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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第1章:誤訳の発見

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第1話:焦げた支柱

 朝の鐘が鳴り響くより前に、エルネスト・ラングは目を覚ましていた。


 寮の狭い個室のベッドの上に仰向けのまま、天井の染みを見つめる。石造りの天井には長年の湿気で描かれた不規則な模様があり、それが古代文字の一部に見えてしまうのは、明らかに彼の職業病だった。

 いや、職業ではない。前世の、だ。


 音無言葉(おとなしことは)

 それが前の世界での名前だった。東京大学の言語学研究科で統語論(シンタクス)を専攻し、ノーム・チョムスキーの生成文法理論に没頭していた大学院生。二十六歳で交通事故に遭い、気づけばこの世界に転生していた。


 異世界(ここ)に生まれ落ちてから十八年。名家ラング家の三男坊として新たな名を与えられ、新たな言語を母語として身につけ、新たな文化の中で育った。だが頭の中に残る前世の記憶——とりわけ言語に対する異常なまでの執着と分析能力は、この世界でも変わらなかった。


 昨日のことを思い出す。


 訓練場の隅で、たった一人で放った炎弾(フレイムバレット)

 古代語の文法を二文字だけ修正した、改変版の呪文。

 あの白黄色の火球が標的の藁人形を貫いた瞬間の衝撃は、まだ手の平に残っている。支えの丸太ごと芯まで炭にした、あの圧倒的な熱量。


 同じ魔力消費量で、威力が五倍以上。


(あれは……間違いなく、再現性のある結果だ)


 エルネストは右手を天井に向けてかざした。前世で論文を書くために酷使した細い指。この世界では杖を握り、呪文を唱えるための指でもある。だが、学院の魔力判定でE——最低ランクの評価を受けたこの手から生まれた魔法が、A判定の教授の実演を凌駕した。


 魔力の量ではない。言葉の質だ。


 朝の鐘がようやく鳴った。低く重い音が石の壁を伝って部屋を揺らす。エルネストはベッドから体を起こし、学院の制服に袖を通した。


     * * *


 異変は、朝食の前に起きた。


 王立魔法学院の中央棟から屋外訓練場に通じる渡り廊下を歩いていたとき、前方に異様な人だかりができているのが見えた。学生だけではない。教官の灰色のローブや、学院警備の鎧まで混じっている。


「なんだ、あれ」


 同じ方向に歩いていた学生たちが足を速め、人だかりの方へ吸い込まれていく。エルネストは人混みを避けるように壁際を歩きながら、その中心を窺った。


 屋外訓練場の東端。昨日、彼が一人で練習していた場所だ。


 胃の底がひやりと冷えた。


 人垣の隙間から見えたのは、昨日の「結果」だった。標的用の藁人形を固定していた丸太の支柱——直径三十センチはある頑丈な木材が、根元から上端まで完全に炭と化し、触れてもいないのにボロボロと崩れ続けている。その周囲半径二メートルほどの石畳は黒く焼け焦げ、亀裂が走っていた。


「ひどいな、これは。標的じゃなくて支柱ごとやられてる」

「昨日も今朝も、この訓練場の使用予約は入っていなかったはずだが」

「誰かが無許可で高位魔法を撃ったのか? それにしても、支柱の炭化の仕方が尋常じゃない。通常の炎弾でこうはならんだろう」


 教官たちが腕を組んで焦げ跡を検分しているのが聞こえた。


 エルネストは足を止めた。人混みに混じるのではなく、渡り廊下の柱の陰に背をつけて、遠くからその光景を眺める。


(……まずいな)


 昨日、訓練が終わった後に片づけるべきだった。だが正直なところ、あの結果が出た瞬間の衝撃に頭が持っていかれて、後始末のことなど考える余裕がなかったのだ。

 言語学者としての探究心が理性を凌駕した、前世から変わらない悪癖。


「あ、エルネスト。おはよう」


 背後から声をかけられて、肩が僅かに跳ねた。振り返ると、同じクラスのカミル・ホーフェン(・・・・・・・・・)が欠伸混じりに手を挙げている。温厚で鈍感が服を着ているような男で、エルネストの数少ない会話相手だった。


