02.少年漫画 少女マンガ(前)
(さっきの男の人と女の人、大学生かな)
三嶋 巧はさっきまで店内にいた二人の男女のことを思い出していた。あの雰囲気からすると、友達以上恋人未満といった感じだった。男の人はついさっき顔を赤くしてそそくさと外へ出て行ってしまった。それからすぐに、女の人はうなだれた様子で傘と荷物を持ってゆっくりと店を後にした。
(マズいもの見たかな……)
巧は少し心が痛むような感じがした。ひょっとして案外、あの二人は付き合っていて別れ話をしたとか? でも店内に入ってきたときはとても仲が良さそうだった。10分や20分で突然愛想を付かせて別れるなんていうこともあり得ない。
巧はもう一度、店の外を覗こうと低い身長で背伸びをした。すると後ろから女性の声がした。
「こーら。人のことをジロジロと見たりしない」
さっきまでレジにいたはずの店員さん――田所 美雪さんだった。田所さんは巧の家の近所に住んでいる幼馴染のような感覚の人だ。
「み、見てないですよ」
巧は恥ずかしくなって手にしていたマンガで顔を隠した。
「見てたじゃない。気になったんでしょ、あの人たちのこと」
「……。」
巧も今年で15歳。中学3年生だ。周りの友達で付き合っている人だっている。恋愛とかもっと進んだ話とかに興味がないわけではないが、あまりそういうことを積極的に話そうとも思わない。そういう話をするにはどうも巧は抵抗があった。
「まぁどっちでもいいけど……ひとつだけ聞いていい?」
美雪は巧の並んでいる少女マンガコーナーの棚の整理をしながら言った。
「なんですか?」
巧は適当に話を聞きながら一冊のマンガを手に取った。
『恋愛書店』
巧がいま一番ハマッているマンガである。もちろんおわかりのとおり、少女マンガだ。
巧は最近、急に少女マンガにハマり始めた。ここ1ヶ月くらいの話だ。それにもかかわらず、家の部屋には既にたくさんの少女マンガが並んでいる。この間、兄貴にそれを見られたときには正直かなり焦った。兄貴は苦笑いしながら言った。
「お前って意外と女々しいとこあるんだな」
あの時は顔から火が出る思いをした。それでも、あの人のオススメ(だと聞いた)だから仕方がない。読んでみたら本当に面白かった。
「聞いてる?」
美雪の声でふと我に返った巧は「えぇ、聞いてますよ」と答えた。実際にはほとんど聞いていなかったけど。
「じゃあ、率直に聞くわね」
美雪がトントン、と3冊の本を整えながら続けた。
「君、好きな子いるでしょ?」
「んなっ……!」
巧の顔があっという間に真っ赤になった。
「あ、図星?」
美雪がニヤッと少し意地悪く笑った。巧はプイッと美雪から目を逸らして「変なこと言わないでください!」と手にした『恋愛書店』に顔を埋めた。
「やーねぇ。冗談なのに。そんなにムキにならなくたって……」
ピンポーン、と音がして店内にお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
美雪はすぐに営業モードに戻ってレジへと走ったので、巧は胸をなでおろした。これ以上妙な詮索はされたくなかったので、安心だ。
巧はそのまま『恋愛書店』の新刊を手に取った。もうこのマンガも5巻まで出ている。どういうストーリーかって?
まぁ恥ずかしくなるけどあらすじを説明しよう。
二人の男女がいる。高校生だ。二人は毎日、駅前の本屋さんに通ってはいろんな本を探している。店員さんも、偶然にしてはできすぎだななどと考えていたが、偶然はさらに重なる。いつも女子高生が探す本は男子高生が選んだ本なのだ。カウンターでいつも男子高生が買った本が在庫がないか聞いてくる。単に後を追っているだけかと思えばそうでもない。たまに男子高生が女子高生の買った本が在庫がないかどうかを聞いてくることもある。そんな話を店員さんからお互いに聞かされ、やがて二人は出会う。話をするにつれて、二人の価値観や趣味だけでなく、血液型、辿ってきた境遇まで似てくることに気づき――。
ここまでが4巻のあらすじ。ありがちといえばありがちなストーリーかもしれない。しかし、店の状況やその舞台が自分の住んでいる町の周辺にそっくりだったので、ついつい手に取った。いや、実際にはそういう話を耳にして本当にそっくりで驚いたので、買ってみたのだが。
さっきやってきたお客さんが巧とは反対側のコーナー、つまり少年漫画のコーナーへやってきた。
身長は巧と同じ160センチくらい。
意外と長髪?
