確認したいことがある
手指を動かし、いとおしむような瞳で自身を見つめるリヒトは自己愛に満ちた狂人に見えた。身体を撫でる手の動きはどこか妖艶だ。
私は心臓を素手で握られているような傷みを感じていた。そこにいるリヒトはリヒトではない。先ほどと大きく異なるのは、一時的に星がリヒトの身体を占拠しているわけではなく、星が既にほとんどリヒトと交じり合うように存在しているという点だ。私の【眼】を通してその残酷な現実は伝わってくる。
「頭を使えば分かることだった」
星が抑えられない笑みを全面に出しながら言う。
「私がこのまま核を爆発させれば、リヒトの身体は傷つく。そんなことを私がすると思ったのか。丹精に作り上げたこの器を壊すと思ったのか?」
星が私に向けた問いは、私が先ほど思い浮かんだ考えと同じものだった。星は私達の到来を待っているのではないか。リヒトという器が運ばれてくるのを待ち続けているのではないか。
その答えはYESだった。
しかし正解したところで、結末は変わらない。
「兄貴……?」
「忍海ナオトよ。青い月よ」
ナオトは金縛りにあったように微動だにしない。リヒトに釘付けになって、このまま石像になってしまうのではないかと思うほどに。
「世界にお前が昇ることはない。これから捧げられるイケニエ達により、私は完全なる肉体を手にする」
低い声がホールにこだまする。何度も何度も反響が頭を揺らす。
星は天を仰ぐ。遠くに天井が見えるけれど、星はおそらくその先にある空を見上げている。
「マリルは?」
私が問う。まだ私の中に存在する疑問が1つ残っている。
「マリルはどうするつもりなの?ここで大爆発が起これば、私は……器は壊れるわ。そうすればマリルはまた器を探さなければならない」
「あぁ。その通りだ」
「会えないのよ?でも、あなたは今、ここで全てを終わらせようとしている」
「そうだ」
私は断言する星の意図が分からなかった。なぜあれほど大事に想っていた存在を、こうして失うことができるのか。
「私には無限の時間がある」
肩を竦めて笑う星の姿は、道化がおどけるのに似ていた。風刺絵のように、ユーモアと面白みを含みながら切実で実直な部分を兼ね備えている。
「器ならば作り直せばよい。ただ……」
「?」
「お前に確認しておきたいことがある」
星が私に訊ねること?私をただの器としか見なかった星が私に問うこと?私は戸惑いにも似た感情を抱いた。
「さっきお前は、マリルが泣いていると言ったな」
「えぇ」
先ほど告げたことに星は逆上し、耳を貸さなかったではないか、と咎める自分もいるが、見ないふりをする。
「マリルが泣いているのは、私のエゴのせいだと言った」
なんだこれは。尋問ではないか。
「マリルが願ったのだ。悪が生き、善が死んでいく理不尽で歪んだこの世界を変えろと。それを叶えることがエゴだというのか?」
世界を思うがままに操作する星が今悩んでいる。なぜ、こんなに揺らいでいるのかは分からないが、急に精神が不安定になった患者のように見えた。
私は胸の内に存在する小さな少女に語りかける。貴方の友人にどのような声をかければ、その間違いに気付いてくれるだろう、と。
かつて、少女が抱いた邪な思いは叶えられた。そしてある意味では世界が抱える理不尽さを正す命蝕という名のシステムが構築された。自然に死が訪れるのではなく、意思により死が与えられる世界。世界がおかしくなったのは何故だ。
「貴方は彼女を見失った。泣いていることに気付くのが遅すぎたんだよ」
「見失っただと?私はマリルしか見ていなかった」
「ノエルがコアとなった日、彼女は喜んでいた?その後、彼女がどれほど世界を救うために尽力したか、貴方は知ってる?」
「……」
「貴方はマリルを得たいと言う気持ちが強すぎて、彼女を苦しめたんだよ。それがエゴ。貴方には何も見えていなかった」
ズケズケと物言う私に星が憤怒する可能性もあったが、彼は静かに佇んでいた。おや、と思う。そこにいる青年は、ただの華奢な中世的な人間にしか見えない。安らかな表情で遠くを見つめている。
「で、確認できたの?」
「あぁ。できた。それでは、最後の質問だ」
本当に尋問だな、と思いつつも何かのカウンセラーを受けているような錯覚に陥る。私はごくりと唾を飲み込み、乾いた喉を湿らした。
「お前に尋ねても仕方ないことだが、マリルは私を憎んでいるのか?」
思わぬ質問に私は眼を丸くした。あれほどまでにマリルからの愛を信じていた星がなぜそんなことを今更訊くのか。
「再度問う。マリルは私を憎み、恨んでいるのか?」
私は右手を胸に当てて瞳を閉じる。そこには蹲るマリルの姿があった。涙は流していない。でも決して笑ってはいないし、声を発することもない。
「貴方はどう思うの?」
「分からないから訊いている。さぁ、答えよ」
「どうだろうね。恐れていたとは思う。貴方はマリルの願いから生まれたのでしょう?彼女の抱いた歪んだ願いから貴方は生まれた。マリルは貴方と向かい合うことを恐れていたと思う。自分の闇と向き合うことは誰だって怖い」
星は「そうか」と短く答えただけで、喜ぶことも悲しむこともなかった。
「もう時間だな」
星は、穏やかな笑みを浮かべ、唐突に世界の終わりが告げた。戦慄が走った。