第18話/処置室
。誤差はない」
秋山の返答は、いつものように淡々としていた。
蛇の目――第二課が誇る観測システム。
解析の末、コンテナの移動経路と運び屋たちのスマホの通信記録、そして偽装パターンを突き止め、この一台に行き着いたのだった。
鉄のロックが解除される音が、夜に重く響く。
コンテナの扉がゆっくりと開かれると、内側からひやりとした冷気とともに、異様な匂いが立ちのぼった。
「……っ!」
恵美は思わず鼻を覆った。
それは血の匂いではなかった。むしろ、薬品と防腐剤のような――人工的で、乾いた死の匂い。
「防腐処理……エンバーミング用の薬品だな」
片瀬が低く呟く。
コンテナの内部は、普通の冷凍庫ではなかった。
金属製の台、パイプやチューブが張り巡らされ、壁には血液や薬液を流すポンプ装置。
天井からは大型のLEDライトが照射され、中央には医療用のストレッチャー――その上に、ひとつの遺体が横たえられていた。
「まさか……ここで処理してたのか」
渡辺が唸るように言う。
恵美はゆっくりと足を踏み入れた。床には防水加工が施され、排水溝が走っている。まるで手術室のような清潔さと異常な静けさが、この空間に漂っていた。
だが、その清潔さが、逆に“狂気”を際立たせていた。
「こいつ……まるで、葬儀屋の仕事場みたいだな」
片瀬が声を落とす。
「いや、それ以上だ」秋山が小さく言う。「葬儀屋のエンバーミングルームでは、こんな設備は要らない。これは完全に“処理と展示”のための空間だ」
恵美は遺体に近づいた。
若い女性。顔は異様なまでに整えられ、肌には薬剤によるツヤと張りが残っている。
まるで眠っているかのように、死の気配が消されていた。
「……目」
恵美は思わず呟いた。
女性の瞳には――例の、カラーコンタクトレンズがはめられていた。
「また……」
片瀬が低く呻く。
「蛇の目の予測通り、犯人は“遺体を飾っている”」
秋山がつぶやく声は、どこか冷たい分析の調子を帯びていた。
天井の隅には監視カメラの死角を避けるように設置された小さなセンサー群。さらに薬液の補充装置と搬出用のレールが敷かれている。
完全に“ルーティン化”された殺人と遺体処理。そこにあるのは衝動ではなく、計画と意図だった。
「こんな設備……素人じゃないな」
「少なくとも医療か葬祭関係の知識がある人物。それも相当なレベルだ」
秋山の言葉に、恵美は唇を噛んだ。
蛇の目の音声がイヤホン越しに流れた。
『推測:本設備はエンバーミング処理を標準化するためのモジュールです。犯人は複数の遺体をこの場所、もしくは同等の処置室で処理している可能性が高いと考えられます』
「……“同等の処置室”だと?」渡辺が眉をひそめた。
『はい。移動式ユニットであるため、このコンテナは“一例”です』
「……ってことは、まだ他にもあるってことじゃないの」
恵美の声に、場の空気が一気に張りつめた。
秋山がゆっくりと頷く。
「そうだ。これは“ひとつ目”にすぎない」
コンテナの奥――冷凍庫のような小部屋には、薬液や医療用の資材が整然と並べられていた。
証拠物品のマーキングが進む中、恵美は処置台の上の女性の遺体に目を落とした。
――まるで、誰かに見せるために作られた作品のようだ。
その整えられた顔に、冷たさと異常な執着が滲んでいた。
「この犯人……“殺す”ことより、“飾る”ことに執着してる」
恵美の声には怒りと震えが混ざっていた。
「まるで……人間を人形か何かと勘違いしてるみたいじゃない」
秋山は何も言わなかった。ただ、蛇の目から流れるデータを静かに見つめていた。
『推測:犯人は美意識または儀式的思想に基づき、遺体の処置を行っています。動機は“破壊”ではなく“演出”です』
「演出……か」
片瀬が吐き捨てるように言った。
「慎一郎さん……この犯人、本当に人間なの?」
恵美の問いかけは半ば感情の吐露だった。
秋山は一瞬だけ彼女を見た。
「……少なくとも、今の時点では“人間”だ。しかし――人間性は、限りなく壊れている」
外では警察車両のライトが青白く明滅し、夜の波音が微かに響いていた。
冷たい処置室の中、第二課のメンバーたちは言葉を失ったまま、それぞれの胸に“異常な犯人像”の輪郭を描き始めていた。
そして――蛇の目は、次の座標を淡々と表示し始める。
『次のユニット、候補地点を3件特定しました――』
その無機質な声が、夜の静寂を切り裂いた。
恵美はゆっくりと拳を握った。
「絶対に……捕まえる」
その声は静かだったが、確かな怒りと覚悟が宿っていた。
押収されたユニットは、どれも静かに整然とした「処置室」だった。
だが、その表情は微妙に違った。あるものは欧米製の滅菌器を備え、あるものは大型の真空ポンプと高性能冷却ユニットを備え、あるものは天井照明から床の排水まで細部に至るまでカスタムメイドされていた。遺体こそ入っていないものの、それは「使い込まれた道具箱」ではなく、「準備の揃った工房」であった。
科警研第二課の解析室には、検収物の一覧と供給業者の領収書、輸入書類、そして蛇の目(KAZUHAコア)が吐き出した決済トレースが整然と並べられていた。色とりどりのインボイスが、照明に紙の艶を返す。
