私と着せ替え人形
1部
早瀬 美桜、中学二年。
服とおしゃれが大好きで、毎日スマホで新作やコーデを眺めるのが習慣になっている。欲しい服はたくさんあるけど、お小遣いの範囲じゃなかなか手が届かない。
それでも「次はこれを着たい」と思い描くだけでわくわくする。
友達と一緒にいるときは、つい彼女たちの服やコーデに口を出してしまうこともある。
「それならこの色を合わせた方が可愛いよ」とか、「靴はこっちの方が雰囲気出るよ」とか、勝手にアドバイスしてしまう。
誰かのために何かをしてあげたい、喜ばせたいという気持ちは強いかもしれない。おしゃれを通して、少しでも周りの人を輝かせられたらいいな、と思っている。
だから、アドバイスを受けた友達から「ありがとう、美桜のおかげで可愛くなれた」と言われると、心の底から嬉しくなる。
その他の趣味といえば、こうして日記を書くことくらいだろうか。
そんな私には、昔から知っている男の子がいる。
名前は藤堂 颯真。
同じ中二だけど、クラスは違う。
小学校も別だった。
でも、うちの親同士と颯真の親は大学の同級生で、家族ぐるみの付き合いがずっと続いている。小さい頃はお互いの家に泊まり合ったり、一緒に旅行に行ったり、アルバムをめくれば親戚の子よりよく写ってるような仲だった。
ただ、中学生になってからは少し違う。
颯真は大人しいし、友達とつるむより家で過ごすタイプ。
女の子と並ぶのが気恥ずかしいのか、中学校では私とは喋らない。手を振っても「嫌」みたいな顔をする。
……まあ、いいんだけど。
⸻
そんな私がいまいるのは、藤堂家の庭。
今日はたまに開かれる家族同士のBBQ。
じゅうじゅうと肉の焼ける音と煙が漂う中、私は同級生の顔を見る。
藤堂 颯真。
全体的に地味。
髪もぼさっとして、制服の着こなしもまるでマニュアルどおり。
靴もバッグも普通。
良く言えば平均、悪く言えばパッとしない。
顔は正直、悪くない。むしろ整っているほうだと思う。
「美桜ちゃん、颯真のこと、ちょっと見てあげてよ」
焼き網を見ながら、颯真のお母さんがふいに声をかけてきた。
「我が子ながら顔はいいと思うんだけど、全然モテなくてね。小学校のときなんか、チョコひとつも貰えなかったのよ」
……なるほど。
私は思わず彼の方を見る。
ちょうど炭の火加減を手伝わされて、半袖から伸びた腕が光っていた。
素材はいいのに、表に出てない。
――私が整えてあげたら、絶対変わる。
私の中のプロデューサー心に火が着いた。
⸻
その日の夜、私は颯真の部屋にいた。
「な、なんで勝手にタンス開けてんだよ」
「別に勝手じゃないし! おばさんの許可は取ってます」
「俺の部屋だから!」
いつもこんな感じだから、制止も聞かずにタンスを開ける。
開けてから思ったけど……
中学生男子のタンスって、エロ本が隠してあるって聞いたことがある。
ちょっと緊張しながら奥を覗いたけど……出てこない。
よかったような、つまらないような。
「何探してんの?服の奥に何かあった?」
「べ、別に!」
出てきたのは、色あせたTシャツや形の古いジーンズ。私は呆れてため息をついた。
「これ……中学生男子の“標準装備”って感じだね。もうちょっとマシなの無いの?」
「うるさいな」
⸻
次の日。
「じゃあ、美桜ちゃん、よろしくね!」
颯真と二人、自転車を並べて走っていた。
その後、近くの大型ショッピングモールに入っているファストファッションの店舗へ。
「いやぁ、男子の服を選ぶのって楽しい!」
私はラックに並ぶシャツを手に取りながら声を上げる。
「お金はおばさんが出してくれたし、気にせず選べるし……あ、もちろん安めのにしてるよ?」
男子の服はサイズや色が限られていて、着こなしの幅が少ない。女子服は自由度が高く、色や形、レイヤードも遊べる。だからこそ、私は颯真に合うシャツやパンツを選ぶのが楽しかった。
色とりどりのシャツを手にとっては、颯真の顔に当ててみる。白は清潔感があるし、ネイビーなら落ち着いた雰囲気が出そう。チェック柄を当ててみれば「いや、それはちょっと子供っぽいか」と首をひねる。黒のジャケットを見つけた瞬間には思わず「これ!絶対似合う!」と声を上げてしまった。
普段、着られないものが彼を通して着れる。黙ってついてくる颯真を見て、私は満足げに笑う。
