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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第2章:共犯者

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完了相

 決闘裁定から数日が過ぎた。


 エルネストとティアの秘密の練習場——北棟の旧教室での研究は、新しい段階に入っていた。


 暴発の原因だった発音のずれは矯正できた。語順のVSO型への最適化も、水弾の基礎レベルでは成功した。

 だが、エルネストが本当にやりたいことは、ここから先だった。


 完了相の修正。


 これこそが、呪文の効率を根本的に変える核心の技術だ。語順最適化が「情報の伝達速度を上げる」効果だとすれば、完了相の修正は「魔法の因果を確定させる」効果を持つ。前者が戦術的な改善なら、後者は魔法の本質に踏み込む変革だ。


「ティア。今日から完了相の修正に入る」


 旧教室の黒板の前で、エルネストはチョークを手に取った。ティアは長机に座り、ノートを広げて待っている。


「まず、今の水弾の詠唱を確認しよう。語順最適化版だ」


 ティアが暗唱した。


「集え水よ、宿れ我が手に、貫け敵を、堅氷の槍となりて(・・・)放たん(・・・)。水弾」


「そう。この中で、今日修正するのは二箇所。『なりて』と『放たん』だ」


 エルネストは黒板に二つの語を大きく書いた。


  なりて → なりたれ

  放たん → 放てり


「『なりて』は接続形だ。『堅氷の槍になりつつある』という意味になる。つまり——まだ槍になっていない。変化の途中だ」


「『なりたれ』は完了形。『堅氷の槍にすでになった』という意味。変化は完了している。魔法の言葉として世界に宣言するなら、どちらが強力だと思う?」


 ティアは少し考えた。


「……『すでになった』と断言する方が、強い」


「その通りだ。古代語の呪文は本来、世界に対する命令ではなく、事実の宣言だった。『火になれ』ではなく『火にすでになった』と宣言することで、因果を確定させる。世界がその宣言を受け入れて、事実として成立させる」


「でも——まだ投げてもいないのに『すでに放った』って言うのは、嘘じゃないですか?」


 良い質問だった。前世の言語学でも、遂行的発話——「宣言する」「約束する」のような発話行為そのものが事実を創出するタイプの言語使用——をめぐる議論は深いものがあった。


「嘘ではない。呪文の完了相は、現実の時間とは別の時間軸で機能していると考えられている——少なくとも、原典の文法はそういう構造をしている。『放った』と宣言した瞬間に、魔法的な因果律の上では『すでに放たれた状態』が成立する。あとは現実がそれに追いつくだけだ」


 ティアの目が少し大きくなった。


「すごい……。それって、言葉で世界を書き換えてるってことですか」


「厳密にはそうではないが、感覚としては近い。言語行為論でいう遂行的発話(パフォーマティブ)——言葉を発することそのものが、新しい事実を作り出す。この世界の呪文は、まさにそれだ」


「パフォーマティブ……」


 ティアはノートにその言葉を書き留めた。国際音声記号ほど馴染みのない用語だが、概念は直感的に理解できたらしい。


「さて、理論はここまでだ。実践に移ろう。修正版の詠唱を組み立てる」


 エルネストは黒板に完了相修正版の全文を書いた。


 語順最適化+完了相修正版:

 「集え(V)水よ、宿れ(V)我が手に、貫け(V)敵を、堅氷の槍となりたれ(完了)放てり(完了)。水弾」


「まず、教室で発声だけ練習しよう。魔法は使わなくていい。音の響きと、口の筋肉の動きを掴んでからだ」


 ティアが立ち上がり、姿勢を正した。


 何度も反復する。「なりたれ」の「た」の部分で、舌先が歯茎に正確に触れるように。「放てり」の「て」の破裂音を明確に。完了相の助動詞が持つ「確定」の響きを、身体に染み込ませる。


 三十分後。ティアの発声は安定していた。


「いい。実射に移ろう。いつもの広場で」


     * * *


 北棟裏の旧練習場。


 夕暮れの空の下、ティアが水弾の構えを取った。


 エルネストは三メートル横に立ち、ティアの詠唱をモニタリングする姿勢を取る。耳を研ぎ澄まし、音素の一つ一つを追う。


「いつでもいい。自分のタイミングで」


 ティアは深呼吸した。


 目を開く。碧い目が真っ直ぐに前を向いた。


「集え水よ、宿れ我が手に、貫け敵を、堅氷の槍となりたれ(・・・・)放てり(・・・)水弾(アクアバレット)!」


 ティアの掌から水が生まれた。


 前回の実験で見た透明な水の槍とは——明らかに違うものが形成されていた。


 水は透明ではなく、深い蒼色を帯びていた。光を吸い込むような濃密な蒼。槍の先端は針のように細く、全体が微かに回転している。回転によって水の密度がさらに増し、表面に冷気の白い筋が走る。


 温度が違う。前回の水弾は常温の水だったが、今回は——凍りかけている。水の槍の表面に微細な氷の結晶が走り、冷気が漏れ出している。


(完了相の効果だ。『堅氷の槍にすでになった』と宣言したことで、水が凍結する因果が確定している。通常の水弾では起きない、相変化の促進——)


 ティアの手が前に突き出された。


 蒼い水の槍が放たれた。


 キィィィン!!