「おはよう。……騒がしいな、今朝は」

「ああ、なんか訓練場が壊れたって話だろ? さっき食堂で聞いたよ。支柱が一本消し炭になってたって」


 カミルは人だかりの方を眺めながら、特に興味もなさそうにパンを齧っている。


「犯人探しが始まるのかな。上級生の誰かが酔って魔法でも撃ったんじゃないの」

「……さあ、どうだろうな」


 エルネストは曖昧に答えて視線を逸らした。

 犯人は、二十メートル先で呑気にパンを齧っている男の隣に立っている。


 一限目の講義が始まるまで、エルネストは図書館に逃げ込んだ。

 古代文献コーナーではなく、一般の閲覧席だ。耳目を集めたくはない。手元のノートを開き、昨日の実験結果を改めて整理する。


 炎弾(フレイムバレット)、現行版の呪文構造——


 「火よ集え、我が手に宿れ、敵を焼き尽くす紅蓮の炎となりて、いざ放たん」


 この第三節、「となりて」の部分。古代語の原典では「と成りたれ」だった。

 連用形の接続助詞「て」と、已然形+完了助動詞「たれ」。

 たった二文字——だが、時制とアスペクトが根本的に異なる。


 「なりて」は変化の途中を指し、「なりたれ」は変化が完了・確定した状態を指す。


 完了した状態で魔力を放出する方が、エネルギーの収束率が高い。昨日の実験はそれを物理的に証明した。同じ魔力量、同じ詠唱速度、同じ術者——変数は文法の二文字のみ。結果は威力五倍以上。


(問題は、この仮説がどこまで一般化できるかだ)


 炎弾だけではなく、他の属性——水、風、雷、土——の基礎呪文にも、同様の文法的劣化があるはずだ。千年間の口伝の中で、古代語の正確な文法が失われた原因が「発音の変質」なら、それは全属性に共通する問題だろう。


 ノートにびっしりと書き込んでいると、図書館の大時計が一限目の開始を告げた。エルネストはノートを鞄に押し込み、足早に講義棟へ向かった。


     * * *


 午前の講義は魔法戦術論だった。

 教壇に立つのはグレン・ハーシュ(・・・・・・・・)教官。実戦経験が豊富な元騎士団員で、理論より実技を重んじる厳格な中年の男だ。


「さて、今朝の訓練場の一件は諸君も耳にしているだろう」


 ハーシュ教官が腕を組んだまま、教室全体を圧するような目つきで見回した。百人近い学生が一斉に姿勢を正す。


「東端の標的支柱が一本、完全に炭化していた。魔法痕跡の鑑定班が調べたところ、火属性の高出力魔法が原因であることは間違いない。ただし——」


 教官は一拍ためた。


「鑑定班の報告によれば、残留魔力の総量が極めて少ない。支柱を芯まで炭にする威力にしては、使用された魔力が『標準的な炎弾一発分』しか検出されなかったそうだ」


 教室がざわついた。


「そんなの矛盾してませんか?」

「炎弾一発で支柱は壊せないでしょう。何かの間違いでは」

「高位の火属性魔法なら可能かもしれませんが、それなら残留魔力はもっと多いはず……」


 学生たちの困惑は当然だった。この世界の魔法の常識では、威力は魔力の量に比例する。少ない魔力で大きな破壊をもたらすことは、原理的にありえないとされている。


 常識の中では、だ。


 エルネストは教室の最後列で、ノートの上に頬杖をつきながら、教官の話を聞いていた。心臓が少しだけ速く打っているのを自覚しつつ、表情は動かさない。


「鑑定班は引き続き調査を行う。訓練場の不正使用は学院規則違反だ。心当たりのある者は、自主的に申し出るように」


 ハーシュ教官の視線が教室を一巡して、最後列のエルネストの上を素通りした。

 当然だろう。E判定のエルネスト・ラングに、支柱を炭化させる火力があるなどとは誰も思わない。


 問題は、「誰も思わない」はずのそれを、ほかの誰かに目撃されていなかったかどうかだ。


 午前の講義が終わり、昼休みに入った。

 食堂は訓練場の一件で持ちきりだった。誰がやったのか、どんな魔法を使ったのか、上級生の悪戯だの禁術だの魔道具だの、根拠のない憶測が飛び交っている。


 エルネストは食堂の隅の席で一人、薄い麦粥をすすっていた。貴族の三男坊とはいえ、ラング家は地方の下級貴族であり、学院への仕送りは最低限しかない。食事は質素なものだ。