「これ、ただの個人の工作物じゃない……」渡辺が低く言った。腕組みが硬い。
「だってこの滅菌器、通常業務用の半値どころか、それ以上だ」片瀬が端末を指差す。画面にはメーカー名と輸入価格、船便の航路が示されている。
吉羽はゆっくりと書類の山をめくり、封印ラベルの透かしや輸送保険の契約書を目で追った。彼女の声はいつになく静かで女性らしい響きを帯びていた。
「機材だけじゃないのよ。薬剤の入手ルート、専用の冷媒、温度制御系の契約。全部、きちんと“商流”がある。個人でぽんと出せる金額じゃない」
秋山が端末を切り替え、蛇の目の解析結果を拡大表示した。青白い文字列が流れ、そこには複数の法人名、数回に分けた海外送金、仮想通貨による変換、匿名決済サービスを使った入金履歴の断片が示される。
「見ての通りだ。資金がちょっと特殊だが、流し方は巧妙だ。小口化して複数アカウントで…だが合算すれば相当な額になる」
蛇の目が淡々と付け加える。
『解析完了。押収機材の調達額推定:概算で一ユニット当たり約1万〜3万米ドル相当(機材・輸送・設置込み)。供給は複数の輸入代行業者を介し、支払は海外のシェルカンパニー→プリペイド決済→国内口座へと変換されています。確度:高。』
「一基だけでも一桁違う額だ」渡辺が舌打ちする。
「これが一つ、そして類似ユニットが他にもある。犯人の資金力は“相当”だ」片瀬の顔に緊張が走った。
吉羽は遺体のない処置室をもう一度見回した。ステンレスの台、精密なポンプ、床に埋め込まれた排水システム。すべてが「長期的作業」を前提として設計されている。材料費や輸送費だけでなく、保守契約や部品交換、薬剤の補給を考えると、継続的な資金供給が不可欠だ。
「これ、趣味や猟奇で済むレベルじゃない」吉羽が吐き捨てるように言った。女性らしい柔らかさを残しつつ、口調は鋭い。
「誰かが、確実に“ビジネスモデル”として回してる。資金を出す、物を調達する、作業を分業する。流れが見えるわ」
秋山が頷き、険しい顔で続ける。
「ここからの一手は二つだ。物理的な拠点を押さえて証拠を固めつつ、資金源の断絶を狙う。金融捜査との連携を急げ」
片瀬は即座に準備を始めた。端末を叩く手が速い。
「蛇の目、押収したインボイスと連動して、支払元の口座、受取人、送金経路を再抽出。国内側の受取口座は個人口座へ分散されてます。これを束ねた“ハブ口座”を特定すれば、資金ルートを辿れます」
蛇の目が解析を進めると、画面に次々と新しいノードが浮かんだ。海外の法人名、転送業者、国内の決済代行企業、匿名化されたプリペイドの発行情報。それらが一本の糸のように繋がっていく。
「しかも、支払の多くが“分割”で行われてる。小口で長期的に供給コストを払い続けている」渡辺が眉を寄せる。
「普通なら、誰かが“いつか止めてくれる”と思うだろうが…ここまで細工してあれば止めにくい」
吉羽は静かに目を閉じ、頭の中で線を結んでいく。
「分割、偽装、海外シェル、仮想通貨の経由…。犯人側は、追跡を遅らせるために金融面で“レイヤー”を重ねてる。だが、どこかで綻びは出るはず。送金の受取や機材の輸入、国内業者の契約書。そこを一点ずつ掴めば、網は引き締まる」
秋山の口元に厳しさが滲む。
「財務の綻びを突く。まずは押収機材の輸入元と国内代行業者の帳簿、そして被疑口座の凍結申請だ。検察と法務へ直ちに連絡する」
片瀬が、ふと別の画面を指差した。そこには、被疑者らしき複数の人物が高級レストランや、海外の不動産登記簿に名を連ねるフラグメントが小さく見えている。写真の一枚には、顔の一部を帽子で覆った人物が、大きな機材の横で微笑んでいた。背景は、国際的な展示会のようでもある。
「……これ、犯人の“表の顔”かもしれない」片瀬が低く言う。
「表のビジネスで合法的な事業を回して、その裏でこういう違法事業のインフラを運用している可能性がある。ラグジュアリーな会食、投資ファンド的な動き、登記の分散。資産は巧妙に隠されてる」
吉羽は硬く唇を結んだ。女性らしい落ち着いた声で言う。
「なら、私たちも同じ手で返す。彼らの“見せかけ”を剥がすの。見せかけの帳簿、偽装請求、重複発注。そこに法的なツッコミを入れれば、供給は止まるはずよ」
渡辺が拳を握り締める。「金融を止めれば、奴らの“遊び”も減る。だが時間がかかる。現場班はその間、増築ユニットの発見と押収を続ける。並列で行こう」
秋山は静かに指示をまとめた。
「法務と検察に即時の協力を要請する。金融犯罪捜査部門、税務当局、国際捜査との接続も必要だ。蛇の目、次は“供給業者・輸入代行の突合”を最優先で出力してくれ」
蛇の目が淡々と応じた。
『了解。国際送金のタイムラインと輸入書類、受取人の法人登記、不自然な決済ルートを抽出します。次出力は確度評価付きで提供します』
解析室の空気が、わずかに引き締まる。大きな獲物を相手に、科警研第二課は「科学の矛」と「法の盾」を並行させる決意を固めていた。遺体は見つかった。だが、犯人の資金という“黒い河”はまだ流れている。そこを堰き止めることができれば、この連鎖の根は枯れるはずだ——。
吉羽は窓の外の薄曇りを見つめながら、小さく呟いた。
「……見せかけは剥がす。必ず」