「キャバクラで女の子に服を買ってあげるオジサンの気持ちが、少し分かった気がする」
「将来もし大金掴んだら、若い男捕まえて着飾らせたりしちゃうんだろうか……」
「いや、それはそれで怖い」
でも、選んでいる今はただ楽しい。颯真をマネキンみたいに思い浮かべながら、私は手を止められなかった。
試着室から出てきた颯真を見て、私は息をのんだ。
白いシャツに細身のパンツ。シンプルなのに、ちゃんと似合っている。
「……おぉ」
少し背が高く見え、ドキッとした。
⸻
ショッピングモールでの服選びが一段落すると、髪型の話になった。
「せっかくだから、少し整えた方がいいかもね」
私は颯真の髪を触りながら提案する。
向かう先は渋谷の美容院だ。
東横線で渋谷まで一本だから、私はついていった。
美容院のスタッフはキョトンとした顔をしていたので、「姉です」と言ったら安心した様子。
颯真は少し苦い顔をしていた。
美容院では、床に切った髪が散らばり、シャンプーの香りが漂う。
鏡の前で椅子に座る颯真は少し落ち着かない様子だったけれど、私の指示通りに前髪を軽く流し、後ろは少しすっきりさせるだけで、印象がぐっと変わった。
次に制服。
颯真はいつも「普通に着ればいい」と言うけれど、私は少し手を加えた。シャツをインして、ネクタイの結び方を直し、靴下の長さも揃える。
鏡越しの彼は以前より背筋が伸び、自然と凛とした雰囲気が出ている。
「ほら、颯真。これなら学校でも目立たないけど、ちゃんと整って見えるでしょ?」
「……あぁ、確かに違うな」
少し照れくさそうに笑う姿が可愛らしかった。
その後、靴を買いに行き、形や色、素材の違いを確認しながら「この色なら制服にも合う」「ソールが柔らかい方が歩きやすい」と教える。
颯真は少し戸惑いながらも、私のアドバイスを聞いて選んでいく。
カバンも同様。
古く擦り切れたリュックを前に、「これなら通学でもかっこよく見えるよ」と説明し、サイズや形、色の組み合わせまで一緒に考える。颯真は黙ってうなずき、私が勧めた黒いシンプルなバッグを選んだ。
その日の帰り道、颯真は明らかに違う空気を纏っていた。
私は後ろからそれを見て、満足げに笑った。
帰り道、自転車をこぎながら何度も彼の横顔を盗み見てしまう。
整えれば、やっぱり光る。
でも颯真本人は「なんか落ち着かない」って、まだ自分のものにできてない顔をしていた。
私はふふんと鼻を鳴らす。
「ま、これからだね」
⸻
最後に、服の選び方を教えることになった。
最初の日は、色の組み合わせやサイズ感の話をしても、颯真は戸惑うばかり。
「これとこれを合わせたらどう?」
「え、なんか変じゃない?」
思った通りにはならず、少しフラストレーションが溜まる様子だった。
でも、数日かけて一緒に選ぶうちに、少しずつコツを掴んでいく。
シャツの色をどう組み合わせれば顔映りが良くなるか、パンツの丈や靴とのバランス、季節や場面に合わせた着こなし。
家に何度も通うことになったけど、おばさんも嬉しいみたいで、喜んでくれた。
服は最初は私が全部決めていたけれど、今では颯真が自分で組み合わせを考えてみるようになった。
「……あ、これなら悪くないかも」
自分で選んだ服に少し自信を持ち、鏡の前で小さく笑う颯真を見ると、私も嬉しくなる。
何度も失敗しながら、でも少しずつ上達していく様子は、見ていて飽きなかった。
颯真は、以前より少し堂々としている。
髪も整い、制服も靴もバッグも整って、自分の着こなしを楽しむ余裕が少しだけ出ていた。
私は後ろからそれを見て、満足げに笑った。
「ふふ、教えるのって楽しいかも」
思わず独り言が漏れる。
颯真が少しずつ服を自分で選べるようになっていくのを見ていると、私、もしかして人に教えるの向いてるのかもしれない――そんな気持ちが心の中に芽生えた。
ーーー
2部
夏休みが明けて数週間。
颯真は隣のクラスでも少しずつ注目されるようになった。
私は、休み時間に女友達のサクラを訪ねて、颯真のいる隣クラスに行くことも多い
女子が休み時間に話しかけてくることもあるが、彼は困った顔で言葉に詰まり、ぎこちなく答えるばかり。
席で固まってしまうこともあり、周囲からは「ちょっとおとなしいけど顔はいい」と見られている程度だった。
