番外編2:橘健司の視点『上司の解けない恋愛方程式』
九条涼様――私の仕える上司は、頭脳明晰、眉目秀麗、まさに完璧という言葉が服を着て歩いているようなお方だ。だが、その完璧な仮面の下に、凍てついた心を隠していることを、私は誰よりも長く傍で見てきた。
過去の恋人に深く傷つけられて以来、社長は人を信じることをやめ、仕事という名の鎧の中に閉じこもってしまった。その姿を、私はずっと歯がゆく、そして心配していたのだ。
だから、社長が「契約結婚の相手を探せ」と命じてきた時、私は内心でガッツポーズをした。これは、チャンスだと。
数多くの候補者リストの中から、私が葵美月さんを選び出したのには、もちろん理由がある。彼女の経歴書に添えられていた写真の、どこか寂しげだが、芯の強さを感じさせる瞳。そして、調査の過程で知った、彼女の健気さや誠実さ。この人なら、社長のあの分厚い氷の壁を、溶かしてくれるかもしれない。そんな、ささやかな賭けであり、期待があったのだ。
私の密かな期待通り、美月さんと暮らし始めてからの社長は、面白いほどに変化していった。
最初は意地でも手をつけなかった美月さんの手料理を、ある日からこっそりと、しかし完食するようになったこと。美月さんの趣味のアクセサリーを見つけた時の、まるで宝物を発見した少年のような眼差し。そして、それを商品化すると言い出した時の、仕事では見たことのないような熱意。パーティーで、柄にもなく声を荒らげて美月さんを庇った一件など、私からすれば「もう、お認めになればいいのに」と、思わず口元が緩んでしまう出来事の連続だった。
社長が高熱で倒れたと聞いた時は、もちろん心配はしたが、「これは最大のチャンスだ」と確信した。わざと美月さん一人を残して見舞いに訪れ、ここぞとばかりに社長の過去を彼女に話した。不器用な二人の背中を押す、ほんのささやかなアシストのつもりだったが、効果は絶大だったようだ。
スキャンダルが勃発した時も、私は正直、全く動じていなかった。むしろ、これでようやく、恋という名の難解な方程式の前で立ち往生していた不器用な上司が、腹を括るだろうと予測していたからだ。
しかし、あの記者会見での愛の告白は、さすがの私の予想を遥かに超える、見事な解答だった。
「うちの社長も、やればできるじゃないか」
テレビ中継を見ながら、私は誰にも聞こえない声で呟き、誇らしい気持ちで胸がいっぱいになった。
ようやく解けた、上司の解けなかった恋愛方程式。その答えが、最高のハッピーエンドであったことに、私は誰よりも満足している。




