日記23 里帰り
私達が日本に戻ってきたのは、リヒトの提案から1週間後のことだった。
子供達は年長者のタータに任せて、国に残してきた。その方が絶対に安全だ。すぐに帰ることを約束し、私達は日本にやってきた。
成田に到着し、私達は真っ直ぐに村に向かった。
奇妙なあの森を5人で進んでいると、途中でリヒトが足を止めた。
「どうしたの?」
「僕が行ってくるからマリル達はここで待っていてほしい。ここから先に行けば、僕らの縄張り。銃弾がいつ飛んできてもおかしくないからね」
2年前の村を訪れた時のことを思い出す。あの時、銃弾を無情に放ったのはリヒト本人ではないか、と思うが、敢えて口には出さない。余計なことを言って機嫌を損ねては厄介だ。
「話をしてきてくれるってことか?」
ハルキさんが問うと、リヒトは頷いた。
「俺も行きたい!」
傍らに立っていたナオトが立候補したが、リヒトに呆気なく却下された。
「お前は、マリル達と一緒にいるんだ。もし、村のやつが来たら、ちゃんと説明しろよ」
「村の人がここまで来るの?」
「稀にね」
リヒトは笑みを浮かべる。彼は胸で大きく息を吸い、深い溜め息を吐いた。
「じゃあ行ってくるよ」
彼は身軽に森の奥に駆け出していく。彼の背中はすぐに木の陰で見えなくなった。
「ナオトは久しぶりの里帰り、嬉しい?」
マリルが訊ねるとナオトは少し困ったような表情で首を傾げた。
「あんまり。たぶん怒られると思うし」
弱弱しい口調でそう言うナオトは子供にしか見えない。多感な時期で、子ども扱いを嫌がるナオトには申し訳ないが。
「でも、俺達が自分で決めたことだから、マリルは責任を感じる必要ないよ」
どうやら、私が責任を感じていることは分かっているらしい。リヒトに聞いたのだろうと予想する。
「それにここに留まる気はないんだ。俺達、まだやることいっぱいあるし」
「やること?」
「悪魔をやっつけるんだよ。刀を使えるのは俺達だけだしね」
刀と唯一語り合える兄弟達。確かに、彼等の力は必要となるだろう。
「そういえば、マリルさ、兄貴のこと・・・」
ナオトが何かを言いかけた時、近くの茂みでガサっと音がした。
「誰?」
ナオトが鋭い語調で訊ねると、茂みの向こうから目を丸くした中年の男が姿を現した。
「ナオトか?」
「あ、トールさん」
トールさんなのか、トオルさんなのかは分からないが、彼はナオトの知り合いのようだ。彼は足早にナオトに近づき、彼を太い腕で抱いた。
「ナオト!どこに行ってたんだ」
「俺達、ちょっと外の世界を見てみたくて・・・彼女達と世界を旅してたんだ」
私はその感動の再会の様子を眺めながら「やばいな」と思っていた。間違いなく怒りの矛先は私達へ向く。子供達をたぶらかし、拉致した悪者だ。ただでさえ疑心暗鬼な彼らならば尚更だ。
しかし、トールさんが私達に向けた視線はそう言った類のものではなかった。少なくとも怒りや恨みなどの負の感情は含まれていないように見えた。
「お久しぶりでございます。忍海さま。彼らがお世話になったようですね。ありがとうございます」
「え?」
感謝の言葉を述べられているのに背筋が妙にぞくぞくする。私達は来る村を間違えてしまったのではないかと思うほど仰天したし、拍子抜けした。
「あの・・・」
「貴方達が来られ、リヒトとナオトがいなくなり、我々はいろいろ会議を繰り返しました。2年前は我々には貴方達を歓迎する準備ができていなかった。でも今は違います。命蝕のことも、青い刃のことも出来る限り協力させていただこうと村民で話し合ったのです」
驚いた。こういう展開は全く想像していなかったのだ。私は間抜けなほど口を開き「はぁ、どうも」などと言うことしかできなかった。
「リヒトはどうした?」
トールさんが訊ねるとナオトは無邪気な子供のように答えた。
「先に行ってるよ」
「そうか。ならば話は早い。どうぞ。村長にお会いくだされ」
ナオトはニコニコしているだけだ。私達は顔を思わず見合わせ、言うとおり足を進めるしかなかった。
私達が村へ行くと、閑静な村が一変して活気に溢れている。
家屋に隣接している畑で水をやっている老父や、広場で話をする婦人達など、これまでの村からは考えられないほど変貌を遂げている。
「気持ち悪いな」
先ほど先に行ったはずのリヒトがいつの間にか私達に合流していた。
「こんなの、今までにないよ」
「嬉しいじゃない。活気が出たのよ?」
「嬉しくないなぁ」
リヒトは黒髪に片手を突っ込んで頭を掻いている。困り果てた、という感じだ。
「村長に会いに行くんでしょ?さっき話を軽くしておいたから」
「ありがとう」
「行こうか」
リヒトの表情は固い。勿論、私もとても緊張していた。
村の奥にある社は何も変わっていない。そびえたつ建物からは威厳のようなものが漂っている。私達は扉をノックした。以前はあんなにも重く感じた御堂の扉が、勝手に開いたと思うと、目の前に2年前と同じ村長が立っていた。
「ようこそ。お待ちしておりました」
無表情なのは相変わらずだが、彼の声は穏やかだった。2年前と異なり棘はない。
「中へ、お入りください」
私達は促されるままにお堂に上がった。
「この子達が随分お世話になったようですね」
村長は緩やかに話し始めた。私は思わず「いや、あの・・・」と弁解しそうになるが、その前に村長が助け舟をだした。
「分かっております。貴方達を追ってこの子達が村を飛び出したのですね?好奇心旺盛に育ててしまったのがまずかったのでしょう」
村長は初めて照れるように笑った。
「育てた?もしかして貴方は・・・」
「この子達の父親です」
リヒトたちは村長の息子だったのか。しかし、あんまり似ていない。母親に似ているのかもしれないなと推測する。
「あれから我々も反省しました。刀を守ることに執着し、外に目を向けないことは恥じるべきことだと。遠路はるばる訪ねて下さったのに、私達はそれを拒むことしかしなかった。人間として最低の行為です」
頭を下げる村長に私は思わず「顔を上げてください」と言っていた。
「私達も不躾にお願いに上がって・・・。申し訳ありませんでした」
「いえ。私達は貴方達に協力することをみんなで決めていました。そして貴方達が帰ってこられた時、歓迎することも決めていました。どうか、2年前のことは水に流して下さいませんか」
懇願する村長に私は頭を下げた。
「是非力を貸してください。私達には貴方達の協力が必要です」
村長は満足げに笑みを浮かべた。そして手を差し伸べた。
「勿論です。これから共に歩んでいきましょう」
私は迷わずその手をとり、握り返した。