放課後、私たちは神社の隅で待ち合わせた。LINEで時間を合わせ、誰にも見つからないこの場所で直接会えるのは便利だ。
私は手振りを交えながら、褒め方や冗談、少女漫画的な俺様口調の使い方を丁寧に説明し、彼に何度も実践させた。
颯真は腕を組み、眉をひそめ、時々ため息をつきながら「そんなこと言わなきゃダメなの?」と小さくぼやく。
神社での練習の合間、私は颯真の動きをじっと見つめていた。
会話の切り出し方や冗談の言い回し、笑顔の間合い……
少しずつだけれど、確実に上達している。
「ふふ、ちゃんとできてる……」
思わず小さく声が漏れる。
頑張って練習した結果が、目の前で形になっていく様子は、まるで自分が育てた子どもが成長していくかのような喜びだった。
手取り足取り教えながら、颯真が少しずつ自信をつけ、女子に自然に対応できるようになるのを見ると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「教えるって、楽しい……ただ服を選ばせるだけじゃなくて、誰かを輝かせる喜びもあるんだ」
そう思った瞬間、私は自分が颯真の“プロデューサー”として、この時間を心から楽しんでいるのを実感した。
数日後、隣のクラスでの颯真の様子が少し変わり始める。
背筋が伸び、髪や制服も整っているせいか、女子が自然と笑いかけてくるようになった。
ただ、話しかけられても言葉が出ず、ぎこちない笑顔のまま固まることが多い。
友達や女子から「頑張ってるね」と声をかけられるが、本人はまだ少し不安そうだった。
木曜日の放課後、再び神社で練習することに。
颯真は
「俺、やっぱり無理だよ……」
と肩を落とすが、私は根気強く指示を出す。
「軽く肩を叩く、冗談を交える……ほら、もう一度やってみて」
少しずつ手や声の使い方に慣れ、以前より上手く実践できるようになっていく様子を見ると、私も自然と笑みがこぼれた。
秋になると、クラスでの颯真は明らかに変化していた。
話しかける女子の前でも少し余裕が出て、笑顔を返したり小さな冗談を交わしたりできるようになった。
まだ完璧ではないけれど、固まることは減り、女子の反応も好意的になっている。
ある日、帰り道で颯真のママと会った。
「美桜ちゃん、いつも颯真のこと見てくれてありがとうね。
おかげで少しずつ自信がついてきたみたい。あなたって本当に面倒見がいいのね」
その言葉を聞いた瞬間、胸がぽかぽかと温かくなる。
頑張ってきたことを認めてもらえたようで、思わず顔がにやけてしまった。
「え、そ、そんな……」
と照れながらも、内心は嬉しくてたまらない。
自分がこうして誰かに感謝される立場になることなんて滅多にないから。
「本当に助かるわ、美桜ちゃん」
母親の笑顔を見て、私は自然と頷いた。
小さな努力が誰かを喜ばせている――それは嬉しい瞬間だった。
神社での練習。
颯真は「……うーん、やっぱり恥ずかしいな」と少し戸惑いながらも、私のアドバイスに従い、軽く髪に触れたり、冗談を交えたりして演習する。
LINEで集合時間を合わせたこの場所で直接会って練習できるのは、やはり効率が良い。
彼の動きは以前より自然で、女子に喜ばれるリアクションになっていた。
その日の帰り道、颯真を後ろから見ながら、私は心の中で笑った。
「ふふ、なんか楽しいかも。私、人を良い方向に変える才能があるのかもしれない」
と、小さな達成感が胸に広がる。
ーーー
水曜日の休み時間、颯真のクラスの女子が「藤堂君、最近なんか良いね」とヒソヒソ話しているのを廊下で聞いた。
私は、「そうだろう、そうだろう」と嬉しくなる
ーーー
火曜日、教室での出来事を友達から聞いた。
颯真が、最近人気のある女子から小物のプレゼントをもらったらしい。
けれど、受け取り方もぎこちなく、曖昧な笑顔で終わってしまったとか。
(はぁ……またチャンスを逃してるじゃん、颯真ったら)
私はすぐにスマホを取り出し、LINEを打ち込んだ。
――「放課後、いつもの神社に来なさい」
返事は短く「了解」。
⸻
夕方、神社の境内。
鳥居の向こうに現れた颯真は、少し居心地悪そうな顔をしていた。
「で? 呼び出して何の話だよ」
そんな厨二病みたいな受け答えして。私が知らないとでも思ってるのか?
