許されない想い
自分でも何が起こったのか分からなかった。あまりに必死で抑えられない衝動に支配されていたから。
それでも高橋は白い壁に強く叩きつけられ、痛そうに背中を押さえているのは事実であり、わけの分からない事象の起こした結果だ。
「わ、わたし……」
手が震えていた。自分が何をしたのかさっぱり分からない。
誰もが動けずにいる中、ナオトだけが素早くオシリスに斬りかかった。オシリスは迫り来るナオトの猛攻にギリギリのところで反応し避けた。
「お前、ただの器ではないのか?!」
オシリスが声を荒げる。私はヒヤリと伝う汗を拭った。
「ハルキの血、か」
思いついたようにリヒトが呟いた。
「お前の中にはハルキの血が流れている。コアの血、コアの遺伝子。お前はヒトとコアの間に生まれた混血だからな。そういう力があってもおかしくはない」
コアの血。考えたこともなかった。私の思い出の中で笑う父は立派な人間だった。コアであることすら考えがたい存在だった。幼少時に父がいなくならなければ、全く年老いることない父の異常に気付いたかもしれないが。
いまや、オシリスの首元に青い刃が突きつけられている。形勢逆転だ。
「俺はもう兄貴を失いたくないんだ」
ナオトが低い声で言う。オシリスは取り乱しているようで焦点が合っていない。
「さようなら」
冷たく言い放ってから、青い月が彼の喉元を貫いた。赤い鮮血が飛び散り、そこから光が漏れ出す。断末魔のような耳を刺す仰々しい声が響き渡るが、ナオトは眉1つ動かさずにコアの最期を見つめている。鮮血がナオトの頬や衣服に飛び散るが、彼はそれを拭うこともしない。
やがてオシリスは消えた。何度かこの光景を見たことがあるが、跡形もなく消えて呆気なく終わるのはいつものことだ。命がこんなにすぐに消えてしまっていいのか、という命題がその度に私の中で浮上するが、その答えを導く暇はない。
「忍海はこえぇな」
高橋が首をコキコキ鳴らしながら、立ち上がる。仲間がやられたというのに、どこか嬉しそうなのが気味悪い。
「高橋サン。俺、あんたと戦うの?」
「どうした。俺を倒さないとリヒト様も世界も救えないぜ」
「変だと思って。俺と戦うことを望んでいるように見えるからさ」
高橋は笑みを浮かべている。そしてちらりと私の方を見る。その瞳からは何も読み取れないが、少なくとも今から闘おうとする者の眼ではない。
「ちんたらしてたら、時間が来ちまう。さっさとやろう」
高橋が床に落ちているナイフを拾った。先ほど私に突きつけられていたものだ。ギラリと鋭利な刃を輝かせている。
ナイフと刀ならば勝ち目はないのでは、と思うが、高橋の動きは素早く極めて流動的のため予測しにくい。ギンギンと鼓膜を震わせる音をさせながら、彼らは刃を交える。
「おかしいな」
「おかしい?」
リヒトが腑に落ちない顔をして、彼らの死闘を見守っている。
「何かおかしい。高橋は……」
私が先ほどから抱いている違和感を彼も抱いていた。ナオトから放たれているものが、高橋にはない。それが闘志であり、殺気であることに気付いた時、リヒトが呟いた。
「死のうとしている」
先ほどオシリスの血が付着したはずの刃は既に青く澄んだ輝きを取り戻していた。光に魅せられそうになる。踊るように刃は軽快に動き、高橋の肩をスパッと裂いた。
「高橋!」
私が悲痛な声を上げたのを高橋は笑いながら、その場に倒れた。私は思わず駆け寄った。敵であることは分かっていたのに、身体が言うことをきかなかった。
「高橋……」
「おいおい。無防備に近づくなよ。俺が敵だって知ってるだろうが」
高橋の顔をが見る見るうちに青白くなっていく。顔を歪ませながら笑みを作ろうとする見栄っ張りな高橋は、私の同僚の高橋ヒカルとなんら変わらない。
「あんた、おかしいよ。星の奴隷なんでしょ?なんでちゃんと闘わないのよ」
気がつくと涙が溢れていた。視界が曇り、頭がぼうっとする。自分でも何を言っているのか分からない。
「重力ってさ」
「え?」
「重力って意識したら逆らいたくなるもんだな」
途切れ途切れに告げる高橋の瞳は既に焦点を失っている。
「俺、お前のこと星に言われてずっと監視してた……」
「うん。そうみたいだね」
「でも、俺にも感情はある」
「うん」
「決して許されるものではないけれど」
高橋の口角が弱弱しくも上がる。そんな消えそうな笑みはやめてよ。前みたいに自信家でいてよ。私の事を馬鹿にしてよ。無理なお願いばかりが脳裏に過ぎる。
「俺はたぶんお前のこと好きだったと思う」
そんな優しい微笑みを普通の同僚だった時にしてくれていたら。声にならない思いが、涙となって溢れ出る。
「死に際でしか本音がいえないなんて、奴隷は最悪だな」
「高橋……わたし……」
「もう行け。俺の最期は誰にも見られたくない」
仰向けで寝そべる高橋の身体は透けつつある。動けずに固まっている私の肩にナオトの手がかけられる。
「行こう。カオル」
ぐしゃぐしゃの顔のまま私はナオトの顔を見上げる。ドキッとするほど切迫した表情を浮かべていた。
私は顔を拭って、小さく頷く。
「俺、わかったよ。青い月は」
高橋が呟く。
「みんなの思いで昇るんだ」
サンデ、ルイ。そして高橋。みんなが敵として闘い、青い月を星の元へ送り出す。世界を守りたいという消え去りそうな思いのカケラが、未熟なナオトに力を貸してくれる。
私達は高橋に背を向けて歩き出す。目の前でリヒトが高橋に向かって小さく一瞥するのが見えた。