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蛇の目/requiem  作者: ふゆはる


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16/24

第16話/尋問

 薄暗い取調室には、重い沈黙と湿ったコンクリートの匂いが充満していた。

 安い蛍光灯がジリジリと鳴り、テーブルを挟んで向かい合う二人の男たちの顔を、不自然なほど白く照らしている。

 吉羽は、黒髪を耳にかけながら椅子に腰を下ろし、真正面の「運び屋」と呼ばれる中年の男を見据えた。

 その瞳は怯えと虚勢の入り混じった色をしている。

 隣には渡辺が腕を組んで立ち、壁際では片瀬が記録端末を操作していた。

 天井スピーカーからは、蛇の目の冷たい声が静かに流れている。

≪取調べ開始。対象A、港湾労働者登録歴あり。前科なし。短期アルバイトを繰り返す傾向。≫

「――名前と生年月日。」

 吉羽の声は、冷たいが抑揚のある女性の声だった。まるで、どこにも逃げ場がないことをやさしく伝えるような調子である。

 男はうつむき加減で呟く。

「……山下、和人。昭和五十……えっと……」

「昭和五十六年生まれ、ですよね?」

 吉羽があっさりと続きを言うと、男は目を見開いた。

「な、なんで知ってるんだよ……」

≪個人情報、既に照合済みです。対象の過去の住所、雇用履歴、全て把握しています。≫


 吉羽は軽く顎で天井を指した。「ウソついても無駄。全部バレるから。」

 山下は不安げに唾を飲み込み、肩を強張らせた。

 渡辺が低い声で言葉を重ねる。

「お前が運んでた“ブツ”の中身、知ってるな?」

「し、知らねぇよ……! 俺はただ、頼まれて……コンテナを、指定されたとこに運んだだけだ!」

「“誰に”頼まれた?」

 渡辺が鋭い目を向ける。

「知らねぇ! 顔も見てねぇ! 全部、メッセージで……金もちゃんと振り込まれてたんだ!」

「じゃあ、そのメッセージはどこから来た?」

 片瀬が端末をタップしながら問いかける。

 山下は口を噤む。しばし沈黙が落ちた。

≪対象のスマートフォン履歴に、暗号化メッセージアプリの通信記録を検出。送信元は複数のリレーサーバーを経由。発信元特定は困難です。≫

「……つまり、直接“誰か”と会ったわけじゃないんだな?」

 吉羽は姿勢を崩さず、淡々と確認する。

「そうだって……ほんとに……俺、何も知らねぇんだ……」

 吉羽は、その声の震えを聞き取りながらも、微かに眉をひそめる。

 恐怖とウソの区別は、長年の現場で自然と身に付いたものだった。

「じゃあ、聞かせて。」

 彼女は声のトーンを少しだけ柔らげた。

「コンテナの積み荷を“見た”瞬間は、一度もなかった?」

「……っ」

 その一瞬の沈黙を、蛇の目が逃さない。

≪心拍数上昇。発汗反応検知。質問内容に対する動揺を確認。≫

「嘘だな。」渡辺がすぐに言い放った。

「ち、違う! 見たわけじゃ……ないけど……ちょっとだけ、ドアが……開いてて……」

「中に……何があった?」

 吉羽の声は静かだった。しかし、その一言には重さが宿っていた。

「……白い……人間みたいな……袋に入った……死体……みたいなもんが、あったんだよ……」

 山下の顔から血の気が引いていく。

「おい……それ、いつの話だ?」

 渡辺が身を乗り出す。

「……二週間くらい前……。あのコンテナを、港に運んだとき……」

 片瀬が端末に時刻と運搬経路を打ち込みながら、蛇の目に伝える。

≪照合完了。その時刻帯の輸送記録とGPS履歴、C-79の初期移送ルートと一致。≫

「やっぱり……お前が運んだのは“本物”の一基だったのよ。」

 吉羽は低く呟いた。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ……俺は運んだだけなんだ……ほんとに! 知らなかったんだよ!」