私は腰に手を当てて、すぐに本題に入った。
「アンタ、今日プレゼントもらったでしょ? 上手く対応できなかったって聞いたよ」
「……見てたのかよ」
「見てない。友達から聞いたの。でね、提案があるの」
私は人差し指を立てて言った。
「今度その子に会ったら、、。なんか特別なこと。そうだな。その子の髪を触りなさい」
「え? ダメだろ、そんなの」
「良いんだよ! プレゼント渡すくらいアンタのこと好きなんだから、それくらい許してくれるって」
「でも……」
「あぁ!」
私は落胆して大きな声を上げ、両肩を落とした。
「そんなんだからダメなんだよ、颯真は!」
つい語気を強めてしまう。
私は颯真を叱りつけた。
彼はむっとしたように顔を背け、低い声で言った。
「……分かったよ! やりゃいーんだろ!」
⸻
それから、神社での練習が始まった。
颯真はぎこちなく手を伸ばし、私の前髪にそっと触れる。
ほんの一瞬のことなのに、颯真は耳まで真っ赤になっている。
「……ど、どうだ」
「アンタねぇ……髪に触れるくらいでそんな顔してどうすんのよ」
呆れたように笑ったけれど、少し私の心臓が動いた。
(……いや、私がドキってしてどうするよ?)
私は咳払いをして、説明を始めた。
「あと、前髪じゃなくて、ココ触りなさい」
私は、伸びてる方の髪か、ショートの子だったら頭を触るように教えた。
「いい? 髪に触れるっていうのはね、意味があるの」
「……意味?」
「そう。好きな相手からなら嬉しい。安心するし、特別扱いされてるって思える。」
「へ、体ならどこ触ったって一緒じゃないかよ…」
颯真の軽口に、私は顔をキリッとして教えた。
「でも、嫌いな相手や信頼してない相手からなら、気持ち悪いし、セクハラ扱いされることだってある。清潔感がない子がやったら、余計にマイナス」
颯真は真剣に聞きながら、口を引き結んだ。
「だからね、ちゃんと相手を見て判断すること。『嫌じゃないか』って空気を読むの。強引にやったら逆効果だから」
「……なるほどな」
彼は小さく頷き、まだ赤みの残る顔をそらす。
私はそんな彼を見つめながら
(まったく、教えなきゃなんにも出来ないんだから)
と苦笑した。
ーーー
2年の冬、夕暮れ前の神社に、女友達を連れてきた。
今日は、颯真に人と普通に話す練習をしてほしいと思ったから。
「ほら、話してみて」
私は颯真を見やりながら、女友達に合図を送った。
女友達は自然体で颯真に歩み寄る。
「こんにちは、颯真くん。美桜から聞いてるよ」
颯真は目をぱちぱちさせ、言葉が詰まっている。どうやら、戸惑っているみたいだ。
「え、あ、あの……」
私はそっと背中を押す。
「大丈夫、普通に話せばいいの」
女友達はまったく動じず、自然に会話を続ける。学校のこと、趣味のこと、軽い質問をして、颯真の返事を引き出していく。
でも颯真は視線を逸らしたり、手をもじもじさせたりして、言葉が出ない。完全に戸惑っている様子だ。
私は少し笑いをこらえながら、二人のやり取りを見守る。女友達が自然に会話を進めているのに、颯真だけが慌てふためいているのが面白くて仕方なかった。
風に揺れる木々の影の中、少しずつ颯真が言葉を返す瞬間を待ちながら、私は微笑んで立っていた。
始めはこんなだった颯真も、何人か連れていった春頃にはすっかり女の子と話せるようになった。
ーーーー
3部
中学3年になると、颯真はすっかり学校で注目の的になっていた。
今年も私たち2人は、違うクラスだったけど。
