生まれたもの
ナオトと星は一定の間合いを崩すことなく刃を交わらせていた。お互い弾かれても姿勢を崩すようなヘマはしない。命の取り合いでありながら、一方で剣術稽古を見ているような感覚だ。
「何故力を使わないんだ?」
星は不敵な笑みを崩すことなく尋ねる。彼の言うチカラとはおそらくコアに特別に発現する不思議な力のことだろう。
今から思えば多発していた夜会もコアの非自然的な力によるものだと分かる。
あの謎の印もいわゆる魔法陣のようなものだったのかもしれない。遠くにいても、その印が彼らを導く。悪魔の印。
ナオトは少し俯き、顔を歪めた。
「使って欲しいのか?」
「ルイに使っていただろう?何故私には使わない?」
「さぁ。星が怖いからかな」
彼がそう言うと、星は狐に摘まれたような顔をしてから、声をあげて豪快に笑った。
「世界が滅ぼされるかもしれないという時に随分お気楽なことを言うなぁ。忍海は」
挑発的な星の態度にナオトは揺らぐことはない。黒髪に手を突っ込み、グシャグシャとかきむしっている。
「分かってるよ。お前の言うとおりだ」
「?」
「確かに今は緊急事態だ。恐れていてはいけないよな」
その言葉を合図にして、ナオトを纏う色が変わった。大気は動くのをやめ、貼りついたようにその場に留まった。そこにある空気そのものが息を殺して獲物を狙っているような緊張感を放っていた。その変化に気付いたのは勿論私だけではない。余裕の笑みを浮かべていた星も、傍らで突っ伏したまま不安そうに彼を見つめるルイも変化に気付き、目を丸くしていた。
やがてナオトを包み込むように無数の青い光の帯が現れた。地面から浮かび上がるように現れた光は生物の如く活動的なうねりを見せている。光の帯がやがて弧を描き、その弧は青き風となり、リヒトの肉体を襲った。青き風は刃の如く鋭い凶器と化し、彼の手足、そして頬を斬り裂いた。
「なるほど。確かにその力は怖るるに足るものだな」
星は笑みを浮かべながら顔から垂れる血液を拭った。
「だが私がお前に殺されることはないだろう。いかにその刀が非情で強力だとしても」
彼から紅い光が放たれた。星の握る大剣の刃に蛇がまとわりつくように、赤い光の帯が蠢いている。
絶対的な自信を星は抱いていた。彼が青い月を見下し、未熟なナオトを蔑んでいたのは彼の目と口調ですぐに分かった。
「私が命を育み増やしたというのに、随分くだらない成長をお前達は遂げてくれた」
星は口を動かしながら赤い刃でナオトを激しく攻撃する。時々巨大な火の渦がナオトを襲うが、その度にナオトは「力」でそれを打ち消した。
「神なるものをでっち上げ、くだらない命の取り合いをして、卑小な文明を築いた。私の声に耳を貸す者もいなくなった」
「星は随分寂しがり屋なんだな」
嘲笑をナオトが浮かべようとしたが、すぐにそれは必死な形相に変わった。攻撃を受け止めることに集中しなければ、間違いなく彼は死ぬ。
攻撃の手を休めることなく星は無表情のまま語り始めた。
「永い時を経て一人の少女が現れた。その少女は星の声が届く唯一の存在だった。それは全ての始まりだった」
それが全ての始まりだった。少女に出会うことで生まれたもの。
それは感情。
それは愛。
それは夢。
しかし生み出されたものに隠されたまま、人知れず成長を遂げたものがある。
『孤独』
それを知らなければ、それに気付かなければ星は穏やかに世界を監視していただろう。悠久の時を沈黙したまま漂っていたに違いない。孤独が星を苦しめた。マリルに見捨てられ、置いて逝かれることを怖れた。
「世界は腐っている。条理は歪み、秩序は失われた。私はそれを生み出すもの達を淘汰し、マリルと永久に生きることを決めた」
星は攻撃の手を止め、私の方を見た。あまりに突然でナオトが前につんのめる形になった。
「マリル。貴女の望みは叶えられるだろう」
「違う、貴方は間違ってる」
「間違ってる?間違ってないよ」
「違うの。私は忍海マリルじゃない。私は滝島カオルのままよ」
私が名乗った時、ただでさえパッチリしたリヒトの大きな瞳が更に開かれた。笑みが崩れ、醜悪な顔になる。
「馬鹿な。日記を読んだのではなかったのか。読めばマリルが再臨するはずだ」
「マリルは再臨を望まなかった。私の中で未来を見据えていく道を選んだのよ」
わなわなと星は震えている。彼は俯いたまま大地に唾を吐いた。
「そんなわけがない。マリルが私を裏切るわけがない。あんなに優しかったマリルが」
取り乱した星は今まで見たことないほど狂人に見えた。頭を抱えて、そこに生えたしなやかな髪をグシャグシャかきむしり、足を踏み鳴らす。その激しい困惑をその場にいる全員が固唾をのんで見守っていた。
「そんなわけがない!そんなわけがない!マリルはいつだって私のことを想ってくれていた」
「マリルは貴方のことを憎んでなかった。貴方の破壊活動に悔やんではいたけれど。止めてほしいという願いを日記に込めて彼女は表舞台から身を引いたのよ」
星はブツブツと何かを呟いている。壊れた機械仕掛けの人形が頭を抱えているように見える。
やがて星は顔を上げて目を細めて私を睨んだ。鋭く冷たい眼光に私の背筋に生温い感覚がよぎる。
「そうか、器のせいだ」
「?」
「マリルが再臨しないのは器が邪魔をしているからだ」
星の瞳が紫色に光っている。邪悪な形相に美しさの面影はない。
「先にお前だ。器にすぎない愚か者よ」
大地の重厚な唸り声が聞こえた。星の怒り、悲しみ、孤独が足の裏から直接伝わってきて私は怖じ気づきそうになる。星は紫色の光を放つ瞳をこちらに向けた。あまりの冷酷な視線に背中に氷の塊をあてたように背筋がゾクッとした