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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第2章:共犯者

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複文構造

 複文構造詠唱。


 その概念に辿り着いたのは、武闘祭まで残り六週間のことだった。


 理論はシンプルだ。一つの詠唱の中に、複数の魔法効果を「従属節」として組み込む。主節の魔法が発動すると同時に、従属節に記述された別の魔法も並列的に発動する。


 前世の統語論で言えば、「太郎が学校に行く」という単文に対して、「太郎が学校に行きながら、本を読む」という並列複文、あるいは「太郎が学校に行く前に、花子に会った」という従属複文のような構造だ。


 魔法の詠唱に置き換えれば——


 単文詠唱(通常):「水弾を放つ」

 複文詠唱(新型):「水弾を放ちつつ、氷壁を展開する」


 これを一つの詠唱で実現できれば、攻撃と防御を同時に発動できる。


 だが問題があった。


「古代語の文法で、複文構造がどう表記されるのかが分からない」


 エルネストは旧教室で、腕を組んで黒板を睨んでいた。ティアが隣で心配そうに見ている。


「今まで復元できた古代語の呪文は、すべて単文構造だ。一つの詠唱で一つの魔法効果。複文構造の呪文が古代語に存在していたかどうかすら、確認できていない」


「でも、古代超帝国は現代よりはるかに高度な魔法を使っていたんですよね? なら、複文構造の呪文もあったんじゃないですか?」


「論理的にはそうだ。高度な魔法を実現するには、複雑な文法構造が必要なはずだ。だが——証拠がない」


 エルネストは図書館の古代文献を隅々まで探したが、複文構造の呪文のサンプルは見つからなかった。基礎呪文の原典しか残っていないのだ。


(前世の知識から推論するしかない。古代語のVSO型語順と完了相の体系から、複文構造の接続方法を演繹的に設計する)


 三日間、エルネストは旧教室に閉じこもった。


 黒板一面が文法規則と樹形図で埋め尽くされた。前世の統語論の知見——XバーCO理論、主辞パラメータ、C領域の構造——を、古代語の文法体系に接ぎ木するような高度な作業だった。


 三日目の深夜。


 エルネストの目の前に、一つの詠唱構造が完成した。


 主節と従属節を、古代語の接続助動詞で繋ぐ。従属節は現代語にはない「同時相」——二つの事象が同時に成立することを示す時制——で結ぶ。


 理論上は——機能するはずだ。


 だが、理論だけでは何も変わらない。


「ティア。明日、実験する。複文構造詠唱の初テストだ」


「どんな詠唱ですか?」


 エルネストは黒板に完成版を書いた。


 『放てり(主節)・水弾。在りつつたれ(同時相接続)氷壁(従属節)


 簡略化すると——「水弾を放った(完了相)、と同時に(同時相)、氷壁が存在した(完了相)」。


 一つの詠唱で、水弾の攻撃と氷壁の防御を同時に発動させる。


「これって——発音できるんですか? 長くないですか?」


「フルの詠唱はこうだ」


 エルネストが全文を書いた。


 「集え水よ、宿れ我が手に。貫け敵を、堅氷の槍となりたれ、放てり。在りつつたれ(・・・・・・)——統べよ水よ、成りたれ我が盾と、凍てつく壁、在りてり。水弾、氷壁」


 二つの呪文を、「在りつつたれ」という同時相の接続助動詞で繋いでいる。


「長い。通常の水弾が二秒、この複文詠唱は四秒かかる。だが——二つの呪文を別々に唱えれば合計四秒かかるから、時間的なロスはゼロだ。しかも同時発動なので、攻撃と防御の間に隙間が生まれない」


「四秒か……。暗記して、一息で唱えられるようにしないと」


「その通りだ。呼吸を二回に分ける。主節を唱えたら、『在りつつたれ』の接続部分で一瞬だけ息を継ぎ、従属節に入る。この呼吸のタイミングが鍵だ」


 翌日。旧練習場。


 ティアが構えた。深呼吸。


「集え水よ、宿れ我が手に。貫け敵を、堅氷の槍となりたれ、放てり。在りつつたれ——」


 呼吸の継ぎ目。


「——統べよ水よ、成りたれ我が盾と、在りてり、凍てつく壁。水弾、氷壁!」


 二つのことが、同時に起きた。


 右手から蒼い水の槍が放たれ——同時に、左手の前方に六角結晶の氷壁が展開された。


 攻撃と防御が、一つの詠唱から生まれた。


 水の槍は奥の石壁に突き刺さり、氷の花を咲かせた。氷壁はティアの左前方に屹立し、あらゆる攻撃を受け止める態勢を取っている。


 エルネストは小さく拳を握った。


「成功だ。複文構造詠唱——実戦に使える」


 ティアは自分の両手を見つめた。右手には水弾の残滓、左手には氷壁の冷気。二つの魔法が一つの詠唱から同時に生まれたという事実に、まだ信じられない表情をしている。


「これなら——攻撃しながら防御できる。レオンハルトの螺旋炎獄が来ても、反撃しつつ身を守れる」


「理論的には、そうだ。だが実戦で使いこなすには、さらに訓練が要る。複文構造は認知負荷が高い。二つの魔法を同時に制御するのは、通常の二倍の集中力が必要だ」


「やります。あと六週間あるんですよね。毎日練習すれば——」


「間に合う。……間に合わせる」


 その夜、エルネストはノートに書いた。


 『複文構造詠唱コンプレックス・チャント:初回テスト成功。水弾+氷壁の同時発動を確認。同時相接続助動詞「在りつつたれ」は古代語文法の演繹的推定より設計したものだが、実際に機能した。このことは、古代語の呪文体系が前世の統語論と同じ原理で構成されていることを示唆する。——すなわち、この世界の魔法は「言語」であり、言語学の法則に従う』


 言語学者が、言語学の法則を使って、誰も知らない新しい魔法を創造した。


 これはもう「修正」ではない。「創造」だ。


 エルネストは自分が踏み込んだ領域の重さを感じながら、ランプを消した。


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