彼は、私が神社で教えた通り、女子たちへの対応を自然にこなし、次々に贈られる小物や手紙をスマートに受け取る。
髪に触れたり、笑顔を返すその様子はまるでホストのようで、女子たちは目を輝かせて話しかけてくる。
「今日も髪触ってもらったの!」
「わぁ、すごい、颯真君、やっぱりカッコいい!」
そんな声を聞くたび、私は小さく胸を高鳴らせながら、自分の“着せ替え人形”の出来の良さに上機嫌になった。
手をかけて育てた颯真が、こんなにも人々を喜ばせている──この快感は言葉にできない。
しかし、その一方で胸の奥には罪悪感も芽生えていた。
颯真のホストのような振る舞いは止まらず、神社での会議中にも自然に私の髪に触れてくる。
以前の彼にあった純粋さは消え、悪びれることなく「別に、女子を喜ばせたんだから良いだろ?」と軽く言う姿を目にして、私は自分の作り出した人形の魅力の強さに息を呑んだ。
金曜日の休み時間、教室で泣く女子を目にした。
告白して断られたという。
その瞬間、私はすぐに颯真をLINEで放課後の神社に呼び出した。
ーー
「付き合えばいいのに」
「……別に興味ないし」
彼は淡々と答え、私は少し焦った。
「お前はどうなんだよ……」
颯真は言った。
「お前は、田宮と仲が良いじゃないか」
「は?」
田宮君というのは、私のクラスの男子だ。
他の男子より話しやすく一緒に話すことも多かった。
子どもみたいな議論のすり替えに、私は少し怒って颯真を叱りつけた。
颯真の好きな女の子を聞いたが、のらりくらりした感じでまったく要領がつかめなかった。
私たちは話し合い、好きな子が居ないなら、とりあえず颯真が無闇に女の子と付き合うのはやめようと決めた。
しかし、颯真の“被害”は止まらない。
女子たちは髪に触れられたことを自慢し、次々に頼んでくる。
中学校の休み時間の廊下で は、彼がホストのように笑顔を振りまく様子を、私は観察せざるを得なかった。
休み時間、颯真は目の前にいる私だけでなく、別の女子にも目を向け、肩や髪に軽く触れながら「その髪型似合ってるよ」と褒める。
女子たちは赤くなって笑い、頬を手で押さえる。
私にも向けられた颯真のその手を振り払いながらも、心臓の高鳴りを抑えられなかった。
手先の柔らかさ、指の角度、笑顔のタイミング──すべてが計算され尽くしているかのようで、私は目を離せない。
プロデューサーとしての誇りは高まる一方で、女性としてドキドキしてしまう自分に気づき、私は颯真と距離を取った。
異性としてドキドキしてしまう自分、振られた女子たちへの罪悪感、そして自分だけが知っていた彼の純粋な魅力を失ってしまった悲しみ。
優越感は消え、胸の奥に焦りが広がる。
ーー
ある帰り道、颯真の母親に偶然出会った。
「美桜ちゃん。颯真君がかっこよくなったのは嬉しいけど、女の子を無碍にするのは心配なのよ」
おばさんは申し訳なさそうにいってたけど、その言葉を聞き、私は胸の奥が重くなる。
聞けば、颯真の家に別の女の子が訪れ、泣いて帰ることもあるらしい。
私は自分の育てた彼の振る舞いに、責任と悩みを感じた。
ーー
神社の空は夕暮れに染まり、紅色の光が鳥居を縁取り、長く伸びた影が地面に揺れる。
その頃になると、自分が作り出した“着せ替え人形”は、もはや制御不能で、学校中にその魅力を振りまいている。
風に揺れる木々の葉がささやく中、私は立ち尽くし、手のひらの熱を感じながら考え込む。
「どうしたの?大丈夫?」
気付くと颯真が立っていた。
今日は呼び出した訳でもないのに。
彼も1人でこの神社に来るんだろうか?