 口に運ぶ匙の動きとは裏腹に、頭の中では古代語の文法体系が高速で回転している。


 次に検証すべきは水属性の基礎呪文だ。水弾(アクアバレット)の原典を見つけることができれば、火属性と同様の文法劣化が確認できるかもしれない。ただ、古代文献コーナーの水属性の原典は——


「——そこのきみ。ラング家の三男だな?」


 冷たい声が、エルネストの思考を断ち切った。


 顔を上げた。食堂の喧騒がほんの一瞬だけ静まり、すぐに何事もなかったかのようにざわめきが戻る。


 テーブルの向かい側に、一人の青年が立っていた。


 深紅の上質なローブを学院の制服の上に羽織り、右手には細身の白杖を携えている。金色がかった赤毛を後ろに撫でつけ、碧眼は冷たく鋭い。整った顔立ちだが、唇の端には傲岸な笑みが薄く浮かんでいる。


 レオンハルト・フラム・・・・・・・・・・・

 名門フラム侯爵家の嫡男にして、火属性魔法の天才。魔力判定はB——上級生を含めても学院上位に位置する実力者であり、その火力と精度から「灼眼(しゃくがん)のレオンハルト」の異名を持つ。一年生でありながら実戦系の講義では教官すら一目置く存在だ。


 エルネストは彼を知っていた。学院中の誰もが知っている。


 だが、レオンハルトがエルネストを知っているとは思わなかった。


「……何か用ですか、フラム侯爵子息」


 エルネストは無表情に答えた。同級生だが、貴族の格が違う。形式上の敬意は必要だった。


「堅苦しいな。レオンハルトでいい」


 そう言いながらも、レオンハルトの目は笑っていなかった。碧眼の奥に、値踏みするような光が灯っている。


「今朝の訓練場の件は聞いたな?」

「ええ。教官からも説明がありました」

「あれは昨日の放課後に起きたことだ。鑑定(かんてい)の結果、時刻は夕刻から日没の間と特定されている」


 エルネストの心臓が一拍だけ強く打った。だが表情は動かさない。


「興味深い話ですが、それが僕に何か」

「自主練習場の利用記録は、学院の管理棟に保管されている」


 レオンハルトが白杖の先で、エルネストのテーブルをコツンと叩いた。


「昨日の放課後、東端の訓練場の近辺を利用した記録が一件だけある。名前は——エルネスト・ラング。魔力判定E。訓練内容の申告は『火属性基礎呪文の自主練習』」


 食堂の周囲の学生たちの視線が集まり始めていた。レオンハルトの声は決して大きくはないが、名門の嫡男が最底辺の学生に話しかけているという光景そのものが、注目を集めるのに十分だった。


