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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第2章:共犯者

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ラングの法則

 完了相修正の成功から二日後。


 エルネストは図書館の地下一階で、新たな発見に没頭していた。


 古代語の音韻体系を現代語と比較する作業の中で、ある規則的なパターンが浮かび上がってきたのだ。


 前世の言語学者であれば、即座に「グリムの法則」を連想するパターンだった。


 グリムの法則。十九世紀のドイツ人言語学者ヤーコプ・グリムが発見した、ゲルマン語における子音推移の法則。ラテン語の「p」がゲルマン語で「f」に、「t」が「θ」に、「k」が「h」に——体系的に、規則的に変化する現象。


 この世界でも、同じことが起きていた。


 古代語の子音が現代語に変化する際、特定のパターンが存在する。


 エルネストはノートに表を作った。


 古代語の無声破裂音「p」「t」「k」は、現代語では無声摩擦音「f」「s」「h」に変化している。

 古代語の有声破裂音「b」「d」「g」は、現代語では無声破裂音「p」「t」「k」に変化している。

 古代語の有気音「bh」「dh」「gh」は、現代語では有声破裂音「b」「d」「g」に変化している。


 円環的な推移。破裂音→摩擦音→破裂音→……と、一段ずつずれていく。


(前世のグリムの法則と、まったく同じ構造だ。別の世界の別の言語で、同じパターンの音韻変化が起きている。……いや、驚くべきことではないのかもしれない。人間の発声器官の構造が同じなら、音韻変化の方向性も似通るのは必然だ)


 だが、この発見の重要性は学術的な面白さだけではなかった。


 呪文に直結する。


 呪文の中の子音が、千年の間にこのパターンで変化しているなら——現代版呪文の子音をこの規則に沿って「逆算」すれば、古代語の本来の発音を復元できる。


 今まで、古代語の正しい発音を復元するには、原典のテキストを一つ一つ探し出す必要があった。だがグリムの法則に相当する規則が分かれば、原典なしでも——現代語の呪文から逆算するだけで、古代語の発音を推定できる。


(これは革命だ。原典がなくても呪文を修正できるなら、全ての呪文が修正可能になる)


 エルネストのペンが加速した。


     * * *


 その日の放課後。旧教室。


「ティア。大きな発見があった」


 エルネストの目が異様に輝いていることに、ティアはすぐに気づいた。この目は——理論が頭の中で爆発的に展開している時の目だ。


「聞かせてください」


「子音推移の法則を発見した。古代語の子音が現代語に変化する際の、規則的なパターンだ」


 エルネストは黒板にグリムの法則の対応表を書いた。


「この規則を使えば、原典を探さなくても、現代語の呪文から古代語の正しい発音を逆算できる。つまり——」


「今まで直せなかった呪文も、全部直せるようになる……?」


「理論上は、そうだ」


 ティアの目が見開かれた。


「例を見せよう。水属性の中級呪文、氷壁(アイスウォール)。現代版の詠唱は——」


「『水よ聳え、我が盾たらんと欲し、凍てつく壁を成せ。氷壁』ですね。……ごめんなさい、実際に使ったことはないんですけど、教科書の暗記だけは」


「完璧だ。さて、この詠唱の中の子音を、さっきの法則で逆算する」


 エルネストは黒板に現代版と復元版を並べて書いた。


「現代版で『聳え(そびえ)』の初頭子音は『s』だ。グリムの法則に逆算すると、古代語ではこれは『t』だった可能性が高い。つまり古代語では『聳え』ではなく『統べよ(すべよ)』に近い音だったはずだ。意味も微妙に変わる。『聳え立つ(静的)』から『統率する(動的、命令的)』へ。……ただし、これはまだ仮説だ。原典で確認する必要がある」


「確認する方法は?」


「図書館の古代文献に、氷壁の原典がないか探す。あれば確認できる。なければ——仮説のまま検証するしかない」


「検証は、私がやりますか?」


 ティアの声には迷いがなかった。共同研究者としての彼女の成長が、日に日に加速しているのをエルネストは感じていた。


「ああ。だが氷壁は中級呪文だ。基礎の水弾より消費魔力が大きい。C判定のティアでも、連射は厳しいかもしれない。一発ずつ、慎重にいこう」


 ティアは頷いた。


 その日は理論の整理だけで終わった。実験は翌日に持ち越し。


 エルネストが旧教室を出ようとした時、ティアが小さな声で言った。


「エルネスト」

「何だ」

「あなたが発見したもの……子音推移の法則。それって、名前をつけるべきじゃないですか? 学問の発見には名前がつくものでしょう」


 エルネストは少し考えた。前世では「グリムの法則」と呼ばれていた。だがこの世界では——


「ラングの法則……いや、おこがましいな。名前はいい。重要なのは法則の中身であって、誰が見つけたかじゃない」


「じゃあ、私が勝手に名前をつけていいですか?」


「好きにしてくれ」


 ティアはノートに何か書き込んだ。エルネストには見えなかったが、そこには——


 『古代音韻推移の法則(ラングの法則)