 金属を引き裂くような鋭い音。空気が凍る軌跡を残しながら、水の槍が奥の石壁に突き刺さった。


 着弾の瞬間、石壁の表面に氷の花が爆発的に広がった。直径二メートルの範囲が一瞬で凍結し、白い霜が壁面を覆い尽くす。石壁にはくさび型の深い亀裂が走っている。


 前回の語順最適化版が「石壁にヒビを入れる」程度だったのに対し、完了相修正版は「石壁を凍結させ、亀裂を入れる」。質的に異なるレベルの破壊力だ。


 ティアは自分の手を見つめ、それから石壁を見た。


「……凍った。水弾なのに、凍った」


「堅氷の槍となりたれ(・・・・)。『堅氷にすでになった』と宣言したことで、水が氷に近づく因果が確定された。完了相は魔法の結果を予め確定させる——理論通りだ」


 エルネストの声も興奮を隠せなかった。


 語順最適化は「発動速度の短縮」という量的改善だった。だが完了相修正は「魔法の質そのものの変化」をもたらす。呪文の中に込められた結果が、宣言された瞬間に確定するのだ。


「これは——C判定の水弾の範囲を超えている。B判定、あるいはA判定の堅氷術(けんぴょうじゅつ)に匹敵する可能性がある」


「私の魔力は変わってないんですよね? C判定のまま?」


「そうだ。魔力量は変わっていない。変わったのは効率だけだ。同じ燃料を使っても、エンジンが高性能なら出力が上がる。……ああ、エンジンっていうのは——」


「何かの道具ですか?」


「前の……いや、何でもない。とにかく、呪文の文法を正しくすることで、同じ魔力からより多くの出力を引き出せる。それが今、証明された」


 ティアはしばらく凍結した石壁を見つめていた。氷が夕日を受けてオレンジ色に輝いている。


「エルネスト。これって——もしかして、とんでもないことですよね」


「ああ。とんでもないことだ」


「他の人に教えたら、みんな強くなれるんですよね。E判定の人でもB判定並みの魔法が使えるかもしれない」


「理論上はそうだ。ただ——」


 エルネストは言葉を選んだ。


「技術を広めれば広めるほど、学院上層部との対立は激しくなる。管理部はすでに規制をかけている。これ以上の成果を出せば——もっと強い圧力がかかるかもしれない」


 ティアの表情が引き締まった。


「……私は構いません。二年間、暴発のせいで戦えなかった。あの苦しみを、他の誰かが同じように味わっているかもしれない。教えるべきことを教えない方が、よっぽど罪だと思います」


 エルネストはティアを見た。二年間の鬱屈から解放された少女の顔には、静かだが確固たる意志があった。


「……分かった。段階的に進めよう。まずは僕たち二人で成果を積み上げて、否定しようのないレベルの証拠を揃える。その上で、協力者を増やしていく」


「協力者。レオンハルトは?」


「彼は別枠だ。彼自身がB判定の火属性だから、文法修正を自分の魔法に適用すれば——B判定がA判定級になる可能性がある。彼ならそれを試したがるだろう」


 二人は旧練習場の端に座り、今後の研究計画を話し合った。


 やるべきことは山積みだった。


 一、水属性の全呪文に対する完了相修正の適用と効果検証。

 二、火属性以外の属性——風、雷、土——への文法修正の展開。

 三、グリムの法則に相当するこの世界の音韻変化の体系的な記述。

 四、研究結果を学院に公式に提出するための報告書の作成。


「一つずつやっていこう。焦る必要はない」


 エルネストが言うと、ティアは小さく笑った。


「焦る必要はないって言いながら、目が全然焦ってないのを信じてほしいですよ、エルネスト。あなた、研究のことになると目が輝くんですから」


 エルネストは何も言わなかった。反論できなかったからだ。


 夕暮れの空が、紫から藍に変わりつつあった。

 旧練習場の石壁に広がった氷が、最後の陽光を受けて虹色に煌めいている。


 二人の共同研究は、ここから加速する。


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