第20話/蛇の尾
渡辺直樹が腕を組み、疲労を滲ませながら椅子にもたれた。
「金の出所を追えば犯人に近づけると思ったが、こりゃ……簡単じゃねぇな。まるで蜘蛛の巣だ」
そのとき、低い電子音が室内に響いた。
「蛇の目」からの解析結果の通知だった。
秋山慎一郎が椅子を回し、冷静な声で指示を出す。
「蛇の目、解析結果を出せ」
大型ディスプレイに映し出されたのは、膨大な金融トランザクションのマッピング。
蛇の目の人工音声が、静かに、だが冷ややかに空気を支配した。
『資金の主な流入先:オフショア口座34件、暗号資産ウォレット17件。
中継ルートを経て、特定の法人名義に集約される傾向あり。
追跡対象:Lambeth Medical Trust(イギリス領)』
「……医療トラスト?」片瀬が画面に身を乗り出した。
「医療系のファンドを隠れ蓑にしてるってわけ?」
「蛇の目、法人の詳細を」秋山が短く命じる。
『登記上は医療機器の輸出入を行う民間企業。
実体の一部はシェルカンパニーであり、過去に人身売買・臓器密輸と関連する複数の金融トランザクションを検出済み。
関連する送金の一部は日本国内から発信』
「日本国内……つまり、この犯人は海外と繋がってる」
渡辺の声に、室内の空気が一段と重くなった。
吉羽はデスクに両手をつき、視線を蛇の目の映像に固定した。
「つまり、エンバーミングも……遺体の“商品化”の一環ってこと?」
蛇の目の冷たい声が、容赦なく核心を突いた。
『高品質な保存処理は長距離輸送のため。
輸送目的は明確には不明だが、海外への移送・売買・医療実験用サンプル化などの可能性が高いと推測』
「……売るために、遺体を処置していたってこと……?」
吉羽の声は震えていた。怒りとも、吐き気ともつかない感情が胸の奥に込み上げる。
梓は拳を握り、机を軽く叩いた。
「これ、もはや国内の連続殺人じゃない。国際的な人身取引よ」
秋山は目を細めた。
「蛇の目の解析が正しければ、犯人は単独行動じゃない。背後に“買い手”がいる」
渡辺が低く息を吐いた。
「買い手……遺体の、な」
室内に一瞬、重苦しい沈黙が落ちた。
吉羽は静かに口を開く。
「だったら――犯人は“売り手”よ。運び屋たちは手足に過ぎなかった」
蛇の目の画面に、新たな線が描かれ始める。
資金の流れと輸送ルート、それらが国内の港湾エリアへと収束していく。
『現在の資金移動の中継地点:神戸港周辺
過去三か月間で、少なくとも七回の不審な貨物移動を検出』
「神戸港……」秋山の目が鋭く光った。
「そこが奴らの“出口”か」
梓が息を呑んだ。
「犯人はそこから遺体を国外に――」
吉羽は強く頷いた。
「次は……そこを押さえる」
蛇の目の冷たい声が、最後に静かに付け加えた。
『資金流入は今も継続中。
次の貨物移動は72時間以内と予測』
「――間に合う」
吉羽の瞳に、決意が灯った。
秋山がゆっくりと立ち上がり、課の全員を見回す。
「動くぞ。今度は、奴らの“本丸”を叩く」
夜明け前の科警研第二課。
冷たい蛍光灯の下で、誰もが疲労を抱えながらも――その目は同じ方向を見据えていた。
遺体を“金”に変える冷酷な闇の構造。
その根を断つための、反撃の時が近づいていた。
吉羽は深く息を吸い、ディスプレイを見つめた。
この数ヶ月、彼女たちは血の滲むような捜査を続けてきた。
それは単なる殺人事件ではなく、遺体を輸出入する闇の構造そのものとの戦いだった。
片瀬が軽く笑った。
「ふふ……たかが一台のAIと一人の技術者で、国際ファンドを止めたんだから……悪くないでしょ?」
「……ほんと、あんたは頼もしいわ」
吉羽が微笑みを返す。久しぶりの、本当の意味での“成果”だった。
蛇の目の冷たい声が室内に響く。
