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蛇の目/requiem  作者: ふゆはる


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10/21

第10話/目の中の異物

 解析室には低い電子音が静かに響き、壁面いっぱいの大型スクリーンに遺体写真と解析データが並んでいた。夜の科警研第二課は、いつもの淡い蛍光灯に照らされながら、まるで冷凍庫のように冷たく張り詰めた空気に包まれていた。

「――蛇の目、犯人プロファイルを開始。」

 秋山慎一郎の声に反応し、スクリーン中央に蛇の目のUIが浮かび上がる。AI特有の冷徹な声音が室内に流れた。

「プロファイリングを開始します。対象は兵庫県内連続殺人事件、現時点で確認されている遺体10体。すべての遺体に共通する異常を洗い出し、行動パターン、心理特性、犯人像を構築します。」

「行け。」慎一郎は腕を組み、静かにモニターを見上げる。

 蛇の目はまるで呼吸するようにデータを読み込み始めた。脳波のシミュレーション、血液解析、解剖所見、現場写真。解析音がテンポを上げ、スクリーン上にいくつもの映像が一斉に点滅する。


「遺体1から10までの共通点を抽出……異常値検出。被害者の眼部データを解析中。」

「眼部?」渡辺直樹が首を傾げる。

「ちょっと待って、それは現場検証では特に――」片瀬梓が端末を操作し始めるが、蛇の目の声がそれを遮った。

「被害者の虹彩部に、人工的な色調差分を検出。これは……カラーコンタクトレンズです。」

「――は?」

 部屋の空気が一瞬、止まった。

「補足します。装着位置は左右とも角膜中央。自然な瞳孔収縮との齟齬あり。つまり、死亡後に装着された可能性が高い。」

 吉羽恵美が一歩、前に出た。彼女はスクリーンに映し出された遺体の眼部拡大画像を食い入るように見つめる。薄い灰色がかったカラーコンタクト――血の気を失った眼球に、異様なほど鮮やかに浮かび上がっていた。

「……気づかなかった……」

 その言葉が自然と口から漏れた。

 渡辺もすぐに資料をめくり、現場写真を改めて確認する。「くそ……これ、確かに現場では違和感なんて感じなかった。照明と血痕、湿度、全てに紛れてたんだ。」

 片瀬も額に手を当てた。「コンタクトの光沢が、乾燥と変色で肉眼では識別できなくなってた……。でもAIなら虹彩反射と素材の屈折率のズレを検出できる……そういうことか……。」

 蛇の目の声は冷たいままだ。「はい。現場検証では見落とされるレベルの極小差異です。しかし、このレンズは安価な市販品ではありません。特殊加工されています。通常のカラーコンタクトと違い、角膜上での長期装着に耐える医療グレードです。」

 慎一郎の眉がぴくりと動いた。「――つまり犯人は、死体に意図的にそれを装着している。」

「トロフィーの一種か?」渡辺が呟く。

「それとも……演出。」吉羽は低く言った。


 スクリーンには、10人分の眼部写真が並べられ、それぞれに色味の微妙な違いが表示された。青、灰、薄紫――どれも冷たい色合いで、まるで“死人の眼”を飾るために選ばれたかのようだった。

「色調データの一致率を算出……8人分は同一製造ロット。2人分は別ロットだが同一メーカー。」蛇の目が淡々と告げる。

 片瀬が驚きの声を漏らした。「同一ロットってことは……ひとつの供給元を持ってる可能性が高い!」

「犯人は計画的にこのレンズを入手している。」慎一郎が低く言った。

 吉羽は目を細めた。「……ただ殺すだけじゃない。死体を“飾る”意図がある。まるで、作品の一部のように。」

 蛇の目が即座に反応する。「この行為は一部の連続殺人犯の特徴と一致。被害者の眼に象徴的な処置を施すことは、支配と記号化の意味を持つ可能性があります。」

「……つまり、犯人は自分の犯行に“サイン”を残している。」渡辺が拳を握る。


 吉羽は、スクリーンの冷たい光を見上げながら、奥歯を噛みしめた。

 ――自分たちは、この“サイン”を何度も見逃していた。

 法医学的にも、現場の照明的にも、気づくのは難しかったと理解はできる。それでも、連続殺人の現場で「共通点」を見逃していたという事実は、主任捜査官としての彼女に深い傷を残した。

