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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第2章:共犯者

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侯爵家の計算

 レオンハルト・フラムは、約束を守る男だった。


 決闘の翌週。エルネストが管理部の規制と学院内の敵意に直面している最中、レオンハルトはフラム侯爵家の名を使って、静かに動いていた。


「父上。学院で起きている件について、一つお願いがあります」


 週末の侯爵邸。レオンハルトは父ヴィルヘルム・フラムの書斎を訪れていた。


 ヴィルヘルム侯爵はA判定の火属性魔導士であり、かつて宮廷魔導騎士団の副団長を務めた人物だ。引退後も王宮と軍部に太い人脈を持ち、その発言力は現役の騎士団幹部に匹敵する。


「学院の件とは、お前が決闘で負けた話か」


 侯爵の声は平坦だった。怒りを見せないのがこの男の流儀だ。


「はい。ですが、お願いの内容は僕の面子の話ではありません。エルネスト・ラングという学生が開発した技術——呪文の文法修正について、管理部が使用禁止を出しました。この規制を、しばらくの間、保留にしてほしいのです」


「保留? 管理部の規制に口を出せと?」


「フラム家の名前があれば、管理部の規制を即座に撤回させることはできずとも、『調査期間の延長』として実質的に保留させることは可能ではありませんか」


 侯爵が息子をじっと見た。碧眼が父と子で同じ光を放っている。


「なぜだ。お前を負かした相手の技術を守る理由は何だ」


「文法修正は本物です。E判定の魔力で、僕の炎壁を破った。あの技術が正しいなら——フラム家にとっても得になる」


「得?」


「フラム家は火属性の名門です。文法修正技術を最初に取り入れた貴族が、飛躍的に強くなる。逆に取り入れなければ、いずれ他の家に追い抜かれる。技術を潰すより、取り込む方が利口です」


 侯爵は沈黙した。


 レオンハルトの言葉は感情ではなく利害で構成されていた。貴族として育てられた少年は、父の判断基準を正確に理解している。


 長い沈黙の後。


「……管理部のクラウス・レイバンに、個人的に連絡を取る。調査期間の延長を提案する形にしよう。規制の撤回ではなく、保留だ。ただしいつまでもとはいかん。武闘祭が終わるまで……三ヶ月が限界だろう」


「三ヶ月あれば十分です」


「ただし条件がある。その技術の詳細を、フラム家にも共有しろ。独占させるな」


 レオンハルトは頷いた。


「エルネスト・ラングに伝えます」


 侯爵邸を出たレオンハルトは、夜の王都の街路を歩きながら考えていた。


(文法修正の技術。ラングがあれを公開すれば、魔力の低い者でも強力な魔法を使えるようになる。……それは「公平」だが、同時に「危険」でもある)


 魔力の強さが貴族と平民の格差の源泉になっている現実がある。E判定の平民がA判定の貴族と同等の魔法を使えるようになれば——社会構造そのものが揺らぐ。


 フラム侯爵家が技術を「取り込む」と言った父の判断は、裏を返せば「技術を独占して、格差を維持する」ためでもある。


 レオンハルトはそこまで考え、立ち止まった。


(俺は——どちらの側に立つんだ?)


 まだ答えは出ない。だが一つだけ確かなのは、ラングの研究を潰すことは間違いだという直感だった。


 退屈を壊してくれた男の発見を、政治のために握り潰すのは——レオンハルトの美学に反する。


     * * *


 翌日の昼休み。


 学院の中庭で、レオンハルトはエルネストを見つけた。ベンチに座って分厚いノートに何かを書いている。いつもの光景だ。


「ラング」


「レオンハルトか。どうした」


「管理部の規制に手を打った。三ヶ月の猶予を作る。その間は事実上保留になる」


 エルネストのペンが止まった。


「……どうやって」


「フラム家の名前を使った。詳細は聞くな。政治には政治のやり方がある」


 エルネストは少し考え、頷いた。


「ありがたい。だが——対価は何だ」


「察しがいいな。父が条件を出してきた。文法修正の技術の詳細を、フラム家に共有しろと」


 エルネストの表情が微かに変わった。


「フラム家に、ということは、フラム家が技術を独占する可能性がある」


「否定はしない」


「……僕の研究は、特定の貴族のためのものじゃない。原理が正しいなら、すべての人に開かれるべきだ」


「理想としては正しい。だが現実として、学院と王宮の上層部がお前の研究を潰そうとしている。潰される前にフラム家という庇護者を得ることが、戦略的に最善だとは思わないか」


 エルネストは沈黙した。


 前世の自分なら断っていた。研究の独立性を守るために、あらゆる権力からの介入を拒絶する——それが音無言葉の信条だった。そしてその結果、孤立して負けた。


 だがエルネスト・ラングは、もう少し賢い選択ができるかもしれない。


「妥協案がある。フラム家に技術を共有するが、独占は認めない。フラム家はあくまで『最初の協力者の一人』であり、将来的に技術が公開される際に先行利益を得る——という形ではどうだ」


 レオンハルトの碧眼が少し見開かれた。


「……それを父に通せるかどうかは分からんが。説得はしてみる」


「頼む。それと——レオンハルト個人には、文法修正を教える。君が実際に使ってみて、効果を確認してくれ。フラム家への報告はその後だ」


 レオンハルトの口元に笑みが浮かんだ。


「最初からそのつもりだったんだろう」


「研究者は、データが先だ。政治は後」


「やれやれ。研究馬鹿め」


 レオンハルトは立ち去りかけたが、足を止めた。


「もう一つ。武闘祭のことは聞いたか」


「武闘祭?」


「王立魔法学院の年次対抗行事だ。個人戦と団体戦がある。三ヶ月後に開催される。成績上位者は騎士団への推薦を受ける」


「僕には関係ない。E判定が出場しても——」


「関係あるぞ。団体戦は二人一組で出場できる。お前とあの水属性の女が組めば——文法修正の効果を、学院全体の前で堂々と見せられる」


 エルネストの瞳が微かに揺れた。


 公の場で、千人の観客の前で、文法修正の技術を見せる。決闘裁定の時は偶発的な披露だったが、武闘祭なら計画的にデモンストレーションができる。


 管理部が規制の保留中にそれをやれば——もう「未認可の技術」として隠し通すことはできなくなる。既成事実を作るのだ。


「……三ヶ月か」


「三ヶ月ある。ティア・ノーヴァシルドの呪文を全面的に修正し、戦闘レベルまで仕上げる時間としては——」


「ぎりぎりだ。だが、やれないことはない」


 レオンハルトは満足げに頷いた。


「楽しみにしている。本戦で当たったら、今度こそ勝つぞ」


「今度こそ、ね」


 レオンハルトが去った後、エルネストはノートを閉じて空を見上げた。


 武闘祭。三ヶ月後。


(ティアに相談しなければ)


 今夜の旧教室で、武闘祭への参加を提案する。ティアがどう答えるか——おそらく、迷いなく「やります」と言うだろう。あの目は、もう二年前の怯えた目ではない。


 エルネストはベンチから立ち上がり、午後の講義に向かった。


 中庭の噴水が陽光を受けて輝いている。水面に映る空は穏やかだが——嵐の予感を、エルネストは感じ取っていた。


 管理部の猶予は三ヶ月。武闘祭も三ヶ月後。この時間差をどう使うかが、勝負の鍵になる。


 研究者として。戦略家として。そして——この世界の、言語の守り手として。


 エルネストの頭脳は、すでに三ヶ月先の計画を組み立て始めていた。


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