道化と戦士
日本時間で23時。アメリカ時間で午前6時。私達は見知らぬ海岸に立っていた。
まだ太陽が完全に昇っていない静寂の世界。そこには小波の寄せては返す音だけが聞こえる。
私は目を閉じた。星の存在が近いことが分かる。
辺りには誰もいなかった。海岸に沿って続いているアスファルトの街路にも車は1台も走らない。午前6時ならばもう少し走っていてもいいような気がするが、周囲に人の気配は全くなかった。
「星はどこに・・・?」
私はもう一度【眼】で星の位置を捕捉する。集中し知覚することは、耳を研ぎ澄ますのに似ている。相変わらずコンディションは最悪だが、文句を言っている暇はない。
「ここから遠くはない。行こう」
私は犬が捜し物を匂いで辿っていくように、【眼】で感じる気配を頼りにひたすら足を運んだ。それに黙ってナオトは付き従った。
少し海岸から離れ、街の中に入り込んでいっても、決して誰にも会わなかった。思わず、既に避難勧告でも出されて、市民は別の場所にいるのではないかと思うほど静かだった。
歩いていると少し見覚えがある町並みもあった。おそらく5年前に上司とアメリカにやってきた時一時的に滞在していたのがロサンゼルスだった。その時にこの辺りを歩いたのかもしれない。
あまりに誰もいないので、ここがロサンゼルスなのか不安になったが、かろうじて駐車している車のナンバープレートを確認することで、ここが日本ではないことは確認できた。
不穏な空気が立ち込めていた。息が詰まりそうになる。
「体調は?」
突然ナオトが口を開いた。
「おんぶ、する?」
私は首を激しく横に振る。正直言って体調は芳しくない。相変わらず頭痛はあるし、眩暈もするけれど。
「何を言い出すのかと思ったら」
「カオルが倒れたら困るだろ?」
「私は大丈夫だって」
そんな痴話喧嘩をしていると、傍から見れば恋人同士が言い合いをしているように見えるかもしれないが、そこには観客は誰もいない。
歩き続けて数10分。石畳の坂道を登りながら私は何気なく胸に引っかかっている疑問を口にした。
「ノエル、どうしたのかな」
「あぁ・・・」
ナオトは見るからに決まりの悪そうな表情で、その疑問を受け流した。
「何か知ってるの?」
「あれは・・・」
眼が泳いでいて見るからに動揺している。おそらく彼はその答えを知っている。しかし、彼の様子からそれはあまりよろしくない内容であることは確実であるように思われた。
「教えてやれよ、忍海ナオト」
坂道を上がりきった所に見知らぬ男が立っている。私にはその男がコアであるとすぐに分かった。
「サンデ・・・」
どうやらナオトは知り合いらしい。男の名を呼びながら鋭く睨んでいる。彼を纏う闘志が膨張しているのを傍で感じていた。
「あの犬の行く末をキミは知ってるだろ?なんで言わないんだ?」
男は余裕の笑みを浮かべてナオトに問いかける。まるで道化のような男だ。
「まさか、まだ話していないのか。あのことを」
「サンデ、黙れ」
「隠していたのか?彼女には言いたくないのか?」
ナオトは明らかに取り乱していた。少し息を荒くして、無意識に魔法を使っている。彼の起こした突風がサンデに激しく吹きつけていた。
「ナオト、何を隠しているの?」
私は開けてはいけない箱に手を伸ばしたような気分だった。これ以上、開けばそこにあるものは絶望だと既に分かっているのにそれを開けずにはいられない。
「知りたいか。滝島カオル」
「サンデ、やめてくれ」
懇願するナオトの声は弱弱しかった。それがより一層私に不安を植え付ける。
サンデは人差し指をナオトに向けた。
「キミの親父さんを殺したの、こいつだから」
私は息を呑んだ。頭の中が真っ白になる。
「本当なの?」
傍らに立つナオトは小刻みに震えているだけで答えない。私の目を決して見ようとはしなかった。答えはなくても分かる。その問いの答えはYESだ。
「どうして・・・?」
「コアは本来再蝕を繰り返さなければ生きていけないんだよ。ヒトが食事をするようにね。でもそれを拒み続けた場合は数百の命を食い潰すような強制的な再蝕が起こる。キミの親父さんは随分拒食症だったみたいだから、再蝕『される側』にまわる道を選んだみたいだね」
私はショックを受けたけれど、ナオトを責める気はなかった。あの優しい父ならば確かに誰かを糧に生きる道ではなく、自らの命を断つ方を選んだだろうな、と思う。私が危惧しているのはナオトの方だった。
『貴方の父親を俺は心底尊敬していた』
あの初めてナオトに出会った時のことを思い出す。彼はそんな人間を自ら手にかけたのだ。本人の申し出だったとしても、それは彼を深い暗闇に突き落としたに違いない。
そんな重大なことを勝手に、そして不躾に掘り出したこの男に腹が立ってきた。
「何なの?こんなやりかたでナオトを陰湿に傷つけて。どういうつもり?」
「そういうつもりは別になかったんだけど。星に言われて来ただけだよ。時間稼ぎに」
彼は首を横に曲げてポキポキと鳴らした。
「さぁ、ナオト。再戦だ」
いつの間にか彼の手には赤い刃が握られている。まるで夜明けが赤く染まったような形をしている。
「ちょっと。こんな状態のナオトと戦うつもり?卑怯よ」
「戦場で戦意を失うのが悪い」
そう言って、サンデは坂を駆け下り、刃をナオトに突き立てんとする。
一瞬の出来事だった。
ギィンという鈍い音が静寂の世界に響いた。
「ごめん。カオル。後でお咎めは受けるよ」
「?」
夜明けを抜刀し、ナオトは赤い刃を受け止めていた。その瞳は鋭い真っ直ぐな眼光を放っている。
「お前の言うとおりだよ。戦場で戦意を失ったら、戦士じゃないよな」
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