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夜明け

目を開けた。まず目に飛び込んできたのは、青白いダイアリーの仏頂面だった。


彼は赤ん坊をあやすように私を抱きかかえて座っていた。もし仮に彼の腕に抱かれているのが赤子ならば、ヒヤリとする無表情のせいでひたすら泣き喚いているだろう。


「おはよう」


私が他愛ない挨拶を投げ掛けただけなのに、ダイアリーは突然愛の告白をされたかのような動揺を見せた。

目は泳ぎ、ほんの少し頬が赤い気がする。いや、後者は私の思い過ごしかもしれないが。


「どうしたの?」

「貴女に再会できたことがこんなに私を揺るがすとは思いませんでした」


あっけらかんとした様子で私に告げるダイアリーが妙に可愛い。生まれて初めてナイアガラの滝を見た時のように息を呑み、真顔で「これが歓喜という感情ですか」と言うのだから少し笑ってしまう。彼には私がカオルなのかマリルなのかはっきりと判断できているようだった。


次に目に飛び込んできたのは燃えた屋敷の残骸だった。蔦に巻かれた古き館はどす黒く哀れな姿へと変化を遂げていた。炎は全てを巻き込み満足したのか、落ち着いた様子だった。まだところどころに炎がくすぶっている。


プツリと切れた記憶の隙間を今修復しようとしている。私は屋敷にナオト達と入り、ダイアリーに出会った。そして彼が私に日記を読むよう促している間に、まがまがしい夜会が起こった。

私はガバッと起き上がり、周りを見回したがナオト達の姿はなかった。


「ナオトは今眠っています」


私の気持ちを汲み取ったのかダイアリーがそう告げた。


「眠っている?」


この焼けた残骸のどこで眠っているのか。


ダイアリーは緩慢な動きで屋敷の辺りを指さす。20メートルほど離れたところに地面にあの美しい青い刃が刺さっている。モノクロの死の世界にそれだけが息づいているように見える。刀の横で静かに横たわる青年は鮮血でまみれていた。アレは誰だ?


「ナオトは一時的に完全なるコアと化しました」

「え?」

「彼は刀の一部となりました。コアに飲み込まれた、と言った方が分かりやすいでしょうか」


ただでさえ感情の籠もっていない声でそんなことを言われると、他人事を聞いているように思えてくる。しかし、それは現実としてこれでもかと私にぶつかってくる。受け入れろ、現実を見つめろ、と。


「夜会を扇動したコアは強かった。ナオトの力では勝てないと知ったあの刀は彼の身体を奪い、そして勝利したようですね」


私は放心状態で未だ夢から覚めないままのような宙ぶらりんの心を抱いていた。そのフワフワした頭のまま、私は立ち上がる。刀の横で横たわる血だらけの青年の傍に行きたかった。


私を制止するダイアリーの声は確かに耳に届いていたけれど、私には振り払ってでも確かめるべきことがある。私は立ち上がり、数10メートル先の青い刀の場所まで歩いた。頭がガンガン痛んでふわふわの地面を歩いているように足取りがおぼつかない。


私は青年の元に辿り着くと跪き、彼の頬に触れた。その顔は先ほどの日記で描かれていたリヒトにとても似ている。凝固した血が頬にべっとりと付着していることに私は心を締め付けられるような気分だった。

