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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
序章:壊れた呪文

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第5話:千年の誤植

 王立魔法学院の一年目は、エルネストにとって「天国と地獄」だった。


 天国は、図書館。

 地獄は、実技。


 学院の大図書館は、王国最大の蔵書を誇る知の殿堂だった。地上三階、地下一階の石造りの建物に、数万冊の書物と数百点の古代文献が収蔵されている。


 エルネストが入学初日に向かったのは、寮でも教室でもなく図書館だった。


 受付で学生証を見せ、古代文献の閲覧を申請した。


「古代文献コーナーは地下一階です。閲覧には教官の許可が必要ですが——」


 受付の司書が学生証を確認し、わずかに眉を上げた。


「特待生ですか。特待生には研究目的の自由閲覧権があります。どうぞ」


 地下一階への階段を降りる。湿った空気。薄暗い魔法灯の光。石壁に並ぶ古い棚。

 そこに——エルネストが七年間探し続けていたものがあった。


 古代語の文献。


 棚の数は多くない。十数棚程度。だがその一つ一つに、羊皮紙の巻物や石板の拓本や、古代文字で書かれた写本が並んでいる。


 エルネストは最初の棚の前に立ち、震える手で一冊を取り出した。


 大型の羊皮紙に、古代文字がびっしりと記されている。インクは褪色しているが、文字そのものは鮮明だ。辺境の碑文とは比較にならない量と品質の古代文字が——今、目の前にある。


(やっと。やっと、ここまで来た)


 十三歳から五年。四十三文字の断片から始めた古代文字の解読作業が、ここで本格的に加速する。


 エルネストは図書館の閲覧机に座り、ノートを広げた。


 解読作業が始まった。


     * * *


 入学から二ヶ月。


 エルネストの生活は、完全な二極化をしていた。


 午前中は講義に出席する。必修科目の基礎魔法学、魔法理論、魔法史。座学は問題ない。ノートを取りながら、教官の話す呪文の構造を脳内で自動分析する日々。


 午後の実技演習は地獄だった。


 E判定のエルネストが放つ炎弾は、藁人形の表面をわずかに焦がす程度の威力しかない。教官は「もっと魔力を込めろ」と指導するが、込める魔力がないのだから、どうしようもなかった。


 クラスメイトたちの視線は、同情か、無関心か、たまに露骨な嘲笑だった。


「あいつ、筆記だけで受かった特待生だろ? 魔力E判定なのに学院にいる意味あるのかよ」

「図書館の虫って呼ばれてるらしいぜ。毎日地下に潜って、埃っぽい古文書を読んでるって」


 エルネストは聞こえないふりをした。彼らの言葉はすべて事実であり、反論の余地がなかった。


 だが放課後になれば、エルネストの世界が開く。


 図書館地下一階。古代文献コーナー。閉館時間の鐘が鳴るまで、エルネストはここにいた。


 辺境で作った不完全な文字対応表をベースに、学院の文献を使って古代文字の解読を進めていく。


 最初の突破口は、典礼祈祷書の完全版だった。辺境の教会で見た簡易版とは異なり、学院の図書館にあるのは千年前の原本の写本だ。古代文字と現代語の対照が、祈祷文の全体にわたって記されている。


 この対照テキストを使って、残りの文字の音価を一つずつ特定していく。


 三十文字中十二文字が既知。残り十八文字。


 一ヶ月目に五文字を解読。

 二ヶ月目に七文字。

 三ヶ月目に四文字。


 入学から三ヶ月で、古代文字三十文字中二十八文字の音価を特定できた。残り二文字は出現頻度が極端に低く、十分なサンプルが得られていない。


 だが二十八文字あれば、古代語のテキストを「音読する」ことはできる。意味は分からなくても、音に変換できる。


(音が分かれば、現代語との比較ができる。音韻対応の法則を特定すれば、古代語と現代語の語彙的関連性が見えてくる)


 エルネストは、古代語と現代語の音韻対応を分析し始めた。


 そして——その分析の中で、衝撃的な発見をした。


     * * *


 入学から四ヶ月目。


 エルネストは図書館の閲覧机の上に、三冊のノートを広げていた。


 一冊目は古代文字の対応表。二冊目は古代語と現代語の語彙比較表。三冊目は——呪文の比較分析。


 三冊目のノートが、すべてを変えた。


 学院の基礎魔法学の教科書に載っている呪文を、古代文字に「逆変換」する作業を行っていた。現代語で教えられている呪文を、古代語ではどう表記されていたかを復元する試み。


 その過程で、決定的な差異が見つかった。


 炎弾の呪文。


 現代版:「火よ集え、我が手に宿れ、敵を焼き尽くす紅蓮の炎となりて(・・・)、いざ放たん(・・・)。炎弾」


 古代語原典(復元)の一部を現代語に直訳すると——

 「……紅蓮の炎となりたれ(・・・・)放てり(・・・)。炎弾」


 「なりて」と「なりたれ」。

 「放たん」と「放てり」。


 たった二箇所の差異。だがその差異は、言語学的に見れば天と地ほどの違いだった。


 「なりて」は接続形。「……になりつつ」という不完全な接続であり、変化の途中であることを示す。魔法の言葉として解釈すれば「炎になりかけている(がまだ完成していない)」。


