を思いのままに改編する、反則技とも言える特殊技能。
腕から放たれた光は、女神へと向かって行き――その力を以てしても、傷の完治は叶わなかった。
「……クソが。なんだ、神様特攻でもあったっていうのかよ」
女神の姿を確認する。彼女の姿は一切変わっていないが、胸部の穴にこびり付いていた呪いのようなものは消えている。だが、それだけだった。
男の力をもってしても、今この瞬間に出来たことは、二つある傷の一つを『ただの致命傷』に戻すことだけ。腹部の傷には変わらず正体不明の呪いが宿っており、それを差し引いたとしても腹部・胸部の傷共に致命傷である。
しかし、一度の能力使用でそこまで出来たのであれば。何度も使うことで、女神を救うことも可能なのではないか。結論から言えば、それは不可能だった。
「チィ。時間切れ、か……」
白い男が力を使ったのは、5回。
魔族の《闇の槍》を躱す直前に【自身の体力・魔力を全快】させ、
魔族の《ダーク》を【進行方向を逆転】させることにより反射し、
【魔族の首を捻じ切る】ことによって殺害した。
そうして、2回分の力を用いて【鈴音の傷を治療】し……それで、彼が起こせる奇跡は底をついた。
既に彼の変化は無くなっている。白い髪と瞳は黒に戻っており、そこにはただ傷一つない青原遊夢一人が残っていた。
【狂人化】を会得した彼は、その特性を理解している。則ち、起こせる奇跡の回数制限と、使い切った後に起こる現象について。
結論から言えば、【狂人化】の奇跡を使い切った人物は、暫くの間気絶する。気絶する時間はまちまちであるが、最低でも一時間は意識が戻らない。
遊夢は気絶する前にと、鈴音へ向けて腕を伸ばした。やることは、彼が能力を発現する前と同じこと。がむしゃらな回復魔法の行使である。
「《ヒール》」
『遊夢さん』
掌から淡い光を放つ遊夢へ、声が掛けられる。弱々しい掠れたものであったが、その声の主を聞き違えるはずがない。
「鈴音、待っててくれ。今全部の魔力を」
『それよりも、二つ。伝言が』
遊夢から放たれる淡い光は、彼女の傷を塞ぐことが出来ていなかった。仮に魔族による呪いが無かったとしても、致命傷を癒すほどの性能を彼は持ち合わせていない。
自身が死ぬ未来を、彼女自身が確信している。白い男の尽力により多少は延びた命であるかもしれないが、それも誤差の範囲だ。
『一つ。邪神と呼ばれる神を、倒して下さい。先のあなたの力があれば、或いは可能なことです』
「なんだよ、急に。まるで――」
『まるで、ではありません。……詳細は省きます。都に、私以外の神が居るはずですから、それに話を聞いて下さい』
白い男が魔族と対峙している間に視た、とある光景。それは今この状況で伝えるには余りにも、納得の為の時間を要する未来の姿。彼女がこの日の朝から感じていた違和感――嫌な予感の正体だ。
だから女神は、視た光景を回避する手段のみを彼に伝えた。
『これは、義務ではありません。ですが、誰かが』
「……分かった。とりあえず都市に行けば良いんだな?」
返事をしながらも、彼は治療行為を続けている。塞がる気配のない傷口を睨みながら、薄れゆく意識を強引に繋ぎ止めようとする。奇跡の代償――というには余りにも軽い、気絶という副作用は、目前まで迫ってきていた。
意識を手放さないように眉間に皺を寄せて目を凝らしているが、長くはもたない。もうすぐ彼は意識を手放して――目覚める頃には、女神の痕跡は無くなっていることだろう。
『ええ。それで、二つ目。これは私の個人的な願いですが』
女神の方にも、時間は残されていない。もはや全身を光が覆っていて、誰の目にも終わりが傍まで来ていることは明らかだった。
その状態で、何を伝えるべきなのか。最期の言葉として、彼に何を残すべきなのか。
『私、は――――』
