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蛇の目/requiem  作者: ふゆはる


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31/32

第31話/診断名ソシオパス

 取調室の空気は、まるで外界から切り離されたように静まり返っていた。

 厚い防音扉の向こうには、夜の街の喧騒すら届かない。蛍光灯の白い光だけが、冷たく床と机を照らしている。

 その中央で、椎名冬臣は無表情のまま、背もたれに体を預けていた。

 取り調べにあたる刑事たちの問いかけにも、どこか他人事のような調子で応じ、罪悪感や後悔のかけらも見せない。

 むしろ彼は、まるで自身の行為を「芸術作品」のように語り始めていた。

「弟はね、最初から“素材”だった。

 感情なんてものは、解体して、削ぎ落とした先にしか本質はないんだよ」

 その声には一切の震えがなく、異様なほど整然としていた。

 傍らの観察室では、科警研第二課の面々がモニターを通してその様子を見守っている。

 モニターの中央に映し出されるのは、冬臣の顔と、彼の微細な表情変化や発話リズムをリアルタイムで解析する蛇の目の演算ウィンドウ。

 蛇の目──それは 蛇の目、AIによる行動心理解析システム。

 開発者である秋山慎一郎の手により、単なる声紋や仕草の分析ではなく、「認知傾向」「価値観の偏差」「自己言及の構造」まで踏み込んで対象の深層を炙り出すことが可能になっていた。

 片瀬が端末に打ち込むキー音と、蛇の目の演算ログが重なる。

 ウィンドウには、冬臣の発言に含まれるキーワードの構造解析が可視化されていた。

 ――感情の切断。

 ――道具化。

 ――支配欲。

 ――他者への共感欠如。

 蛇の目が低く、電子音を伴って告げる。

【感情反応パターン異常】

【共感反応閾値:0.02】

【自己正当化傾向:極端】

【診断候補:反社会的人格障害】

「……来たな」秋山が低くつぶやく。

 蛇の目はさらに、冬臣の表情データを発話タイミングと重ね、脳内での報酬系の活性をシミュレートする。

「共感」という機能が完全に欠落した人間に特有の、あの“空白”が解析グラフに広がっていった。

 質問に対して彼が示す笑みは喜びではなく、支配欲を満たしたときのそれだった。

【診断名確定:ソシオパス】

 冷たい電子音とともに、蛇の目は結果をスクリーンに映し出した。

 その文字列は、まるで断罪の印のように青白い光を放っていた。

「……やっぱりな」

 渡辺が苦い顔でつぶやく。

「普通の殺人犯じゃない。彼は“人間”を物として扱うことに一片の疑問も持っていない」

 秋山が視線を冬臣に向けた。

 そしてその瞬間、取調室の中で冬臣は薄く笑った。

 蛇の目に「見透かされた」ことを、理解したかのように。

「あんたたちは、名前をつけるのが好きだね」

「でも俺はそんな分類の中に収まらない。俺は“創る側”なんだから」

 その声に、室内の空気がさらに冷え込んだ。

 蛇の目の演算は止まらない。

 ソシオパス――共感なき創造者。

 この男を相手にするには、常識も正義も無力なのだと、第二課の誰もが悟り始めていた。


 取調室の冷たい空気の中、蛇の目の演算ウィンドウには、いつもの犯罪者プロファイルとはまったく異なる“異常値”がはっきりと浮かび上がっていた。

 冬臣の発話、表情、呼吸、瞬き、沈黙のタイミングまでがアルゴリズムにかけられ、分解され、数値化されていく。

 まるで一人の人間ではなく、精密な「構造物」が分析されているかのようだった。

【人格特性解析:ダークトライアド指標】

 ─ マキャベリズム:98.4

 ─ ナルシシズム:92.7

 ─ サイコパシー:99.1

 片瀬がモニターに目を凝らし、思わず息を呑む。

「……これ、嘘でしょ。平均値の倍以上だよ……」

 蛇の目は、淡々と次のログをスクロールしていく。

【自己利益優先傾向:極端】

【支配欲・操作性:危険域】

【他者共感指数:0.00】

【自己顕示・万能感:突出】

「ダークトライアド」という言葉は、本来ならば心理学や犯罪心理の専門領域で扱われる理論構造だ。

 ダークトライアドは「マキャベリズム(狡猾な戦略性)」「ナルシシズム(自己愛性)」「サイコパシー(反社会性)」の3要素から構成される――そのいずれもが高い人物は稀有だ。