「知らなかった、ね。」

 渡辺は冷たい笑みを浮かべる。「でも“死体”を見て黙ってた時点で、お前も共犯になる可能性がある。」

「や、やめてくれよ……!」

 山下は椅子から身を引き、声を上ずらせた。

 吉羽はそんな男を静かに見つめ、少しだけ優しい声で言う。

「――じゃあ教えて。あなたにとって“都合のいい沈黙”が、何人の命を奪ったか、分かってる?」

 その言葉に、山下の目が揺れた。

「……運び先の住所、覚えてる?」

「い、いや……俺は……」

≪記憶の曖昧さを補うため、端末位置情報のバックアップを参照中。記録あり。三田市郊外の倉庫群を経由。≫

 片瀬が端末の画面を吉羽に向けた。

「GPSが残ってる。こいつ、そこまで行ってるわ。」

「……やっぱりね。」

 吉羽は立ち上がり、椅子の音が鋭く床に響いた。

「あなたが全部話す気にならなくても――もう、ウチが暴いてるの。隠せることなんて、ひとつもないわ。」

 山下は肩を落とし、力なく項垂れた。

「……俺……殺したくなんてなかった……」

「殺したのはあんたじゃない。」

 渡辺が低く言った。「でも、見て見ぬふりをした。それが、あいつらに“時間”を与えた。」

 ――沈黙。

 ただ、安い蛍光灯の音だけが響いていた。

≪対象Aの供述とデータ照合完了。犯人との直接接触はなし。しかし輸送ルートと受取場所の特定に有用な情報を保持。≫

 吉羽は深く息をつき、蛇の目の分析を聞きながら椅子を押し戻した。

「……あとは、私たちが使う番ね。」

 渡辺が肩を鳴らし、片瀬が黙ってうなずく。

 彼らの視線の先には、すでに次の現場――“犯人の影”が見え始めていた。

 蛇の目のディスプレイには、港と倉庫群を結ぶ新たなラインが静かに描き出されていく。

 それは、犯人の網の一部であり、崩壊の端緒でもあった。


「……出たわ」

 片瀬が短く息をついた。画面上に文字列が浮かび上がり、吹き出しのように並んでいく。

「暗号化されたメッセージの復号、成功しました。送受信履歴もほぼ完全に復元できた」

「やっと、だな……」渡辺がぼそっと呟く。「これで少しは核心に近づけるか」

「ちょっと待って」吉羽が一歩前に出た。

「そのやり取り、どこからどこへ送られてるの?」

「複数の端末とやり取りしてるけど、主に固定された一つのアカウントと繋がってるみたいです。送信元は匿名化サーバー経由……でも、パターンがある」

「パターン?」秋山が眉をひそめる。

「ええ。時刻とGPSログ、それから文面の癖です。これは“個人”じゃなくて、“指示システム”の可能性もある」

 片瀬は数行のメッセージを拡大表示する。

【復元されたメッセージ】

「04:32:到着地点変更。新神戸に指示通り」

「05:05:番号で認証。対象物はすでに冷却済み」

「05:10:次の引き渡しは“西の倉庫”。GPS添付」

「06:00:現金受領。対象は開けるな」

「07:00:報酬は三段階で支払う。口外は不可」

「……対象って、あのコンテナのことよね」吉羽が静かに呟く。

「“開けるな”って、遺体が入ってるのを知ってたってこと?」

「知ってた可能性は高い。ただ、直接的に“死体”ってワードは一度も出てきていない」片瀬がスクロールする。「すべてが“対象”とか“品物”で統一されてる」

 秋山が顎に手をやった。「運び屋たちは“何を運んでいるか”を明確には知らされていなかった。あるいは――知っていても証言しない可能性もあるな」

「それに、受け渡しの時間がきっちりすぎる」渡辺が指摘した。「これ、ただの裏稼業の運び屋じゃない。組織化されてる」

「“西の倉庫”ってどこ?」吉羽が聞く。

「位置情報、出しました」

 片瀬がワンクリックで地図を表示すると、兵庫県内沿岸部の倉庫群が表示された。

 赤いピンが打たれた場所は、かつて輸入品の検査場として使われていた民間倉庫だった。

「これ……人がほとんど出入りしていないエリアね」吉羽が呟く。

「表向きは閉鎖されてるのに、裏では動いてる」

「巧妙だな」秋山の声が低く響く。

「コンテナを偽装し、運び屋を使い、遺体を移送する。計画性が高い」

 その時、蛇の目の端末がゆっくりと起動音を立てた。

 ホログラム状のインターフェースに冷たい光が走り、無機質な女性の声が響く。

『通信履歴の解析完了。送信先の一部に共通する“シグネチャ”を検出しました』

「シグネチャ?」渡辺が顔をしかめる。

『同一パターンの暗号鍵が、過去三件の未解決失踪事件と一致しています』

「三件……?」吉羽が息を呑む。

「それって、今回のエンバーミング殺人と――」

『構造的に同一。物流ルートもほぼ一致』

「つまり……この犯人、かなり前から動いてたってことね」吉羽の声がかすかに震えた。

 秋山は目を細める。「蛇の目、送信元の追跡はできるか?」

『不可能。三重の匿名化サーバー経由。だが……“発信タイミング”の偏りから、関西圏に物理的な拠点を持つ可能性が高い』

 片瀬が素早くキーボードを叩いた。「ログを全部抽出する。これ、完全にプロです。闇バイトのレベルじゃない」

「……犯人、こっちを嘲笑ってるのかもしれないわね」吉羽が低く呟いた。

「“対象”だなんて、まるで人間を物みたいに扱ってる」

「事実、奴らにとって“人”じゃないんだろうな」渡辺が答える。

「運搬する物資の一部……それが、遺体だ」

 秋山は全員の顔を順に見回し、静かに口を開いた。

「メッセージの送信時間と倉庫の位置、そして運び屋の供述を突き合わせれば、犯人の“安全圏”はもっと絞れるはずだ。蛇の目と片瀬、並行して解析を続けろ」

「了解」片瀬が即答する。

「恵美、渡辺。お前たちは運び屋の供述の裏を取れ。時間が惜しい」

「……ええ。絶対に吐かせるわ」

 吉羽はコートの裾を翻し、捜査室を後にした。

 蛇の目のホログラムは静かに明滅を続けていた――まるで、どこか遠くから、この人間たちの焦燥を冷ややかに見下ろしているかのように。


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