どんな子かついつい気になって覗き込んでギョッとした。
自分と同じ中学校、しかも女子生徒の制服だった。
(マズい!)
巧の通っている瀬戸中央中学校は駅前から少し離れた地域にあるので、市の北側に近いこの本屋さんにはあまり同級生が来ないと踏んでいたのだ。実際、ここに通い始めて1ヶ月近く経つが、まだ一人も同級生を見たことはなかった。行く途中で出くわしたこともないのに、なぜよりのよって店内で出くわすのだろう。
(俺が少女マンガ読んでるなんてバレて女子に言いふらされでもしたら……)
巧はサッカー部に所属している。ストライカーとして結構女子生徒からも人気があるし、男子にも友達は多い。身長こそ低いけど、サッカー部では重要なポジション。そんなことはいま関係なく。クラスでも男らしくていい、と人気があると友達から言われた。
そんなイメージを持たれているのに、ここでぶち壊すわけにはいかない。巧はコッソリ店を抜け出そうとして『恋愛書店』を置いてゆっくり歩き出した。
「ん?」
急に女子生徒が声を上げた。心臓が飛び上がる思いがしたが、さらに焦る要素が生まれてしまった。
(この声……和泉じゃん!)
声の持ち主は学年でも結構カワイイと人気がある小学生時代からの友人にしてクラスメイト――和泉 智里だった。
そして、巧の憧れの女子生徒でもあった。
(最悪だ……! バレないように、ゆっくり、ゆっくり……)
ちょうど柱の陰になっていて通り道は智里からは見えないはず。
「この香りって……」
智里は覚えのあるワックスの香りがしたので、そのまま手にしていた漫画を置いて棚の後ろを覗き込んだ。
「ゲッ!」
巧が驚いた声を上げて動きを止めた。
「あ!」
智里もついつい声を上げてしまった。
「……。」
「……。」
沈黙が続く。巧は冷や汗が大量に出てきていた。
(最悪だ……! まさか智里だなんて……)
「たっくんじゃない」
智里はニッコリ笑って懐かしい呼び名で巧のことを呼んだ。「たっくん」と呼ぶのは智里くらいしかいなかった。
「よ、よぉ」
智里は巧の真上にある案内板を見た。間違いなく少女マンガコーナーとある。
「あ!」
巧の顔があっという間に真っ赤になる。
「ち、違うんだよ! 俺はえっとその、なんていうか……」
「好きなんだ?」
「え?」
「少女マンガ」
「……うん」
言ってしまった。
もう見つかっているから今さら恥ずかしがっても仕方がないと思い、言ってしまった。
「いいよね、少女マンガ」
智里はニッコリ笑って巧の横に立った。リンスの香りだろうか、智里の髪の毛からいい香りがする。
(ってこれじゃ俺、変質者じゃん!?)
巧はまた顔を赤くした。
「ねぇ。これなんてあたしのオススメだよ」
智里が手にしたのは『恋愛書店』だった。
(知ってるよ。お前がそれを全部持ってるって言ったから、俺だって買ったんだ)
「一度、読んでみない?」
智里はそうとは知らずに『恋愛書店』の1巻を巧に手渡した。
「うん」
巧は微笑みながら1巻を手にした。
「ねぇ。たっくんはオススメの漫画ない?」
智里は歩いて少年漫画のコーナーへ立った。巧も後を追う。
「最近ね、スゴくみんなと話を合わせるの大変なんだ」
「え?」
少し悲しそうに智里がうつむいた。
「みんなね、もう少女マンガなんて卒業だよね、とか言ってるの。バカらしくって読んでないって。同じようなストーリーばっかりだもんって」
「そ、そうなのか?」
「ううん。あたしはそうは思ってないよ。みんなどの漫画家さんも一所懸命書いたんだから、全然そんなことないと思ってる」
そうだ。どんな漫画も小説も、駄作とか他人から言われても作った人にしたら一所懸命やった自分の大切な作品だ。そこまでけなされる筋合いもないだろうという気もするし、けなされたならもっとやってやろう!とも思ってほしい。
「最近、みんな少年漫画読んでるんだって」
「え? 女子が?」
意外だった。少年漫画って女子に人気あるの?