彼の手が髪に触れそうになり胸がざわつき、心臓が早鐘を打つ。
「私は、アンタの魅力にフラフラ付いてくるような安い女じゃないんだよ!」
思いっきり怒鳴りつけてやった。
言いながらも、自分の中で芽生えた感情に驚いた。
こうでも言わなかったら、自分は彼の手に抗えなかっただろう。
プロデューサーとしての喜びと、女性としてのドキドキ、振られた女子たちへの罪悪感、自分だけが知っていた魅力が消えてしまった悲しみ──複雑な感情が渦巻く。
いつもの会議が終わり、颯真は悪態をつきながら颯爽と神社を去っていった。
しかし私はしばらく立ち尽くしたまま、帰路の坂道を下ることができなかった。
風が頬を撫でるたび、胸の奥の重さが増していく。
今日もまた、颯真は人々を喜ばせ、私はその姿をただ見守るしかない──そんな現実を改めて突きつけられた日だった。
ーー
学校の隅で、私は彼の振る舞いをじっと観察する。
髪に触れる角度や距離感、笑顔の間合い……少しずつ上達していく姿は、まるで自分が手をかけて育てた作品が成長するのを見守るような喜びを伴う。
教える楽しさ、育てたことによる誇り、そして制御できなくなった魅力への恐怖──その全てが胸の奥で絡み合っていた。
ーー
夕暮れの空は刻々と暗くなり、神社の境内に長く影を落とす。
私は1人で両の手を握りしめながら、自分の複雑な感情と向き合う。
異性としてのドキドキ、罪悪感、責任感、そして制御不能になった恐怖──この全てを抱え、私は今日もまた帰路につくことができなかった。
4部
中学生活の終わりが近づく頃、私は自室で一人、悩みを抱えていた。神社での練習、学校での颯真の振る舞い、私が作り出してしまった“着せ替え人形”の魅力──喜びと罪悪感が入り混じり、頭の中は整理がつかないままだった。
去年の今頃の彼は、私の指導通りに女子たちを喜ばせ、自然に笑顔を振りまく。
だがその魅力は、もはや誰のものでもない。
学校中の女子が彼の動きに夢中になり、私はただ見守るだけ。
そんな自分の無力さを痛感しながら、手のひらで髪を撫でる癖を止められない自分に苛立ちも覚えた。
ある日、私は決心した。放課後、颯真を神社に呼び出す。
久しぶりの“秘密会議”で、私は最後の諭しを告げることにした。
「やっぱりむやみに学校の女の子達をその気にするのは良くない。アンタがその子のこと好きになって触ってるなら良いんだけど。誰でも好きで誰でも触るはダメ。みんなが傷付く」
私は少し息を整え、真剣な目で彼を見る。
「俺がその子のことを好きだからって触って喜ばれる訳じゃないだろ」
颯真は口を開いた、
「だったら触って喜んでくれる女の子を触った方がいい」
意外な発言に、私は思わず目を見開く。
好きな子を触って嫌がられたのか……そんな恋を彼がしていたとは知らなかった。
そういえば、私は一度も考えたことがなかった。
「好きな子にちゃんと向き合えば良いじゃん」
私は声を落としながら言った。
「無理なものはどう向き合っても無理だろ?好きな子のためにいくら努力したって、無駄なものは無駄なんだ」
彼の言葉に、私は彼なりの一途な恋愛観を垣間見た気がした。
無駄だと割り切りながらも、きちんと恋をしている。
その姿は、かつての私が指導していたホストのような彼とはまるで違う、私が小さい頃によく遊んでいた昔の颯真だと感じ懐かしくなった。
「とにかくダメだから。分かった?」
私の言葉はきつく響いたが、颯真はそれ以上何も言わなかった。
むやみに女子の髪に触れることはなくなり、学校での人気は続いたものの、誰かと付き合ったという話は聞かなかった。
私たちの神社での秘密会議も自然と行われなくなり、季節は進んで高校受験が近づく。
別々の高校に進学することが決まり、日常は新しい流れに飲み込まれていった。
たまに耳にする彼の噂は、私の心をざわつかせた。
「颯真君、文化祭で女子に手を握られて写真を撮ってたらしい」
「放課後、カフェで友達数人と楽しそうにしてたみたい」
どちらも、私にはどうすることもできない。
まるで、かつて私が作り出してしまった“怪物”を遠くで見守る博士のような気分だった。
それでも、家族ぐるみでのBBQや集まりの場で、私は時折彼に会った。
彼の私服は、いつも私のレクチャー通りに最新の流行を取り入れていて、鋭い目で私を睨みつけることもあった。
私から話しかけることもあり、たまに会話が続くこともあったが、向こうから話しかけてくることはなかった。
やはり、人の根っこはそう簡単には変わらないらしい。
私はその現実を受け入れ、ただ静かに日常に戻るしかなかった。
振り返れば、あの神社での時間も、私の“着せ替え人形”を作り上げた日々も、すべてが遠い過去の出来事のように思える。
だが、心の奥底には今も、制御できない魅力と、それを作り出してしまった自分への複雑な感情が残っていた。
颯真は誰かと付き合うことなく高校へ進み、私は自分の道を歩む。
たまに聞く彼の浮いた噂も、私にできることは何もない。
それでも、あの頃の神社での秘密会議、彼の髪に触れる指先、笑顔、すべては私の胸に確かに残っている。
そして私は、彼の存在をただ静かに見守るだけの日々を受け入れ、複雑な感情を抱えたまま新しい日常へと歩み出すのだった。
(おわり)