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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第2章:共犯者

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学院長の選択

 ある日。


 エルネストのもとに、正式な通知書が届いた。


 差出人は管理部のクラウス・レイバン。内容は——


 『エルネスト・ラング殿。貴殿の件につき調査は継続中であるが、事の特異性に鑑み、学院長による直接の面談を実施する。日時については追って通達する』


 学院長。ゲルハルト・アイゼン。


 エルネストは通知書を折り畳み、ノートに挟んだ。


(来たか。……ついに学院長が動く)


 あの決闘の後、学院長は闘技場にいたことをレオンハルトから聞いていた。だが今まで直接の接触はなかった。学院長は観察していたのだ。エルネストが何をしている人間なのか、どこまでの知識を持っているのかを。


 管理部の規制が保留されている間も、エルネストとティアの訓練は続いていた。旧練習場での実技、旧教室での座学。すべて人目を避けて行っていたが——学院長の耳に入っていないはずがない。


(退学処分まで持ち出してきた。本気だ)


 エルネストはティアに通知書の内容を伝えた。


「学院長との面談。……怖いですね」


「怖いが、避けては通れない。学院長がどういうスタンスで来るかによって、僕たちの今後が決まる」


「レオンハルトは?」


「侯爵家の政治力にも限界がある。学院長は王国最高魔導士の一人だ。フラム侯爵家でも、正面からは対抗できない」


 面談の日時が指定されたのは翌日だった。三日後の午後。学院長室。


     * * *


 学院長室の扉は、樫の木の一枚板で作られた重厚なものだった。


 エルネストがノックすると、低い声が返ってきた。


「入りなさい」


 扉を開けた。


 広い部屋だった。壁一面の書棚に古今の魔法書が並び、大きな窓から午後の陽光が差し込んでいる。部屋の中央に一枚の大きな楢の机があり、その向こうに——老魔導士が座っていた。


 ゲルハルト・アイゼン。


 灰色のローブに白い長髭。穏やかな表情。だが、部屋に入った瞬間、エルネストは全身の毛が逆立つのを感じた。


 魔力の圧。


 呼吸をしているだけで、空気が重い。ゲルハルトは何もしていない。ただ座っているだけだ。だがその存在そのものが、部屋の空気を歪めている。S判定を超える、超級(ちょうきゅう)の魔力。王国最高の名は伊達ではなかった。


「座りなさい、エルネスト・ラング君」


 穏やかな声だった。怒気も威圧もない。だがその穏やかさの奥に、何が潜んでいるかは分からなかった。


 エルネストは指定された椅子に座った。ゲルハルトとの間に、二メートルほどの距離がある。


「管理部からの警告は受けているね」


「はい。三ヶ月の調査期間中は保留ですが、それが過ぎれば文法修正技術の使用、研究、伝授の一切を禁止する、と」


「その通りだ。フラム侯爵家の介入で猶予が生まれたとはいえ、後々レイバンが見逃してくれるわけではない。——さて」


 ゲルハルトが机の上で手を組んだ。


「私が知りたいのは、管理部の報告書には書かれていないことだ。エルネスト君。……君は、古代語をどこまで解読した?」


 直球だった。


 エルネストは一瞬迷い、正直に答えることにした。嘘は学院長には通じないだろう。


「古代文字三十文字中、二十八文字の音価を特定しました。基礎呪文五種の原典を復元し、現代版との文法的差異を分析しました。完了相の劣化、語順の変化、音韻推移の法則——この三つが、千年間の呪文の効率低下の主因です」


 ゲルハルトの表情は変わらなかった。


「音韻推移の法則。……それは、原典なしでも呪文を修正できるということかね」


「理論上は、はい」


「なるほど」


 ゲルハルトが静かに頷いた。その穏やかさが——逆に怖かった。


「エルネスト君。私は君の研究を、学術的には評価している。E判定の魔力で古代語をここまで解読した知性は、率直に言って驚嘆に値する」


「……ありがとうございます」


「だが」


 ゲルハルトの目が変わった。穏やかさの奥の「何か」が、僅かに表面に浮き上がった。


「君の研究には、致命的な問題がある。君自身が気づいているかどうかは分からないが——古代語の『正しい使用』は、この世界に対する脅威になり得る」


「脅威、ですか」


「先日の決闘で、千人が目撃した。E判定の炎弾がB判定の炎壁を貫通した。あの光景は、もう隠しようがない。だが私が懸念しているのは、軍事バランスの話ではない」


 ゲルハルトは立ち上がり、窓辺に向かった。背を向けたまま、続けた。


「古代語が千年かけて劣化してきたことを、君は『誤り』だと考えているだろう。呪文が間違っている、文法が崩れている——だから、正しくすべきだと」


「はい。それが僕の研究の根幹です」


「……だが、もしその劣化が——偶然の風化ではなく、世界を守るための安全装置だったとしたら?」


 エルネストの瞳が揺れた。


「安全装置……?」


「正しい古代語には、君がまだ知らない力がある。そしてその力は、使い方を誤れば——いや、正しく使ったとしても——取り返しのつかない結果を招き得る」


「具体的には、何が——」


「それは、今の君に明かすべきことではない」


 ゲルハルトが振り返った。老いた碧眼が、エルネストを真っ直ぐに見つめている。その目には、怒りではなく——五十年の重荷を背負った者の疲労が滲んでいた。


「私はこの問題に五十年間向き合ってきた。正しい答えはまだ見つかっていない。——だからこそ、正しい古代語が世に広まることを、手放しで容認するわけにはいかないのだ」


 エルネストは沈黙した。


 学院長が隠しているものの正体は分からない。だが、この老魔導士が本気で恐れている——それだけは確かだった。


「今日のところは以上だ。調査期間中であっても、軽率な行動は慎むことだ。——だが」


 ゲルハルトが最後に言った。


「武闘祭には出るのだろう」


 エルネストは息を呑んだ。ただ出場することではない。武闘祭という公の舞台を利用して『既成事実』を作ろうとしていることまで、見透かされている。


「……はい。出るつもりです」


「止めはしない。だが覚えておきなさい。正しい言葉を世界に響かせることには、君がまだ知らない代償がある。それでも響かせるのかどうかは——君自身が決めることだ」


 エルネストは学院長室を出た。


 石造りの廊下を歩きながら、頭の中で情報を反芻していた。


 古代語の劣化は「安全装置」だった可能性がある。正しい古代語の使用は「脅威」になる。だが、具体的に何が脅威なのか——学院長は明かさなかった。


(学院長は何を恐れている? 古代語が正しく使われることの、軍事バランス以外のリスクとは何だ? 五十年間向き合ってきた問題とは——)


 答えは出なかった。だが——研究を止める理由にはならない。


 正体不明のリスクを恐れて立ち止まることは、研究者の態度ではない。リスクがあるなら、まずその正体を突き止めるべきだ。


(学院長が隠しているもの。いつか——必ず突き止める)


 エルネストは寮に戻り、ノートを開いた。


 新しいページに、一行だけ書いた。


 『課題:古代語の「正しい使用」が招く脅威の正体の解明。学院長が五十年間恐れ続けてきたものとは何か?』


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