 だが椎名冬臣は、その3つすべてで危険水域をはるかに超えていた。

 観察室の中で、秋山慎一郎は静かに顎に手を当てる。

 蛇の目の演算はすでに「人格分類」という段階を超え、彼の存在そのものを一種の“構造的危険因子”として識別していた。

【リスク評価】

 ─ 再犯可能性:極めて高い

 ─ 対話による行動修正効果:皆無

 ─ 社会適応能力(擬態):極めて高い

 ─ 危険人物ランク:最上位

「……こいつ、自分の言葉と感情を計算で組み立ててる」

 渡辺が低くつぶやいた。

 確かに冬臣の受け答えは、まるで脚本を用意していたかのように整然としている。

 相手が何をどう聞き、どう反応するかを、先に見透かして操ろうとする――それが蛇の目の演算ログに「戦略性」として刻まれていく。

 そして、蛇の目が最終診断を下した。

【最終診断】

 ─ 人格傾向:ソシオパシー+ダークトライアド複合型

 ─ 脅威区分:極めて高リスク対象

 ─ 対応推奨:通常の心理戦では効果なし

 冬臣は、そんな診断が出たことなど知っているのか、知らないのか――

 静かに笑っていた。

「あんたたちは俺を“危険”だって? 面白いね」

「危険っていうのは、力がある者の証明だろう?」

 その声音には、罪悪感も羞恥もない。

 あるのは、冷たい支配欲と、歪んだ誇りだけ。

 蛇の目の青白いモニターが、冬臣の背後にぼんやりと映し出す――

「人間ではなく、冷酷な戦略装置」としての“椎名冬臣”という名の人格構造だった。


 取調室のガラス越しに、秋山慎一郎はじっと椎名冬臣を見つめていた。

 薄暗い室内に沈むその姿は、まるで人間の皮をかぶった異物――その印象は、時間を追うごとに強まっていく。

 通常であれば、この段階で秋山が取るべき手順は決まっている。

 蛇の目の枝系統に被疑者を接続し、脳波・発話・生理反応などあらゆるデータを同期させ、より深層の思考にアクセスする。

 それによって、蛇の目は犯行の再構築や思考の系譜までも高精度で解析可能になる。

 だが――今回は違った。

 蛇の目のコンソールには、接続承認待ちの赤い表示が静かに点滅していた。

 片瀬が手元の端末を操作し、確認する。

「室長、接続許可を……どうしますか? このままなら“枝”を作れます」

 秋山は、答えなかった。

 その代わり、冬臣の表情を見た。

 あの男は、自分が観察されていることを完全に理解している。

 観察されていることを前提に、表情も、声も、視線も「演出」している――蛇の目のデータを逆に利用できるほどの知性と歪んだ自己陶酔が、そこにあった。

 蛇の目のシステムは、人間の深層心理を「読む」。

 だが同時に、“読むことが可能である”という前提を、対象に悟られてはならない。

 椎名冬臣のようなタイプに接続すれば、その構造そのものを“逆に観察”し、汚染する危険がある。

「……やめだ」

 低く、秋山が言った。

 片瀬が目を見開いた。

「やめる……って、まさか――接続しないんですか?」

「そうだ」

 秋山は短く頷くと、点滅していた接続承認の表示を無言で切った。

「この男は蛇の目を“武器”に変える。利用される前に、遮断する」

 渡辺が息を呑む。

「蛇の目を利用……って、本気で言ってるんですか? そんなこと――」

「この男にはできる」

 秋山の声には一片の迷いもなかった。

「彼は人を読み解く。反応を測り、空気を作り、他人のシステムを“理解して支配する”ことに異常な執着がある。

 もし蛇の目に触れさせたら、逆にアルゴリズムのパターンを掴まれる可能性がある。リスクが大きすぎる」

 その言葉は、秋山自身にとっても重い決断だった。

 蛇の目を創った人間として、最も有効な武器を「使わない」という判断を下すのは初めてのことだった。

 対話室の奥で、冬臣はゆっくりと顔を上げ、薄く笑った。

 まるで――自分が接続を拒まれることを読んでいたかのように。

「ああ、いい判断だ。

 つないでいたら、あなたの“可愛い蛇”は、俺のものになってたよ」

 空気が一瞬、張り詰めた。

 秋山は、静かに息を吐き、モニターの前から立ち上がった。

 蛇の目は万能ではない――そう痛感させられる瞬間だった。

 しかし同時に、この決断こそが、冬臣の“侵食”を食い止める唯一の手段でもあった。

 蛇の目の枝は、閉ざされたまま――

 これは、単なる容疑者ではなく、“システムそのものを脅かす存在”との戦いであると、チーム全員が悟った瞬間だった。

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