星に見限られた者達
チェキはリヒトのいる一室のドアをノックした。
返事がなくても入っていいと言われているので、彼はそのまま扉を開ける。
白い壁の部屋の真ん中にリヒトが立っていた。
「待っていたよ。チェキ」
チェキは表情を動かさないようにできるだけ注意して、頭を下げた。その一言で、その話し方だけで目の前にいる存在がリヒトではないと分かったからだ。
「どこに行っていた?私はお前をずっと探していたというのに」
「申し訳ありません」
「謝罪などいらない。どこに行っていたのか、聞いているんだ」
目の前にいるのは星だ。リヒトの身体を操る禍々しい存在。自分にとっての「敵」だ。
「ロンドンへ行っていました」
「ロンドン?」
「青い月を滅ぼそうとサンデが勝手な行動を取ったので、それを諌めに」
ここで嘘をつくことは許されない。あくまでチェキは「星に生み出されたもの」であり、その創造主には逆らえないように「創られている」。たとえどんなに憎い相手であったとしても。
「なるほど。青い月がロンドンにいるということは、マリルもロンドンにいるんだな?リヒトは勝手に滝島カオルを日記へと導いたようだね」
「・・・はい」
「日記は確かに彼女に眠るマリルを呼び起こす重要なツールだが、いささか早すぎる。リヒトには勝手なことをした罰を与えよう」
そう言って、星はリヒトの肉体を愛撫する。それを眺めているとチェキの中で憎しみが増長するのを感じた。すぐにでも星を燃やしてしまいたくなる衝動に駆られる。
「どうか、お許しください」
「リヒトは私の器に過ぎない存在。その自覚が足りないようならば、教え込むだけのことだ」
チェキは星が与える罰の過酷さを知っている。というより、星の生み出したコアなら誰もが知っている。あの痛みは想像を絶するものがある。
「だが、身体を傷つけるわけにもいくまい。私が闇雲に作り出した身体ではだめだった。マリルが求めたのは完璧な肉体。それがリヒトだ。もうすぐ完全に私のものになる。夜会により再蝕を繰り返し、多くの魂を得て、彼は限りなく私の身体にふさわしいものとなりつつある」
星がリヒトを奪い去った瞬間、自分の世界は終わりを迎える。チェキは心の中で呟いた。
チェキにとってリヒトがいない世界は、生きるべき世界ではない。
「日記をもうすぐ読み終えマリルが目覚めるというのならば、最終段階に入ろう」
リヒトの顔は歪んだ笑みを浮かべている。
「世界に壮大な夜会を開こう」
「夜会を?」
「壮大な」という言葉に妙な色をつけて星は言った。チェキは嫌な予感がしていた。
「偉大なる私が受け入れられうるだけの力を、リヒトが手にするんだよ。そのためにはどれほどのイケニエが必要かな」
チェキは土下座をして懇願したいくらいに不甲斐無さを感じていた。
これ以上、私の大切な存在を苦しめないでください。弄ばないでください。そんな言葉が頭を過ぎったが口に出せなかった。
「チェキ」
いきなり名前を呼ばれて、チェキはびくりと体を反応させた。
「実は、もうすでにこちらにはミサイルが向かっている。発射したのはアメリカだ」
「?」
「ミサイルがこの国に落ちたら、さすがに優しいこの国も動き出す。国家にはコアという絶大な力をすでに与えた。魔法というすばらしい力を。さて、何が起こるだろうか」
チェキには星の云わんとしていることが分かった。
「戦争・・・」
「そう、最高の夜会だよ。世界でいくつの命が散るだろう」
目を輝かせている星を思わず睨みそうになる。だが、主には逆らえない。
「ひとつお伺いさせていただいてよろしいですか?」
チェキは丁寧に訊ねた。星は上機嫌だったのか、それを許可した。
「貴方は忍海マリルに再会して、その後どうするおつもりです?」
チェキの頭の中にあったこと。それは星の目的が本当に「再会」なのかということ。そうだとすれば、もし戦争が起こってしまっても、犠牲者は増えるもののそれで悪夢は終了する。リヒトが失われることで引き裂かれるような思いをするのは分かっているが、「世界を救いたい」というリヒトの思いは救われる。
「どうもしないよ。忍海マリルと私は永遠に2人きりだ」
「2人きり?」
「マリルは私の傍で一生生き続ける。永遠に。マリルに邪魔な人間達は皆消すつもりだよ。あんなに彼女を傷つけた生き物を私は許さない」
チェキは心の中で溜め息を吐くしかなかった。そこには絶望しかないではないか。
そもそもマリルを傷つけたのは星自身ではないか、と口から零れそうになるが、言葉にならなかった。
星に見限られたヒト達。
その事実を知らない彼らはおそらくこのままでは何も知らないまま消えて絶滅するだろう。
「チェキ。ミサイルが落ちたら、その体に燻っている炎を存分に吐き出すがいい。戦場がお前達兵士を待っている」
星は声をあげて笑った。その声が部屋に響き、何重にも聞こえる。
それに応えるようにずーんという地鳴りが響いた。大気が揺れ、一瞬大地が揺れた。