 「なりたれ」は完了形。「……になった(完了した)」という確定した事実を宣言する。魔法の言葉として解釈すれば「炎に(すでに)なった」。


 同様に、「放たん」は推量形で「放とうと思う(意図)」。「放てり」は完了形で「(すでに)放った(確定した事実)」。


 エルネストの手が震えた。


(これだ。これが、呪文の効率低下の原因だ)


 千年の時間の中で、呪文は古代語の原典から口伝で伝承されてきた。その過程で、完了形が接続形に、確定表現が推量表現に——文法が「弱い」方向に劣化していた。


 古代語の呪文は「世界に対する確定的な命令」だった。「炎になれ」ではなく「炎に(すでに)なった」。「放て」ではなく「(すでに)放った」。事実を宣言することで、世界をその宣言通りに変化させる。


 だが現代の呪文は「世界に対する曖昧な希望」に成り果てている。「炎になりかけている」「放とうと思っている」。確定ではなく、意図。命令ではなく、お願い。


 千年間、誰もこの劣化に気づかなかった。なぜなら、この世界には「言語学」がないからだ。呪文を「暗記して唱えるもの」として扱い、その文法構造を分析する視点を持たなかった。


(そして——この劣化が修正可能なら。古代語の文法に戻せるなら。呪文の効率は飛躍的に向上するはずだ)


 仮説が、確信に変わった瞬間だった。


 同時に、別の発見もあった。語順だ。


 古代語原典の呪文は、動詞が文頭に置かれるVSO型の語順で構成されていた。「集え(V)火よ(S)宿れ(V)我が手に(O)……」。


 だが現代版の呪文では、主語(呼びかけ)が先に来るSVO型に変わっている。「火よ(S)集え(V)我が手に(O)宿れ(V)……」。


 これも口伝の過程で、現代語の語順に引きずられて変化したのだろう。古代語の語順と現代語の語順が異なる以上、千年間の継承の中で「言いやすい」方向——つまり現代語の語順——に寄っていったのは自然なことだ。


 だが語順の変化も、効率に影響する可能性がある。命令を出す際に動詞(=行為)を先に提示するか、主語(=対象)を先に提示するかで、情報処理の優先順位が変わるはずだ。


 エルネストはノートの新しいページを開き、見出しを書いた。


 『呪文の文法修正による魔法効率の向上——仮説と検証計画』


 その下に、修正すべきポイントを箇条書きにする。


 一、完了相の修正。「なりて→なりたれ」「放たん→放てり」。接続形を完了形に復元する。

 二、語順の修正。SVO型をVSO型に復元する。動詞先頭型の語順で詠唱を再構成する。


(あとは——検証だ。理論だけでは何も変わらない。実際に修正版の呪文を唱えて、効果がどう変わるかを確認しなければならない)


 ここで一つの問題にぶつかった。


 エルネストは魔力E判定だ。通常の炎弾すらまともに撃てない。修正版の呪文を唱えたとしても、そもそもの魔力量が少なすぎて、効率向上の効果が誤差に埋もれてしまう可能性がある。


(いや——逆だ。E判定だからこそ、効率の向上が劇的に表れる可能性がある。もとの魔力が少なければ少ないほど、効率の改善による倍率の変化が目立つ。蝋燭の火を二倍にしても松明にはならないが、三倍、五倍、十倍にできれば——)


 仮説を検証する。修正版の呪文を、実際に詠唱する。


 場所は——訓練場がいい。学院の訓練場は放課後は自由に使える。他の学生がいない深夜の時間帯を狙えば、誰にも見られずに実験ができる。


 エルネストは図書館を出た。

 石造りの廊下を歩きながら、脳内で修正版の炎弾の詠唱を組み立てる。


 原型:「火よ集え、我が手に宿れ、敵を焼き尽くす紅蓮の炎となりて、いざ放たん。炎弾」


 修正版:「集え(V)火よ、宿れ(V)我が手に、焼き尽くせ(V)敵を、紅蓮の炎となりたれ(完了)放てり(完了)。炎弾」


 語順をVSO型に。

 完了相を復元。


 口の中で何度も唱え、音の響きを確認する。古代語の音韻パターンに近づけるため、母音の長さと子音の強さを微調整する。


(明日の深夜。訓練場で)


 寮に戻る途中、窓の外に夜空が見えた。

 星が静かに瞬いている。


 その星の一つが——ほんの一瞬だけ、揺らいだような気がした。


 気のせいだろうか。


 エルネストは首を傾げ、寮の自室に戻った。


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