「うん。少年ジャガジンの『ストライカー』とかね」
「あぁ……そうなんだ」
『ストライカー』。
サッカー漫画だ。巧がずっと前から愛読している漫画。クラスメイトとことあるごとにそれで盛り上がっていた。
「サッカー部のある人が読み始めて、それを聞いたみんなが読み始めてるみたい」
「ある人」が誰なのか、直接は智里は言わないが巧はそれが誰なのか知っている。紛れもない自分だ。
自分のせいで智里を傷つけた?
それは考えすぎか。
「だからね、あたしも最近読み始めたんだ。『ストライカー』」
「えっ? マジで?」
「うん。ちょっとでも付いていけたらいいなって」
智里は巧に向かってニッコリ笑った。正直ドキッとしたが、話の流れから言って「付いていく」のは智里の「友達」にだろう。巧にではない。
「そっか。大変だな、友達付き合いも」
「うん……まぁね」
沈黙が続く。
「じゃあ、俺はこれ買うよ」
既に持っている『恋愛書店』の1巻を片手に、巧はレジへ向かった。
「それじゃ、あたしは新刊の7巻買うね」
智里は右手に『ストライカー』の7巻を持ってレジへ向かった。
「ありがとうございました」
美雪の声を背に、二人は店を出た。
「雨、止んだね」
「そうだな。夕焼け、綺麗じゃん」
西のほうに、雨のおかげで澄んだ空気に輝く夕日が見えている。
「そろそろおなか減ってきたし、帰ろうか」
「おう。そうしよっか」
巧が自転車に跨り、智里も自転車に乗ろうとして智里が声を上げた。
「やだ……! パンクしてる」
「え? どれ、見せてみろよ」
巧は智里の自転車のタイヤの状況を調べた。結構ヒドいパンクだ。どうやらタイヤ自体が寿命だったらしい。
「ダメだこりゃ」
巧は少し黒くなった手で汗を拭いた。
「ちょっと待ってて」
巧は店内に戻り、美雪に事情を説明した。すぐに美雪も出てきた。
「あぁ〜、なるほどね。こりゃダメだわね」
美雪も諦め気味に言った。
「それじゃあさ、美雪さん今日悪いけどチィ……智里のチャリ預かっててくれん?」
「構わないけど……その子はいいの?」
美雪が心配そうに智里のほうを向いた。
「あ、自転車なら大丈夫です。でも、よろしいんですか?」
「あぁ! ウチの店のことは心配しないで。店長に私から言っておくから」
「すいません。それじゃ、明日また引き取りに来ます」
智里はお辞儀をして、そのまま巧の自転車の横を歩き出した。
「気をつけてね!」
「はーい! またね、美雪さん」
巧は軽く手を振りながら、逆光で顔がよく見えない美雪に挨拶をした。
しばらく行った交差点で、巧が急に言った。
「乗れよ」
「え?」
「後ろ。乗れよ」
「でも、わたし重いし……」
「サッカー部の脚力、なめんな?」
巧はニッと笑って自転車の後ろを指差した。
「それじゃあ……失礼します」
智里は恥ずかしそうに後ろに腰掛けた。
「それじゃ危ないだろ」
「え?」
智里の足は両方とも左へ飛び出している。
「ちゃんと跨って、俺の体に手ぇ回せ」
「でも……」
「落ちたりぶつかったりしたら危ないからな。早く」
「わかった……」
智里はそっと乗りなおして、巧のおなかあたりに手を回した。
「それじゃ、出発進行〜!」
巧はすぐに軽々と自転車をこぎ始めた。
智里の手に、少し引き締まった巧の腹筋の感覚が伝わってくる。昔、小学生の頃に一緒に自転車に乗ったときは痩せていたのに。ずいぶん変わってしまった。
10分足らずで、智里の家へ着いた。
「どう? 早かったろ?」
「うん……今日はありがと」
「こちらこそ。それじゃ、また明日でも一緒に本屋にチャリ取りに行こうぜ。またお前ん家、誘いに来るから」
「わかった」
「じゃあな!」
そう言って巧はすぐに自転車をこいで走り去ろうとした。
「待って! たっくん!」
「ん?」
「良かったら、明日にでも『恋愛書店』の感想、聞かせて!」
「おう! 今日中に読んでおくよ!」
巧はニッコリ笑って手を振った。
「じゃあな!」
「バイバイ!」
すぐに巧の姿は見えなくなってしまったが、智里はいつまでも巧の走っていった方角を見つめていた。