扉のムコウ
私達が洞窟に入って30分ほど経った頃、ようやく息苦しい篭もった空気が吹き抜けるのを感じた。土の壁、土の天井。周囲の全てがただの洞窟だったにもかかわらず、突如天井がぽっかり開いた広場に出た。天を仰ぐと、快晴とはいえない青空が見えた。そして眼前には文明を感じさせる巨大な鉄の壁がある。おそらく基地の入り口なのだろう。
「この先だね」
リヒトが巨大な鉄の扉を仰ぎ見る。その重苦しい気配を放つ扉は人力では決して動きそうにない。
「どうするの?」
「どうしようか。斬鉄はできないよね、ナオト」
「ざんてつ?できないよ。そんな達人芸は」
うーん……と唸りながら俯くリヒト。落ち着いているように見えるが、時間があまりないことを重々承知のはずだ。そして思いついたように、彼は顔を上げた。
「鉄の融点は?」
私は思わず「え?」と声を上げてしまう。
「鉄の融点を超えればいいんだよな」
「な……なに言ってるの?確か1000℃以上よ。1500以上だったかもしれない。そんなこと……」
「できるよ」
リヒトはピョンピョンと跳ねて身体をリラックスさせている。これからサッカーの試合にでも出るような様子で、彼は膝を曲げたり、背伸びしたりしている。どうやら迷っている時間はないらしい。
「でも……離れていた方がいい。カオルは少し洞窟の奥に戻っていて」
ナオトは何も言わずに、私の手首を掴んで小走りで後退した。私も彼に半分引き摺られるようにして広場を後にした。私達が洞窟の通路に戻ったくらいで背後から轟音が聞こえた。急に体感温度が上がる。先ほどようやく手にした新鮮な涼しい空気が一瞬で熱を帯び、私の額から汗を放出させる。炎が放出された音がしてからも、リヒトの姿が確認できないくらい私達は洞窟の奥に戻った。
轟音が響いてから、次はバァンという豪快な爆発の音がした。リヒトが炎とは別の力を使ったのかもしれない。
「ナオト。あの扉の向こうにたくさんいるわ」
「何が?」
「コア。でもとても静かで、不思議な感じ」
どんなに頑丈な扉で隔てられた世界であっても私の【眼】なら心の動きが見えてしまう。
「もう占領されている。その中に」
身体が強張るのを感じた。口にするのもイヤになる。
「星の気配がある」
ナオトのごくりという喉元を唾が通り抜ける音が聞こえた。扉の向こうにあるのは地獄かもしれない。覚悟はしていたが、既に目の前にそれがある。
静まり、再び温い風が私の頬を撫でた時、軽く息を切らしたリヒトが現れた。運動場でスポーツをしてきたようにほんの少し汗をかいている。
「終わったよ。行こうか」
その立ち振る舞いが可憐で優雅なせいで仕事帰りにデートの誘いを受けるような気分になりそうだ。先ほどまで扉を焼き潰そうとしていたとはとても考えがたい。
広場の鉄の扉はただの鉄くずになっていた。向こう側に見える景色は、真っ白な部屋だ。
「熱いの?」
「いや、ちゃんと冷ましておいたよ。アフターサービス」
リヒトは小さくウィンクしながら、早足で白い部屋に入る。
「嫌いだな。この部屋。真っ白で何もない世界。自分が飲み込まれそうになる」
「リヒト……」
「進もう。奥にコアがいっぱいいるみたいだね」
白い部屋には何もない。おそらくミサイルや爆弾は全てもう少し奥に秘蔵されているはずだ。既に時間はあと30分に迫っている。
突如30畳ほどの何もない白い壁の部屋の奥からプシュっと空気が抜けるような音が聞こえてきた。白い壁の一部が動き、その向こうに人影が見えた。
「裏切り者のリヒト様、ですね」
立っていたのは異形のものだった。黒い毛並みのシェパードのような顔と人間の身体を併せ持つ者。間違いなくコアだ。まるで古代エジプトの死者の書から飛び出してきた冥界の王オシリスのようだ。
「星がお待ちです」
「わざわざお迎えか。随分暇なようだな、お前達は」
「あまり手荒な真似はしたくありません」
「強気だな。僕に勝つ気か?」
オシリスはすっと右手を挙げた。その瞬間、私は膨れ上がるようなコアの気配を感じたが、反応する時間もないまま、私の体の自由が奪われた。高橋が私の手を後ろで押さえ首元に鋭利なナイフが突きつけられている。
「貴方に勝てるとは思えませんから、こういう方法を取らせていただきますよ」
「いいのか?その女は器だぞ?」
「星に傷つけることを許可されています。脅迫しても無駄ですよ。言うまでもありませんが、忍海も動かない方がいい」
星は器を、つまり私を破壊することを望んでいる。強制的にマリルを外へ解放するために。私の体など構うことはない、ということだ。人質となった人間を見るのは初めてのことではないが、それが自分というケースは初めてだ。
「高橋……」
「俺とこんな形で接触するとは思わなかっただろ?滝島」
不敵な笑みを浮かべる高橋の顔が近くて、私は思わず顔を逸らした。
オシリスがリヒトに頭を垂れる。
「どうか、こちらへ。貴方がそちら側に着くのは敵側にジョーカーのカードを持たせるようなものですからね。こちらに分が悪すぎるのです」
リヒトはハァと大きく息を吐いて肩を竦めた。
「どうやら、行くしかなさそうだ。一緒に行けるのはここまでだ。カオル、ナオト」
「リヒト……」
「兄貴!」
ナオトは泣きそうな顔をしている。ようやく取り戻したものを手放すことは辛いだろう。それに、ここで手放せばもう手に入らないものかもしれない。その可能性のほうが高いのだ。
「私はどうなってもいい。そっちに行ってはだめよ!」
私は思わず叫んでいた。声はみっともないくらい裏返っていた。断じて私は彼らの足枷になってはいけないと思っているのに、彼らは私を見捨ててはくれない。そんな残酷な優しさが世界を滅ぼすと言うのに。
「さようなら」
リヒトはやんわりと微笑んだ。小休止はここで終わりだ。もう彼は再び星の支配下に戻ってしまう。私はその場で寝そべり、子供のように地団駄を踏みたくなる。失いたくない、という思いが脳の中を交錯する。
「いやぁぁぁぁ!」
声を上げる。こんなに声を上げた事はないだろう。自分でも信じられないほどの声量だった。白い部屋が膨張し、鉄骨がメキメキと軋む音がした。鼓動が早くなり、蠢くものを抑えられなくなり、吐き出す。
私から放たれた衝撃波で高橋が吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
ちなみに鉄の融点は1500℃です。