「……蛇の目がいなければ、このまま進展しなかった。」

 慎一郎が静かに彼女の横に立った。「恵美、それは責めることじゃない。蛇の目の役割は、俺たちが見えないものを見ることだ。人間の目は限界がある。」

「……でも、見落としたのは事実です。」吉羽は低く返した。

「だから次は、見逃さない。」慎一郎の声には揺るぎがなかった。「犯人はサインを残す。なら、次も必ず同じパターンがある。俺たちは、そこで捕まえる。」


 蛇の目が再び静かに告げる。

「犯人像を再構築します。

 ・死後の処置に時間と労力をかける傾向

 ・医療または美容分野に通じている可能性

 ・特定メーカーの特殊コンタクトレンズの入手経路を持つ

 ・演出欲求が強く、被害者を“作品化”する心理パターン」

 片瀬が素早く端末を叩いた。「このコンタクト、国内では10箇所の医療系ディーラーでしか入手できない。購入記録を洗えば、かなり絞れる。」

 渡辺が拳を鳴らした。「今度こそ、逃がさねえ。」

 吉羽は深く息を吸い込み、スクリーンの眼を見返した。

 犯人のサイン――それは今、ようやく見えた。


 吉羽恵美は机上に並べられた司法解剖報告書を、まるで一枚一枚が自分を責め立てる証拠であるかのように睨みつけていた。

 蛇の目が指摘したカラーコンタクトレンズ――その存在は、すでに司法解剖段階で「眼部異物」として記録されていた。

「……見てください、ここです。」

 片瀬梓が震える指で報告書の一文を示した。

 《角膜表面に人工物の装着を認む。視覚補助具または装飾品と推測される》

「……あったんだな、ちゃんと……」渡辺直樹が低い声で呟く。

「異物っていう記述は見てた。でも……」吉羽は唇を噛みしめた。「――そこに踏み込まなかった。」

「カラーコンタクトくらい、今の時代じゃ珍しくもない。」片瀬が自嘲するように笑った。「被害者が生前からつけていた可能性も考えた。――いや、考えたっていうより……“気に留めなかった”の方が正しい。」

 慎一郎は報告書をゆっくり閉じ、全員の顔を順に見た。

「エンバーミング処理が目立ちすぎたんだ。俺たちはそっちに注意を奪われた。身体処理の異常に意識が集中しすぎて、細部の異変を軽視した。」

 渡辺が悔しげに机を拳で叩く。「最初の遺体から“サイン”は出てたってわけか……クソッ!」

 蛇の目の声が室内の天井スピーカーから淡々と響く。

「人間の注視傾向は、強い異常点に注意が集中する傾向があります。エンバーミング処理は非常に特殊な死後処理であり、それが他の異常を覆い隠したと考えられます。」

 その無機質な声が、逆に人間たちの胸を抉った。

 吉羽は深く息を吸い、目を伏せる。

「……わかってる。AIには感情なんてない。でもね――私たちが気づいていれば、もっと早くこの“意図”にたどり着けた。」

 慎一郎は静かに頷いた。

「後悔は、今ここで噛みしめろ。次は、逃すな。」

 片瀬は再び端末に視線を戻し、解析データを指先でスクロールする。

「異物って書かれた箇所、全遺体共通で“眼部”だった……。こんなにわかりやすい共通点を、私たちは“ノイズ”だと思い込んでた。」

「エンバーミングっていう派手な演出に、まんまと目を逸らされたんだよ。」渡辺が唇を噛む。

 蛇の目が即座に反応する。

「犯人は意図的に複数の異常点を配置している可能性があります。ひとつの異常が他の異常を覆い隠す――この構造は、犯人が観察眼を持ち、捜査側の“視線”を読んでいることを意味します。」

「つまり――俺たちの心理をも犯人は計算してる。」慎一郎の声は低く沈んだ。

 吉羽は静かに報告書を握りしめた。

 薄い紙が、爪の跡で少し皺になる。

「……後悔は、今ここで終わらせる。犯人は必ず“この目”を次も飾る。だったら、次は私たちがそれを見抜く。」

 渡辺がうなずいた。「逃さねぇ……次こそは。」

 片瀬も小さく息を吸い込み、端末を閉じる。

「今度は、蛇の目だけに頼らない。人間の目でも、ちゃんと見る。」

 室内の空気が、少しだけ変わった。

 後悔の重さは消えない。だが、それが追跡の熱に変わる瞬間だった。

 慎一郎は短く指示を出す。「――カラーコンタクトの製造元と流通を徹底的に洗え。今度こそ、こっちが一枚上手に回る。」

 蛇の目がすぐさま応じた。「了解。照合データベースを開きます。該当メーカー、ロット番号一致を検索開始。」

 冷たい人工音が部屋を満たす一方で、人間たちの胸には静かな炎が宿りはじめていた。

 ――犯人の“演出”は、もう見逃さない。

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