「E判定の魔力(まりょく)で炎弾の練習をして、あの支柱を燃やした? ——おかしな話だと思わないか」

「ええ、おかしな話ですね。僕もそう思います」


 エルネストは麦粥の残りを匙ですくいながら、淡々と答えた。


「E判定の魔力では支柱を炭化させるのは不可能です。鑑定班もそう判断するでしょう。利用記録の時刻が重なったのは、おそらく偶然です」


 嘘ではない。E判定の魔力で支柱を炭にするのは、通常の呪文では不可能だ。通常の、では。


 レオンハルトの碧眼が細まった。


「偶然か。……面白い答え方だな。きみは言い訳をしなかった。普通なら動揺して、やっていないと否定するか、犯人は別にいるとでも主張するものだが」

「否定も主張も、求められていませんから。あなたは事実を述べただけだ。僕も事実で応じた」


 数秒の沈黙があった。周囲の学生たちが固唾を呑んでいる気配がする。


 不意に、レオンハルトが口の端を持ち上げた。嘲りではなく——むしろ、獲物を見つけた猟犬のような、鋭い笑みだった。


「気に入った。そのふてぶてしさ、嫌いじゃない」


 レオンハルトは白杖を肩に担ぎ、身を翻した。去り際に、肩越しに振り返る。


「忠告しておく。鑑定班の調査は明日には結論が出る。残留魔力に術者の魔力署名(サイン)が含まれていれば、犯人は特定される。もしきみが当事者なら——覚悟しておくことだ」


 深紅のローブが食堂の出口に消えた。


 エルネストは匙を置いた。

 食欲は完全に失せていた。


(魔力署名……)


 この世界の魔法には、術者固有の魔力パターンが残る。指紋のようなものだ。鑑定班が焦げ跡から魔力署名を抽出すれば、学院の全学生の魔力パターンと照合される。そうなれば逃げようがない。


 だが、エルネストの頭の中では、不安とは別の思考がすでに動き出していた。


(魔力署名が「炎弾一発分」しか検出されなかったということは、文法修正による威力の増大は、魔力消費を増やさないことの追加証拠になる。効率向上であって、出力増加ではない。これは重要なデータだ……)


 どんな状況でも言語学的な分析を止められない自分に、エルネストは小さく苦笑した。

 前世でも、学会の発表中に大地震が起きたとき、避難しながら周囲のパニック状態の人々の発話パターンを無意識にメモしていたことがある。言語学者の業とは、かくも厄介なものだ。


 午後の講義は実技演習だった。

 屋外訓練場の西端——東端とは反対側——に学生たちが集まり、各自の属性に応じた基礎魔法の反復練習を行う。


 エルネストは標的に向かい、通常版の炎弾を唱えた。


「火よ集え、我が手に宿れ、敵を焼き尽くす紅蓮の炎となりて、いざ放たん。炎弾」


 手の平から飛び出した、小さくて弱々しいオレンジ色の火球。藁人形の表面を少し焦がしただけで、パチパチと消えていく。

 周囲の学生たちが横目でちらりと見て、すぐに興味を失う。E判定のラングの火球。いつもの光景だ。


 だがエルネストの頭の中では、古代語の文法構造の解析が同時進行していた。


(現行版の結びの句、「いざ放たん」。推量の助動詞「む」の終止形。「放とうとする」——曖昧な意志表明。原典ではどうなっていただろう。「放てり」か、「放ちたれ」か……。この部分も修正すれば、さらに効率は上がるはずだ)


 練習の合間に周囲を観察する。他の学生たちの詠唱が耳に入るたびに、脳内で自動的に文法解析が走る。


 火属性の上級生が放った火炎壁。「炎よ広がれ、鉄壁(てっぺき)の守りとならん」——「ならん」。また推量だ。

 水属性の学生が使った水の盾。「水よ固まれ、我が前に堅氷(けんぴょう)(たて)をなせ」——命令形だが、目的語の位置が最適ではない。古代語の語順では、目的語は動詞の前ではなく動詞の後に来るはず——


「——おい、ラング! ぼさっとするな! 次の的に移れ!」


 教官の怒声でエルネストは我に返り、慌てて次の標的の前に移動した。


 実技演習が終わる頃には、日が傾き始めていた。

 学生たちが訓練場から引き上げていく中、エルネストは更衣室で制服に着替えながら、明日の鑑定結果のことを考えていた。


 魔力署名が残っていれば、逃げられない。

 だが、昨日の文法修正版炎弾は「通常とは異なる呪文」で放った魔法だ。呪文の構造が変われば、魔力の流れ方も変わるはずだ。その場合、魔力署名にも差異が生じる可能性がある。


(もし署名が通常版と異なるパターンを示すなら、鑑定班は既知の学生データベースとの照合で一致を見つけられないかもしれない。だが——それは楽観的すぎる推測だ。署名の基本波形は個人固有のものだから、呪文が変わっても完全には変化しないだろう)