 と書かれていた。


     * * *


 翌日の午前中、エルネストは図書館の地下で氷壁の原典を探した。


 結果は——見つからなかった。


 学院の古代文献コーナーに収蔵されている呪文関連の資料は、基礎呪文が中心だ。中級以上の呪文の原典は、おそらく王宮の大図書館か、学院長室の特別書庫にしかない。


(原典なしで検証するしかない。グリムの法則——いや、「ラングの法則」とティアが名付けたらしいが——による逆算の精度を試す、最初のテストケースになる)


 午後の実技演習を終え、放課後。旧練習場。


 ティアが氷壁の修正版を試す。


 通常版:「水よ聳え、我が盾たらんと欲し、凍てつく壁を成せ。氷壁」

 修正版(語順+完了相+音韻推移逆算):「統べよ(V)水よ、成りたれ(完了)我が盾と、凍てつく壁——在りてり(完了)。氷壁」


 ティアは何度か口の中で練習した後、構えた。


「統べよ水よ、成りたれ我が盾と、凍てつく壁——在りてり。氷壁(アイスウォール)!」


 ティアの前方に、水が湧き出した。


 通常の氷壁は、地面から半透明の氷の板が立ち上がる——教科書にはそう書いてある。ティアは一度も成功したことがないが。


 だが、修正版の氷壁は——教科書の記述とは全く異なるものだった。


 水は板状ではなく、六角形(ろっかくけい)の結晶構造を形成しながら成長していった。蜂の巣のような六角形の氷がぎっしりと組み合わさり、高さ二メートル、幅三メートルの壁を構成する。


 通常の氷壁の三倍の大きさ。しかも構造体として明らかに頑丈だ。六角形構造は蜜蜂の巣と同じで、最小の材料で最大の強度を生む幾何学的に最適な形状だ。


「す、すごい……」


 ティアが自分の作った氷壁を見上げた。壁面が夕日を受けて複雑に光を屈折させ、虹色の光の模様を地面に落としている。


「これが——C判定の魔力で?」


「C判定の魔力と、正しい文法の呪文で、だ。音韻推移の逆算が効いている。『聳え(そびえ)』を『統べよ(すべよ)』に変えたことで、水への命令がより明確になったんだろう。原典の確認はできていないが、結果を見る限り、逆算の方向性は正しかったと判断できる」


 エルネストはノートに記録した。


 『ラングの法則(音韻推移逆算)による呪文復元:氷壁。原典未確認だが、逆算版の発動に成功。構造・規模・強度いずれも通常版を大幅に上回る。法則の有効性を支持する追加データ』


「これで三つだ」


 エルネストは指を折った。


「水弾の発音矯正、水弾の文法修正、氷壁の音韻逆算修正。三つの異なるアプローチで、三つとも効果が確認された。偶然の可能性はもう排除できる」


「理論が正しいという証拠が揃ったんですね」


「そうだ。ただし——これは僕たち二人だけの証拠だ。学院に公式に認めさせるには、もっと多くのサンプルと、第三者の検証が必要になる」


 ティアは氷壁に手を触れた。冷たい。だが——自分が作ったものだという事実は、温かかった。


「第三者の検証……。レオンハルトに協力を頼めませんか? 火属性の修正版もあるんでしょう?」


「ある。僕自身が使っている修正版炎弾だ。だがレオンハルトにそれを教えるとなると、管理部の規制に完全に抵触する。『未認可の技術の他者への伝授』は、使用禁止よりもさらに重い処分の対象になる」


「……どうすればいいんでしょう」


「もう少し考える。レオンハルトが自発的に呪文を変えた、という体裁が取れれば——だが、それは嘘になるな」


 エルネストは苦笑した。


 研究者としての誠実さと、現実の政治的制約の間で、最適解を見つけなければならない。


 前世では、純粋に論文だけで戦おうとして負けた。この世界では——もう少し賢く立ち回る必要がある。


(仲間を増やす。だが、不用意に増やせば目立つ。バランスが大事だ)


 二人は旧練習場を後にした。氷壁はしばらくの間、夕暮れの広場に残って溶けていった。


 その溶けていく氷壁の水が地面に染み込み——石畳の隙間を伝って、学院の地下深くへと流れていった。


 誰も気づかなかった。


 その水が辿り着いた先——学院地下の、封印区画の外壁に、ほんの僅かな染みが広がったことを。


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