日記27 ごほうび
「お待ちしていましたよ」
鰐淵は応接間で本当にずっと待っていたようだった。少し不機嫌な顔をこちらに向けてくる。リヒトと喫茶店にいたせいで私は1時間以上も遅刻した。
「申し訳ありません。少し所用があったため遅れてしまいました」
「構いませんよ。ほんの1時間ほど無駄にしただけです」
それならば他の仕事をしていればよいではないか、といいそうになるが堂々と遅刻した私が言うのはまずいだろう。
私は再度頭を下げて謝罪した。
「それにしても、本当に手に入れるとは思いませんでしたよ」
鰐淵は笑みを浮かべている。
命蝕対策委員会の鰐淵とは5年前に青い刀の存在を聞いて以来の再会だった。数日前、私達が日本の拠点としている森の中の集落に彼らは突如やってきた。正確には鰐淵の手下が刀鍛冶の一族の村へ向かおうとして森へやってきた。
しかし、刀鍛冶の一族の村は今は誰もいない。私達はあの悲劇の事件以来、あの村の近くに集落を作り私達は暮らしていたため、彼らは偶然通りかかったのだ。
それがきっかけで私は再び呼ばれて、今ここにいる。
「それで、あの妖刀は今どこに?」
「所持者である桐谷ナオトが持ってます。あの刀は彼にしか使えないですからね」
鰐淵は机に積んだ山のような書類から一冊のノートを取り出し、何かをメモし始めた。
「それで、それを手に入れて、どのように命蝕を止めることができるのですか?」
私は躊躇った。正直に告げるべきなのだろうか。
その青き妖刀で星の邪悪な思念体と闘うのだ、と。
私は一笑する。それを告げる中年女性に彼は何を思うだろう。
狂った女性?
熱心な宗教家?
そしてそれを私が告げたところで、彼らはどう動くこともできないではないか。
そんな私の諦めにも近い考えが浮かんだ時、鰐淵は「話してください」と念を押した。
「あなたの考えていることくらい分かりますよ。私達を信用していない。話しても無駄だ。そんなところでしょう?まぁ、私も過去に貴方を疑い、盗聴器をしかけたくらいですから、信用しろというのは難しいのかもしれませんがね」
鰐淵は調子のよい態度で近づいてくるが、ちゃっかり獲物を狙っている鋭さも持っている。彼はそう言った部分を持っているから、このような立場を任せられているのだろう。
「話してくれませんか?貴方の中に秘めたところで、利点はありません。本当に命蝕を止めたいと思うなら、国家という権力は無駄ではないと思いますよ」
国家という権力。目の前のこの男が、そんな規模の力を動かせるのだろうか。
しかし、彼の言うことも一理ある。私の中に秘めても利点はあまりない。
私は星のことを伏せて、簡単に命蝕の全貌について語ることにした。
「この世界のどこかに命蝕を起こす者がいます。私はそれを殺すために青い月を手に入れました」
私がそう言うと、鰐淵はスラスラとメモに何かを書き込んでいく。まるで事情聴取だな、と思う。
「私は命蝕を起こす者を今探している。でも、それは今姿を暗ましている」
「それではそれを見つけ次第、貴方たちはそれを殺すというのですね」
「えぇ」
「それは何者ですか?」
やはりそうなる。そこまで話してしまえば、そういう話になる。
「大丈夫ですよ。桜が言葉を発した時点で私には覚悟はできてます」
覚悟?何の覚悟だ?
「世界の裏側を見る覚悟はできています」
鰐淵の真っ直ぐな瞳は以前に比べ、疲れを秘めていた。5年間、わけの分からない現象に翻弄され、如何に苦労を積み重ねてきたのだろうか。鰐淵の髪は明らかに白髪が増えている。目尻には皺が増えた。彼の苦労は計り知れない。
私はしばらく考えた末に彼に告げた。
「私はそれを『星』と呼んでいます」
「ほし?」
「それは自らを『星の思念体』と呼んだから。それは身体を持たない。姿は見えない。でも私には幼い頃からそれの声を聞くことができたのです」
鰐淵は笑うわけでもなく、驚きを隠せない様子だった。「続けてください」と私に話を促した。
「星の話から推測すると、命は魂とその殻に分けられる。星は自らの身体を求め、多くの魂を食らい続けています。一方で残された殻は全て核となる者に与えられ、コアとなる。それが命蝕の全貌です」
私は妙な罪悪感に駆られていた。それ以上話してはいけない、と頭の中で警告を出している自分がいる。
「今。魂を食らい続ける星の肉体がどこまで完成しているのかは分かりません。完成した時、星は私の前に現れると宣言しました」
「どういうことですか?」
「星は私に身体を見せたいだけ。それだけの目的のために命蝕を起こしているんです」
鰐淵はそこでようやく笑みを取り戻したようだった。
「星は貴方に恋をしているわけですね」
星が恋?私は思わず顔をしかめる。
「誰かのためにむちゃくちゃなことをしてしまうのは恋の鉄則です」
いい年の男が言うと、妙に説教臭くなるな、と思った。
「しかし、それでは星の肉体が完成するのを待つしかない、ということになりますね」
「そうです。しかし、それがいつなのかは分からない。ヒトの一生からは想像もつかないような途方もない時間の可能性もある」
自分で口にした可能性だが、あまりに残酷すぎた。私は目の前が暗闇に包まれているような感覚に陥る。
「私はね、実は今日クビになったんですよ」
私は最初、鰐淵が突然冗談を言い放ったのだと思った。彼は笑ってはいるが、瞳にはじんわりと涙が滲んでいるように見えた。
「成果のないこの命蝕対策委員会は今日で解散です」
「鰐淵さん・・・」
「どう考えても私達に辿り着けないものでしたね。今日貴方の話でそれが分かりました。推理だけでそんなファンタジーに辿り着けるなら私はスーパーマンだ」
1時間もこの部屋で何もせずに私を待っていられたのは、もう彼は「仕事終わり」だから。代わりに行う仕事もないからだ。
「私がやってきたことは無駄だった」
彼は白髪交じりの頭をぽりぽりと掻いた。私はこの男のことを決して好きではないが、この時は必死にその言葉を否定した。
「そんなことありません!」
「?」
「私が星を滅ぼす力を持つ青い刃に辿り着けたのは貴方のお陰です」
鰐淵は口をポカンと開けたまま、私を見つめている。
「先は真っ暗だけど・・・貴方が導いた青い月の光のお陰で、まだ私達は歩きだせます。だから」
だから、そんなこと言わないでください。最後は言葉にならなかった。
「ありがとうございます。その言葉は何よりのご褒美ですねぇ」
鰐淵は滲んだ涙をすっと拭き取り、笑った。
日記編はもうすぐ終わります。もう少しお付き合いください。