星が降った日
私の目の前で消えようとしている命はリヒトであり星であることを、私は【眼】を通じて理解していた。そして先ほどまで、主導権を握っていたはずのリヒトは既に舞台の裏側へと退いたことも、理解していた。
今、そこで夥しい光のウネリを放ち、蹲っているのは星だ。
「おのれ……ニンゲンごときがよくも……」
低く唸る星の声は既に擦れていた。血液が滲み、光に包まれた星は今まさに消えようとしている。これまでにどれほどの魂を食らってきたのだろう。放出された光の量は私の目を眩ませた。
「しかし…全ては徒労に終わるだろう」
星は不敵な、そして不気味な笑みを浮かべた。底知れぬ闇が滲み出すような恐怖がそこにある。
「私は既にアメリカの一部を攻撃している。それを…世界が許すわけがない」
星の不吉な予言は強ち間違いではない。ここにやってくるまでに、荒野と成り果てた都市を私は見た。
日本がこの攻撃を言い逃れる術はない。星に唆されましたと言っても、そんなものは子供の言い訳よりも酷い。
おそらく核が爆発しようが、世界に悪魔が降臨しようが、結末は同じだった。世界がそれを許すことはない。戦争が始まる。
「フフフ…マリルの守ろうとしたものを壊すことができることが、こんなに嬉しいとはね」
星は吐息のような笑い声を発した。私は目の前が真っ暗になるような感覚に陥る。
何のための犠牲だったのだ。何のためにここまでやってきたのだ。
自分の無力さを呪う。ぐっと拳を握り締めるが、もちろん何も起こらない。
「マリル。マリル。マリル」
星は呪文を唱えるように彼女の名前を連呼する。ただひたすら、彼女を求めるように。
「マリル。私だけのものだ。マリル。可愛いマリル」
星はゆっくりと手を私に向けた。血に塗れたその手に彼女を掴み取ろうとしているように。狂気だ。その執着と嫉妬は彼を歪ませるに充分なものだ。
「ヒトは殺しあうだろう。歪んだこの混沌の世界で」
星が抑えきれないと言わんばかりに声を上げて笑う。絞り出した声はホールを通り抜けて世界中に響いているのではないかと思うほどに大きく、非常で冷酷な色を帯びていた。
「そんなことは起こらないよ」
ナオトが確信に満ちた口調で言った。冷酷にも星を構成していた魂達は彼を見限ったように拡散し、やがて青き刃の一部となっていく。時折、咽ぶような声をあげる彼がなんとも惨めで哀れに思う。
「今、忍海が時間かけて必死に説得してくれている」
「命が失われたというのに…お前達のような奴が…許せる…わけが…ないだろう」
リヒトの美しい顔が醜く歪み、ナオトの方向を睨む。
「きっと時間が必要だけど」
「?」
「俺達は許しあえる」
ナオトは、かつて兄だった者に向かって言った。その声はあまりに優しく、切ない色を帯びていた。
「俺が兄貴を許すことができたように」
ナオトはゆっくりと光を放つ星に向かって歩きだした。そして目映い光を全身に浴びながら無力な星の前に立った。
「もう寝ろよ」
恐怖と焦りに支配された星が、その一言に反応するように瞳を閉じた。
「マリル……」
星は小さく力なく呟いた。気がつくと胸から放たれていた光は弱くなり、それは彼の肉体の消滅を意味している。
「マリルはもう死んだの」
私は言い聞かせるように星に告げた。星を生み出した彼女がかつて受け入れられなかった事実を諭す。
「そして、あなたもここで死ぬ」
私の一言で星は動かなくなった。その顔は安らかな寝顔そのものだ。
光の放出が終わり、先ほどまで流れ出していた血液も止まった。まるでとめどなく流れていた時が完全に止まったように。
「刀が……!」
青く光り輝く刀から放たれるものも、また青い光の柱だった。横たわるリヒトの腹に刺さったままの刀が放つ光柱は天を貫いた。天井がガーンと豪快な音を立てて壊れ、そこから大量の水が入り込んでくるが、私達は無気力のまま立ち尽くしていた。フロアに渦巻く洪水に飲み込まれる。
いっそ全てを飲み込んでくれればいいのに、と思った。神が人類に天罰を与えるように。
そう思ったのは私なのか、マリルなのか分からない。
この世界はかけがえのないものを失ったのだ。
この世界にもう、光はいない。
ナオトは許しあえる、と言った。私は手離しでそれに頷き賛同することができない。
冷え切った水が私を包み込んだ。私は脱力して、それに身を委ねる。
===============================
彼は常にリヒトに意識を集中していた。
遥か海を超えた自由の国にいる彼の気配を捉えることは、彼の力を以ってすれば簡単なことだった。
かつてリヒトのいた白い部屋で1人膝を抱えて座っている。既に数時間経ったけれど彼はずっとこうしているし、少なくとも3時を迎えるまではこのまま動けない。震える身体を鎮めることはしなかった。どれほど努力しても、その時のことを思うと、彼の身体は強張り自分のものではないもののように震えた。
リヒトの身体が星に乗っ取られようとしていることを既に感じ取っていた彼は心を傷めていた。
もうすぐ世界から光が失われる。自らの世界も終わりを告げる。
太陽が永遠に昇らなくなるならば、氷河期よりも性質が悪い。
そんな時だった。彼は変化を見逃さなかった。
「リヒト様?」
彼は長い茶髪を揺らしながら、部屋を出てビルの屋上に駆け上がる。大した運動でもないのにコアの彼が息を切らしているのは、緊張のせいかもしれない。
外はまだ真っ暗だった。午前3時なのだから仕方ない。太陽もこんなに早くには昇らない。
世界を覆う暗闇の空に、ぽつりと青い光のカケラが見えた。
ホタルのように儚げに光るそれに、彼は手を伸ばす。掌には一粒の砂。その砂が健気に青く光を放っている。
「これは……」
天を仰ぐと光の粒が次から次へと降ってくる。小粒の白雪のように、青の光の粒が世界を照らしている。この光には見覚えがある。というより、青い月の断片であることは間違いないだろう。
彼は再び意識を集中する。先ほどまで星に奪われかけていたリヒトの気配がくっきりと未だ残っている。一体何があったというのだろう。
彼は心からリヒトの無事を祈った。