彼は死んだように眠っていた。限りなく最小限の呼吸をしてかろうじて生きているように見えた。


私が青年の顔にかかった黒髪を退かそうと手をかけようとした時、青年はビクっと身体が動き出し、瞳が開いた。思わず私まで過剰に反応してしまう。


「ナオト・・・?」


青年はむくっと体を起こし立ち上がった。背が高い。180センチはあるだろう。彼は黒い長髪を靡かせ、冷ややかな笑みを浮かべながら私を見下ろしている。


「なるほど、お前が滝島カオルか」

「は?」

「ナオトが気にかけている女だろう?」


ダイアリーと出会った時に直感で思っていた。日記でありながらヒトの形を持つ彼のように、コアの形が絶対的なものではないのだとしたら、刀もまた例外ではない。


「貴方はナオトを呑み込んだ青い刀、ね」

「フフ。物わかりの良い人間だ。ここで私を受け入れずガタガタぬかすならば殺していたところだがね」


口調は人を見下すような超然としたものだった。刀の笑みは消えないが、冗談を言っているわけではないだろう。


「ナオトは、私の中で今眠っている。強制的に眠らせたから、いつ起きるかは分からないが」

「強制的に?」

「あのままではナオトは死んでいた。契約者に死なれると私も困る。だから私が主導権を得た。あくまで強制的に」


私は気がつくと言葉を発していた。畏れなど微塵もなかった。


「ナオトを返して」


私の言葉を吟味するように、彼は下唇を舐めた。そして笑った。その笑みはリヒトのものともナオトのものとも根本的に異なるような気がした。


「お前に私怨があるわけではない。すぐに返してやると言いたいところだが、こればっかりは私の手でどうにもできない。ナオトが自分の力で目覚めるのを待つしかない」

「そう・・・」

「しばらくここで話でもしていれば、やがて目覚めるだろう」


彼はそう言って、地面に突き刺さったままになっていた刀を鞘に納めた。

刀は私の想像とは大きく異なる性格の持ち主のようだ。これまで大勢の血を吸ってきた魔剣ならば、もっと荒々しく獰猛で残酷な性格であると勝手に思っていた。


「ねぇ、貴方名前は?」

「名前?私にその問いをする人間は2人目だな」

「名前がないと呼びづらいのよ」


刀はしばらく黙っていたが、やがて口からこぼれるように言った。


「夜明け。私を造った鍛冶屋はそう私を呼んだ」


青い月にも名前があったのだ。なんとなく私はほっとした。


「夜明け、か。いい名前だね」


私は本心からそう思った。この闇に包まれた絶望の世界に夜明けをもたらす者。彼にはそういう名前が良く似合う。

私の褒め言葉に何の感慨もないのか、夜明けは表情を動かすことはなかった。


「お前から見て、ナオトはどういう人間だ?」


夜明けは突如訊ねてきた。


「え?」

「私はナオトの内面を全て知っているつもりだが、外側についてはよく知らない。興味があるんだ」


ナオトの事は知っているようで、実はよく知らない。私が彼に出会ったのは数日前のことだし、日記で幼少時を垣間見ただけで、それ以外のことは分からない。


「私はずっとナオトに守られていた。だから、感謝している」


私は端的にそう告げた。その答えはあまり夜明けの望むものではなかったらしい。だから、なんとなく付け足した。


「彼はきっと優しい」

「そうか」


夜明けは短く頷いた。そしてほんの少しだけ満足げな笑みを浮かべた。


「貴方はナオトの事をどう思ってる?」


逆に聞き返してみる。夜明けは少し黙り込んで思考をあれこれ巡らし、ぱっと口を開いた。


「世界で蔓延る命蝕と夜会に抗うためにナオトは私と契約を交わした。ナオトは私に糧を与え、私はナオトに力を与え続ける。ただそれだけの関係だ」

「本当に?」


私はそんなことないと思うけど、と付け足す。


「カオルは何故そう思う?」

「貴方がナオトを守っているから。いつもそう。今もそう。私がナオトに守られているように、ナオトも貴方に守られている。深い絆がそこには存在する」

「なるほど。ナオトがお前に向けている感情と同様に、私もナオトに同様の感情を抱いているというわけだな」


納得したらしく、夜明けは深く頷いた。私にも不思議と爽快感があった。


「それにしても、ナオトが突然成長したのはビックリしたわ」


私は小柄なナオトの面影を感じさせないほど成長した男を見上げる。


「どうして突然成長したの?」

「ナオトの未熟な身体ではあのコアには勝てなかったからな。私が力を与えたら、こういう形になった」


手を閉じたり開いたりしながら、夜明けは自分の操作している身体の動きを確認している。


「ナオトは半分コアだ。よって基本的に成長することはない。今回のような例外が再びあっては困るがね」


そう言って彼は肩を竦めた。


「おや。意外と早かったな」


突然、何かを閃いたように夜明けは目を見開いた。


「ナオトがもうすぐ目覚めるようだ。お暇することにしよう。楽しかった。人間と話すことができたのは幸運だった」

「私も貴方と顔を合わせて話すことができて良かったわ」

「実は私の姿はコアにしか見えないはずなのだ」

「え?」

「そこの能面のような顔をしたコアには見えているだろうが、ただのヒトには私の姿は見えないはずなのだ。お前は特別な【眼】を持っているようだな」


眼。強い思念を見ることができる心の瞳。


「貴方が思ったより話しやすいってことに驚いたわ」


私が本音を告げると、彼は少し押し黙った。何かを言うべきか躊躇っているようだった。


「どうしたの?」

「私に蠢く命の渦の中に、お前を知る者がいる。深く愛する者がいる」

「?」


腑に落ちない表情を向ける私の顔を眺めながら、夜明けは笑みを浮かべた。考えろ、ということらしい。彼はその場に倒れこんだ。くにゃりと足が曲がり、膝を地面につけたまま動かなくなった。



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