『資金ルート凍結により、次の貨物の移動は困難になると予測。
犯人側は代替ルートの確保、または一時撤退の可能性が高い。』
「逃げ道を塞いだ……ってわけね」吉羽が低く呟いた。
秋山は時計を見た。
「いいか、ここからが本番だ。金を止めた分、奴らは“焦る”。焦った人間は、ボロを出す」
渡辺が拳を鳴らした。
「つまり、ようやく――反撃できるってことだな」
片瀬がモニターに視線を戻す。
蛇の目はすでに、凍結した口座から逆引きで複数の関係先を洗い出し始めていた。
その網はゆっくりと、だが確実に、犯人を締め上げるように狭まっていく。
吉羽は蛇の目の赤いインターフェースを見つめ、静かに呟いた。
「もう、あなたたちの“安全圏”はどこにもない」
吉羽恵美は、医療法人の正面玄関に立ち尽くした。表向きは清潔で落ち着いた外観、患者を迎える受付、控えめに並ぶ観葉植物。だが、彼女の目には、この整然とした外観の奥に潜む異様な空気が感じられた。
「……ほんと、普通の病院みたい……」
渡辺が呟く。彼も緊張を隠せず、手元のタブレットで資料を確認していた。
「普通に見えるからこそ、余計に怪しいわ」
吉羽が小さく息を吐く。「資金の流れは全部、ここに集まっていたのに……この規模をどう説明するのかしら」
片瀬が低く言う。「裏で何かやっている可能性があります。表向きの診療や研究では、この額は説明できません」
秋山室長は静かに周囲を観察している。AI「蛇の目」はすでに法人内部の公開情報、過去の支出履歴、役員の動向、関連団体の資金移動まで解析しており、画面に不自然なパターンを浮かび上がらせていた。
「裏口の動き、あるいは施設内部での不自然な出入り……これを突き止める必要があります」
秋山の言葉に、吉羽はうなずきながらつぶやく。「受付の人やスタッフに怪しまれないように、慎重に動かなくちゃ……」
課はまず、表向きの診療施設を装いながら、内部の人間関係と資金の流れを洗い出すことにした。受付での観察、患者としての潜入、そして過去の会計記録の解析――あらゆる手段を駆使する。
数日後、吉羽は法人内部での異常な出入りに気づいた。特定の部屋には常時、清掃業者や外部の技術者が出入りしていたが、医療行為や設備保守とは関係のない人物も含まれていた。
「……ここね」吉羽は小さな声で秋山に告げた。
「どの部屋?」
「資金の流れが止まらない部屋……冷凍ユニットや処置に関係していた痕跡があるみたい」
片瀬がモニターをのぞき込み、数字を確認する。「確かに、ここへの支払いだけ突出している。業者名も個人名も偽装されている……完全に隠されている」
渡辺が息を飲む。「医療法人の帳簿上では完全に合法。でも、裏口を通した資金の流れは異常……」
吉羽は拳を軽く握り、決意を込めて呟いた。「よし……ここからは、しっかり内部を確認するしかないわ。誰が何をしているのか、ちゃんと見極めるの」
課のメンバーは夜間に潜入する計画を立てる。表向きは清潔で静かな医療法人、だが、裏では冷凍ユニットの購入や処置に使われた巨額の資金が動き、遺体処理の痕跡まで匂わせていた。
「ここに踏み込めば、答えが見えてくる……でも、危険も増すわ」
秋山が静かに言った。「蛇の目の解析では、内部に協力者がいる可能性も高い。慎重に行動しろ」
吉羽は息を整え、冷たく光る廊下を見つめた。医療法人の表向きの顔と裏で動く資金の影――その狭間に潜む闇に、課のメンバー全員が足を踏み入れようとしていた。
夜の静寂を破るように、課は法人内部への潜入を開始する。
冷凍ユニット、処置室、資金の痕跡――すべてが、次の大きな手がかりへと彼らを導いていく。
吉羽の胸に浮かぶのはただ一つ。
「絶対に、この医療法人の裏で何が行われているのか、はっきりさせるの……」




