Ⅱ 悪女ゆえ
律子の隣には21才の男が眠っている。
サテンの質感の肌、栗色の髪を持ち、筋肉を蓄えた腕や背中。
32才の律子には眩しすぎて、晒した体が惨めに思えた。
秋の終り、冬の寒さが漂う頃でした。
雨がさわさわと降る夜の7時過ぎ、律子の左手の中指と薬指が腫れ痛みと共に家を出ました。
そうする他なかったのは仕方のない事であって、よくある事だと律子は思う。
どうしようもない事ばかりが世の中を徘徊している。
律子は苦しみの中そう思うことで強く悪く生きるようになりました。
例えば、夫が暴力を振るう事や子供が産まれて来ると言う事も。
騒いでも涙を流しても、解決なんて出来ない事柄なのだと。
ただ諦めのつく時間まで、さわさと降る雨の中へと出て行く。
柔らかな雰囲気の作業着姿の青年でした。
公園のベンチに座る律子に傘をさしてくれました。
「傘を持ってないんですか?」
今度は青年が濡れ、律子が傘に入っている。
「雨が降っている事が分からなかったものですから。どうしようもない事です。」
声にならない声で律子はそう言うのがやっとだった。
「とにかく家まで送ります。」
公園の大きな広葉樹は葉の所々が黄色になり始めているのに、まだ枝から落ちる事を
拒んでいるかのようにしがみついている。
「私は諦める時間が必要なのです。それまで家には帰れない。」
青年は困り果ててはいるが、穏やかな雰囲気は崩れていない。
ただ表情には訳の分からない厄介な女に声を掛けてしまったと言う後悔が見える。
「誤解されると困るんですが、俺の家に来ますか?」
優しい少し高い声で青年は言ってくれた。
「風邪ひきますよ。このままでは。もちろんあなたさえ良ければ。」
何も答えない律子に対し、そう付け足し青年は促した。
さわさわと降っていた雨はバラバラと傘を鳴らす。
「寒いので、お願いします。お邪魔させて下さい。」
寒さに震える声でそう言い、立っている青年を見つめた。
青年の手が律子の顔の前に差し出され、その手に律子の手をのせる。
悪女ゆえ、平穏を感じられないこの瞬間、
律子は青年の大きく指の長いその手に平穏とぬくもりを感じたのです。
一つの傘に二人で入り、公園を後にする。本当にいいですか?と
律子は何度も訊いていました。
その都度、青年は大丈夫。狭いアパートだけど。と繰り返してくれました。
痛みが軽くなる優しさを送ってくれたのだろうと思います。
律子は雨に濡れたままの顔で涙を流しました。
とても自然だと感じる。全ての流れが平穏に繋がり、自然に恋に落ちていく事が当たり前の事のように思えたのです。
左手の二本の指の痛みさえ生きているからこそ感じ取れるものだと言うように。
一本の折り畳み傘の中に初めて出会った男と女が片方の肩を濡らしながら人通りの少ない道を歩く。
どうしようもない思いを抱えたまま、私に優しさをくれた男と。