一瞬の内に思考を回し、考えうる限りの言葉を浮かべる。楽しかった、生きていて、ご武運を。
けれども――幸せを語れば、生存を願えば、成果を望めば。きっと、何か良からぬ呪いを残してしまうような気がして。
にこりと笑って、瞼を閉じる。それが、最期の合図。この森を支配する女神は、一人の男に見守られながら姿を消した。
「――――あ」
女神が消えた直後、遊夢は糸の切れた人形のように意識を絶たれ、数時間の眠りに陥っていた。
目覚めた彼は、まず最初に周囲を見渡す。傷ついた木々に、血に塗れた地面。横たわっている魔族の遺体を確認して、記憶にある光景が夢では無かったことを確信する。
「……っ。《マッド》、《ファイア》」
同時に、魔族が何をしたのかを思い出した遊夢は――土魔法で魔族の周囲を囲った上で、炎魔法で火を放った。遊夢の視界の向こう側で、魔族の遺体が焼けていく。
「これじゃあ火葬じゃないか。……魔族はどうでもいい。鈴音は」
立ち上がって、周囲を捜索する。自身が意識を手放す直前までは居た女神の姿は、どこにも残っていない。ただ、彼女が血を流していた場所に、その痕跡だけが残っている。
「次は、家を探すか」
血が付着している場所へ水魔法を撒いてから、家へと戻る。体を洗って着替えを済ませた彼は、家の中で彼女を探した。無論、成果はない。彼女は既に消滅している。
しかし、彼女が消える前後に意識を手放した遊夢は、その事実を信じようとはしていなかった。どこかに居ると、思いこむように信じていた。
そうして家を探し続けていた彼は、それを見つける。
「これは……」
いつか、彼女の手により加工された鈴。棚の上に飾られていたそれは、青い鈴だけが変わらず輝きを放っている。赤い鈴は、錆びついたような黒い色がこびり付き、一切の輝きを失っていた。
鈴を握りしめて、ベッドまで移動する。数歩歩くその間に、この鈴が何であるかを思い出していた。
「本人の魔力を使って、輝き続ける魔法の鈴。色が失われる条件は」
――――対象者が死亡していること。
言葉には出せなかったその機能の意味を、遊夢は正しく認識した。もう、この世界に鈴音は居ない。
ベッドに倒れこむ。一切の思考を放棄して、天井を見上げた。何も考えず、ただ視界に広がる天井を見つめ続ける。目を瞑れば、悪い感情に押し流されるであろうことは想像に難くなかった。
けれども、誰しも永遠に無になることは出来ない。日が沈み、視界を闇が占めてきた頃。遊夢は一つのことを思い出していた。
「邪神を倒す。そのために、都に行く」
都というのは、確か『王都グランド』のことだっただろうか。この一年間、「人の住む地」の代表例として、その名を聞いた気がする。
ならば、まずは森を出て――鈴音から遠ざかって、その場所に行かなければ。
起き上がろうとするものの、力が出ない。肉体的な負荷ではなく、精神的な苦痛が原因だった。
「……気力が出せない。たった一日で、消えるものじゃないんだろうけど」
自身を庇った鈴音。彼女を貫く刃。彼女がそうなってからでしか、何も出来なかった自分。
きっと、時間が経てば折り合いをつけて、立ち上がることが出来るのだろう。けれども、彼女の願いを聞いた彼は、即座に動かなければならなかった。
「今すぐ、動く必要がある」
フラッシュバックする光景が、絶え間なく彼からエネルギーを奪っていく。彼女から願われてなお。ただの人間である自分は、当然のように弱かった。
それを許せなかった遊夢は、仰向けのまま、右手で自身の頭を掴んだ。大事な物を欠いて、虚無になった自分を動かせるものがあるとしたら――そういった奇跡に頼っただけ。
動くのならば何でもいい。目的を忘れないならそれでいい。
――――例え、自分自身を損なおうとも。
「【狂人化】」




