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黒い猫  作者: 豊福 れん
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猫の道

 東京がまだ江戸と呼ばれていた頃、まだ普通の猫だったが、既に歳をとっていた。そしていつも餓えていた。

 ある日猫が民家の裏で、生ゴミの山から食べるものを漁っていると、その家の者に見つかってしまった。猫は首根っこを掴まれて、ぽいっと投げ捨てられた。

 決して強く投げられたわけではなかった。普段の黒猫なら、いくら歳をとっていても身体を反転させて軽々着地できたはずだった。けれどその時はあまりに飢え過ぎていて、何の力も出なかった。

 猫は土の上に叩きつけられ、怪我をした。己を投げた人物を睨み付けたが、もういない。動けなくなった猫は、ここで死ぬのかと覚悟した。

 だが、救いの手が現れる。年の頃は14、5ほどの娘が、黒猫をそっと拾い上げた。


「お前、どうしたの? かわいそうに」


 猫は力無くぐったりしている。娘は猫を抱いた。


「帰ったら手当てしてやろうね」


 娘は黒猫の背を撫でた。黒猫は大層気持ちが良かった。


 娘はその村の庄屋の一人娘だった。食うに困るほど貧しいこともなく、彼女の家族も黒猫を受け入れた。黒猫がすっかり回復すると、そのままその家で飼われた。

 と言っても、そこは気ままなこの猫のことだ。ふらりと居なくなっては帰って来てを繰り返していた。たまに帰ってきては餌を食べ、家人たちを和ませる。娘と、娘の家族みんなが、猫の帰宅をいつも待ちわびていた。黒猫はその頃、人語を理解し始める。


 ある時、娘が遣いに出た。黒猫も娘と共に村を歩いていると、前方から若い男がやって来た。知り合いだろうかと猫が見上げると、娘は顔を綻ばせている。男の方もニコニコと親しげで、こにらに声をかけて来た。


「こんにちは、みのりさん。その猫ですか? 前におっしゃっていたのは」

「こんにちは、沖田さま。熊吉といいます」


 黒猫が「この娘はみのりというのか」と考えていると、みのりが猫を抱き上げた。


「熊吉というのかい? 猫なのに――」


 談笑するみのりの表情が、猫にはことのほか美しく見えた。談笑するみのりはとても楽しそうにしていた。猫は沖田という男の顔も覚えた。

 猫はいつも気まぐれだったが、みのりへの恩はずっと忘れなかった。


 沖田さんは懐かしそうに、穏やかな表情で話している。


「熊吉は、恩返しのためなら何でもしたいと思っていたそうです。けれど熊吉は、ただの猫にできることなんてたかがしれていると考えていました。そこで――」


 黒猫は、外をうろついていた時に、たまたま行き倒れた人の魂を食べる機会があった。年老いて寿命が近かった猫は、半ば本能的にそれを食べた。


「熊吉はこうして化け猫になったと言っていました。

「そうだったの……」


 沖田さんは切なく瞳を揺らす。人の道ならぬ、猫の道を踏み外してしまった黒猫は、果たして幸だったのだろうか。

 けれど、同時にわたしは黒猫を少し見直した。あの飄々とした食えない黒猫が、忠犬さながらの忠義を持っていたことに驚いた。


 沖田さんの話しは続く。

 時は流れ、みのりが婿養子を向かえて数年後の事だった。ある時みのりは風邪で寝込んだ。症状が重く、一時は肺炎になりかけるほど酷かった。

 猫は床にいるみのりの側に寝そべり、彼女の独り言にじっと耳を傾けていた。


「沖田さまは、どうしていらっしゃるかしら……」


 猫はピクリと耳を立て、身体を起こした。じいとみのりの顔を眺める。


「前に、お話した事があったの……幼い頃にに移って来られた時はすごく寂しそうで……いつも心配していたわ。わたしも子供だったのにね」


 猫は沖田の顔を思い出していた。いつもニコニコしていた男を思い出すと、またみのりに視線を戻す。


「元服されてから京へ上ってしまわれたけれど、あちらで戦が始まったそうね……ご無事だといいけれど」


 今さらどうして思い出したのかしらねと笑うみのりに、猫はにゃあと鳴いた。そして立ち上がると、部屋を出て行った。


 沖田さんはそこまで話すと少し恥ずかしそうし始めた。何だか言いにくそうにもじもじしている。


「私は九つの頃から近藤先生に内弟子としてお世話になっていました。だが……知らない大人ばかりの中に子供は私一人。とても心細かった。初めのうちは、よく一人で生垣の隙間に隠れて泣いていましたが、まさか見られていたとは」


 困ったように笑う沖田さんは、心なしか顔が赤い。秘密だったはずの事が、150年も経ってから明かされるなど思いもよらなかっただろう。可愛いなどと言うとまた怒られるので、心に仕舞っておく。


「子供だったんだから、仕方ないわよ」

「はは……お恥ずかしい限りです」


 沖田さんはポリポリと頬をかいた。

 武士たるもの泣いてはいけない、ということだそうだ。物心つく前に両親が亡くなるだけでも辛いのに、幼くして残りの家族とも別れたのだ。涙くらい出るだろうに。


「前にくるわの芸妓が苦手だとお話しましたが、こういう訳です。私は売られはしませんでしたが、要は貧乏が故の口減らしでしたから。彼女達を見ていると、どうしてもかつての自分と重ねてしまう」

「ごめんなさい。わたし、本当に早合点ね」


 苦し紛れの言い訳だと思っていた。申し訳ない気持ちでいると、沖田さんは大丈夫だと笑ってくれた。そして、脱線した話を元に戻す。


「実は、みのりさんが伏せっていたのは、私が江戸で養生していた頃と時期が重なっていたようです」

「と、言うことは……」


 みのりの元を離れた黒猫は、沖田の病床に現れるようになった。たまたま沖田が起きている時に鉢合わせると、いつも彼に襲われた。斬られそうになりながらも、猫は毎日のように通った。けれど、そうしているうちに沖田が亡くなった。


 黒猫は困った。

 みのりに一目合わせられないかと沖田の元へ向かったものの、彼は亡くなってしまった。二人を会わせるためには、沖田を復活させなければならなくなる。だが、化け猫になったばかりの当時の猫の妖力では、とても足りなかった。

 黒猫は待つことにした。そして、猫妖術を完成させるために、ひたすら妖力を溜めた。

 やがて十分な用意ができた猫は、またふらりとみのりの元へ戻ってきた。猫の目論見通り、手筈を整えて。

 しかし――


「我輩が探し当てたのは、お嬢さんだった」

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