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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第2章:共犯者

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訓練の日々

 武闘祭まで残り二ヶ月。


 訓練は日に日に厳しくなっていった。


 レオンハルトが仮想敵として参加する模擬戦は、週に三回に増えた。残りの四日は、エルネストとティアの二人だけの訓練——呪文の精度向上と、戦術詠唱の反復練習。


 ティアの成長は、エルネストの予想を超えていた。


 水弾の修正版は、もはや安定している。発音のずれは完全に消え、完了相の「なりたれ」も「放てり」も、寸分の狂いなく発声できるようになった。


 氷壁の六角結晶構造も、毎回同じ品質で展開できる。水流縛もコントロールが安定し、狙った位置を正確に拘束する。


 だが実戦は、安定した条件下で呪文を唱えるものではない。


 相手の攻撃が飛んでくる中で、回避しながら、エルネストの指示を聞きながら、正確な詠唱をしなければならない。一つのミスが致命傷になる。


「V! 水弾!」


 エルネストの号令が旧練習場に響く。ティアは瞬時に語順をVSO型に切り替え、水弾を放つ。


「逆算! 氷壁!」


 指示から〇・五秒以内に、音韻逆算版の氷壁が展開される。レオンハルトの炎弾を六角結晶の壁が受け止め、氷の破片が散る。


「完了! 水流縛!」


 氷壁の陰から、完了相修正版の水流縛がレオンハルトの足元に伸びる。水の鎖が足首に絡みつき、一瞬だけ動きを止める。


 だがレオンハルトは足元の水を火魔法で蒸発させ、即座に自由になった。


「遅い! 水流縛の発動タイミングが〇・三秒遅れている。氷壁の展開直後に撃て。防御と拘束の間に隙間を作るな」


 エルネストが即座にフィードバックを出す。ティアは頷き、次のラウンドに備える。


 このリズム。指示→実行→修正のサイクルを、数十回、数百回と繰り返す。身体が覚えるまで。


「もう一回。V、完了、水弾。今度は氷壁を挟まず直接攻撃に入れ」


 ティアが構えた。汗が額から顎に流れ落ちる。二時間の訓練で全身が消耗しているが、目は生きている。


「集え水よ、宿れ我が手に、貫け敵を、堅氷の槍となりたれ。放てり! 水弾!」


 蒼い水の槍が、レオンハルトに向かって飛んだ。


 レオンハルトは白杖を翻し、炎壁で受ける。だが——水の槍が炎壁に到達した瞬間、炎壁の表面に氷が走った。完了相の効果で「すでに堅氷に変化した」水が、レオンハルトの炎壁そのものを凍らせようとしている。


「ほう——」


 レオンハルトが驚いたように片眉を上げた。炎壁の出力を引き上げて凍結を押し返すが、一瞬だけ防御が薄くなった隙間ができた。


「今だ! 水流縛!」


 エルネストの指示に、ティアが反応した。二発目の水流縛が、レオンハルトの防御の薄くなった隙間を突いて飛ぶ。


 水の鎖がレオンハルトの右手首に絡みついた。白杖を持つ手が一瞬だけ拘束され、次の詠唱が遅れる。


「そこ! 水弾!」


 三発目。語順最適化された高速の水弾が、拘束されたレオンハルトに向かって放たれた。


 レオンハルトは筋力で水の鎖を引きちぎり、ぎりぎりで水弾を回避した。蒼い槍がすぐ横をかすめ、後方の石壁に突き刺さって氷の花を散らす。


「——やるな」


 レオンハルトが息を切らしながら笑った。


「三連携。防御→拘束→攻撃の隙間が完全に連鎖している。俺が本気で防御しないと、当たるところまで来ている」


 エルネストはノートに「三連携、成功」と書き込んだ。


「レオンハルト。本気の攻撃も見せてくれ。螺旋炎獄のレベルの」


「今のティアに、俺の全力を当てるのは危険だぞ」


「だから対策を考える必要がある。武闘祭で君と当たった場合——あるいは、君以上の相手と当たった場合に、どう凌ぐか」


 レオンハルトは碧眼を細めた。


「分かった。次回の訓練で、本気で行く。準備しておけ」


 その夜。旧教室で、エルネストは対レオンハルト用の戦術を練った。


 螺旋炎獄。火と風の複合魔法。渦巻き構造。


 決闘の時は「渦の目」を突いた。だがあれは奇襲であり、二度は通じない。レオンハルトは学習する男だ。同じ手は使えない。


(螺旋炎獄の弱点を、古代語の文法から分析できないか。渦巻き構造の呪文には、どんな文法的特徴がある? 複合魔法——つまり二つの属性を組み合わせた呪文は、複文構造に近い。主節と従属節の関係。……それを逆手に取れないか)


 複文構造。主節と従属節。


 前世の統語論の知識が、新しい戦術に結びつこうとしていた。


(一つの呪文に、複数の魔法効果を従属節として組み込む。攻撃と防御を同時に発動させる……複文構造の呪文。それができれば——)


 エルネストはノートの新しいページを開き、見出しを書いた。


 『複文構造詠唱コンプレックス・チャント——一つの詠唱で複数の魔法を同時発動する技法の設計』


 ペンが止まらなかった。


     * * *


 同じ夜。学院の地下。


 ゲルハルト学院長は再び封印区画を訪れていた。


 螺旋階段を降り、最深部の石室に辿り着く。魔法灯の光が壁面の古代文字を照らす。


 封印碑。


 先日見た時よりも——滲みが広がっていた。


 碑文の下半分が、もやがかかったように判読不能になりつつある。千年間保たれてきた文字が、急速に崩壊している。


「……加速している」


 ゲルハルトの声が石室に反響した。


 封印碑の表面に手を当てる。前回よりも振動が強い。


 千年の封印の内側で、何かが——動いている。


「あの青年の文法修正と、連動しているのか。あるいは——文法修正とは無関係に、封印の寿命が尽きかけているのか。因果関係は、まだ分からない」


 ゲルハルトは碑文の滲んだ部分を指でなぞった。


 読める文字が減っている。このままいけば——数ヶ月で、碑文の大半が判読不能になる。


 封印碑は「文字」で封印を維持している。文字が消えれば、封印が解ける。


「時間がない……」


 老魔導士は深い溜息をついた。


 エルネスト・ラングに研究を続けさせるか、止めさせるか。あの決断を下した時、ゲルハルトは「止めさせる」を選んだ。だが——エルネストは止まらないだろう。あの目は、止まる目ではなかった。


(ならば、別の手を打たねばならない)


 ゲルハルトは石室を出て、螺旋階段を登り始めた。


 途中で足を止め、懐から一通の手紙を取り出した。王宮の奥底からの書状。差出人は——鎮語官(ちんごかん)の筆頭だった。


 鎮語官。王国に古くから存在する秘密組織。「危険な言葉」を封じる任務を帯びた者たち。


 表の世界には存在しない。歴代の学院長と国王だけが、その存在を知っている。


「地下からの特異な魔力波長を察知し、視察に出る、か……」

 ゲルハルトは苦く呟いた。

「なんとしても、彼らが自ら動く事態だけは避けたかったのだがな」


 ゲルハルトは手紙を懐に戻し、重い足取りで階段を登っていった。


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