 更衣室を出ると、渡り廊下の夕陽が目に刺さった。


 寮への帰り道、エルネストは中庭を横切ろうとして足を止めた。

 中庭の東屋に、四、五人の上級生が固まっている。その中心に、見覚えのある深紅のローブ。


 レオンハルトだ。


 彼は取り巻きの上級生たちと何かを話していたが、エルネストの姿を認めると、会話を中断してこちらを見た。

 碧眼が夕陽を受けて、琥珀のように光っている。


 エルネストは視線を逸らさなかった。逸らせば、それが答えになる。

 数秒——あるいは数十秒——何も言わない視線の交差があり、やがてレオンハルトが微かに顎を引いた。何かを確認するような、あるいは何かを決めるような、小さな頷き。


 エルネストは中庭を横切り、寮棟に入った。


 部屋に戻ると、机の上にノートを広げた。

 昨日からの実験記録と、今日一日で観察した他の学生たちの詠唱の文法的誤りの一覧。


 一つ一つの呪文を分解し、古代語の文法規則と照合し、最適化の可能性を書き込んでいく。炎弾だけではない。水弾、風刃、雷撃、土壁——基礎五属性の呪文すべてに、程度の差はあれ文法的な劣化が認められた。


(千年間、誰も気づかなかった。あるいは気づいても、誰も検証しなかった。この世界の魔法学は「暗記と反復」の技能であり、「なぜそうなるのか」を問う科学ではなかった)


 前世の学問——言語学という営みの本質は、言語を「規則の体系」として捉え、その規則を解明することにある。音の並び方には法則がある。単語の並べ方には文法がある。文法には普遍的な原理がある。チョムスキーはそれを「普遍文法」と呼んだ。


 この世界の呪文もまた、言語だ。ならば、そこにも文法と規則がある。そしてその文法が壊れているなら——直せる。


 エルネストのペンは止まらなかった。


 ランプの油が切れかけた頃、ようやく顔を上げた。窓の外はとっくに暗い。星空が澄んでいる。


 ノートの最後のページに、彼は一行だけ書き加えた。


『検証すべき仮説:古代語の文法修正は、全属性の魔法に対して有効である。文法的正確さと魔法効率には、正の相関関係がある。証明のためには、炎弾以外の属性での再現実験が必要。ただし——もう一本支柱を炭にするわけにはいかない』


 最後の一文だけ、自嘲気味に口元が歪んだ。


 ペンを置き、ランプの芯に火を注ぎ足そうとして——ふと、手を止める。


 窓の向こう、夜空に瞬く星々の配列。この世界に来てから何度も見上げてきた、見慣れた星座。

 その中の一つが、ほんの僅かに——揺らいだように見えた。


 目の錯覚だろうか。


 エルネストは数秒間、窓の外を凝視した。だが星座はいつも通りの位置で静かに輝いている。


(……疲れてるな。寝よう)


 ランプを消し、ベッドに潜り込む。

 明日の鑑定結果が出れば、穏やかでない事態になるかもしれない。だが今はただ、この世界の呪文に潜む「誤訳」の全貌を解き明かしたいという、言語学者としての衝動だけが、暗闇の中で静かに燃えていた。


 眠りに落ちる直前、脳裏をよぎったのは呪文の文法構造ではなく、前世の研究室の風景だった。論文に埋もれた机。冷めたコーヒー。そして、恩師が何気なく言った一言。


「言語は道具だと思う人が多いが、違う。言語は、世界そのものだ」


 あの言葉の意味を、この世界で初めて本当に理解し始めている。


 音無言葉(おとなしことは)は、エルネスト・ラング(・・・・・・・・・・)として目を閉じた。

 魔力E判定の落ちこぼれ。

 だが、世界で唯一魔法の「言葉」を正しく読める男。


 明日の朝、彼の名前は学院中に知れ渡ることになる。

 ただし、それは本人が望んだ形ではなかった。


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