ありがとう
慄然たる顔で私は星の顔を見る。誰もいなくなった静かなホールが急に寒々しく感じる。
「終わらせるつもりなの?」
目的は破壊。用意されているのは、日本の名を背負ったコア達が世界に宣戦布告するというシナリオ。
「時代は動く。この矛盾で歪められた世界は終わり、新たな秩序ある世界が始まる」
「秩序ある世界ですって?」
「変革の時だ」
星は高く右手を掲げる。ほっそりとした白い腕が天に向けられて直立する。微笑んでから全く表情を動かさないので精巧に造られた蝋人形のように見えた。
その手にはバスケットボールサイズの火の玉が握られている。
「やめて!お願いよ。マリルだってそう願っている!」
「マリル……。忍海マリル……か」
「そうよ!」
「フフ……滝島カオルよ、今の私の気持ちが分かるか?」
「え?」
「私は今、真の神になった気分だ」
笑みは揺らぐことなくこちらに向けられている。気がつくと星の足が30cmほど地面から離れている。
「ようやく私を生み出したマリルを、ただのヒトに過ぎない存在を乗り越えることができたよ。もう私を束縛するものは何もない。今の私にとってマリルなどどうでもいい存在だ」
風が吹き込んでくるわけでもないのに、ホールの空気が掻き混ぜられるように大気が動いている。目を輝かせて高笑いする星の声が何度も反響する。
「彼女が私を切り捨てたのならば、私も彼女を切り捨ててやる」
星は清清しい声で告げる。その手が振り下ろされようとした瞬間、ナオトが青い月を抜いて、星に斬りかかった。何も武器を持っていなかったはずの星は、いつのまにかナオトの刃を受け止めていた。炎を握っている右手とは逆の手に握られているのは緑色の刃だった。先ほどまで生命から放出された光が凝集されてような色をしている。
「これは……」
ナオトが驚愕しているのを星はほくそ笑んだ。
「そう。サンデと同じものだよ。生命エネルギーの具現化体。まぁ私のものは、彼の刃と異なる部分もある」
星がナオトの刃を跳ね返して、その緑に輝く刃を振り回した。
「お前の青い月と同じだよ」
膨大な命を飲み込んだ星はいまや青い月と同様だ。青い月がコアを再蝕し飲み込むように、星もその強大な力によって命を飲み込む。ナオトは一瞬の油断もできないということだ。
「本当にマリルを殺すのか?」
ナオトが訊ねた。最後の確認のつもりだったのだろう。
「お前が守ろうとしたものを自ら消すつもりか?」
星は宙に浮かんだままゆっくりと目を伏せた。ピクピクと頬が強張っている。その様子をナオトも曇った表情のまま見守っている。彼の手が小刻みに震えているのが離れていても分かった。ナオトは今おそらく葛藤に悩まされているだろう。目の前の兄を、無情に刺し殺すことを躊躇い、ひたすら考えている。
星はゆっくりと瞳を開けた。やはり穏やかな笑みを浮かべている。しかし先ほどと何か違う。その眼窩に埋め込まれた瞳には禍々しい色も、超然とした色もない。代わりにビー玉のような澄んだ2つの瞳がそこに埋め込まれている。
「そうだ。もう躊躇う必要はない」
星は挑発的な笑みを浮かべて、その右手に抱えていた炎をさらに巨大化させた。それは一気に膨れ上がり、巨大な気球のようにも見える。炎の猛る音と熱のせいで恐怖が湧いてくるが、一方で私は何かしらの違和感を覚えていた。
「もうオシマイにしよう。忍海ナオト」
星がチラリと私を見た。私と目が合い、【眼】が合った。
それが原因であろう。私は分かってしまった。そこで見えたもののせいで、私は大きく息を吸い悲痛な声をあげそうになる。私の心底に蹲る少女も同じく声を上げそうになるが、ぐっと躊躇った。自分を磔にして、欲望と衝動を抑えつけて、心のスイッチを切ろうと努力する。それでも心の中で暴れ出し、狂った痴女のように叫ぶ少女を私は敢えて無視する。
星はやがてゆっくりと右手を下ろした。その手が掴む巨大なものがホールの壁にぶつけられれば、その衝撃でここは爆発する。
「うわぁぁぁぁ!」
炎が手から離れる前に、ナオトの咆哮が響き、その手に握られていた妖刀夜明けの刃先が星に向けられた。
私の目には全ての動きがスローモーションに見えた。そして私の【眼】には星を抱きしめながら微笑むリヒトの姿が見えた。
そこにいるのは星ではなくリヒトだった。星が自らの身体から逃げ出さないように、彼は大切なものを抱えるようにして星を抱き締めている。
刃が彼の腹を貫いた。血潮が散布され、そのままリヒトはカクッと膝を曲げて前に倒れた。ナオトも咄嗟の自分の行動を処理できていないようだった。目が泳ぎ、倒れてきたリヒトの肉体を抱きとめ、金縛りにあったように動かない。
「これでいいんだよ」
ナオトの耳元でリヒトが小さく囁いた。消えそうで弱弱しくも、穏やかで優しい声で。
「ありがとう。ナオト」