わがまま
チェキがロンドン郊外の蔦の館に辿り着いた時、そこに立っている人間は誰もいなかった。
そこには人の抜け殻のような洋服が散らばっているだけで、その主は既に誰もいない。
しかし、そこに誰もいないわけではない。
そこには黒髪の青年の姿をしたコアが立っている。
「リヒト様」
チェキは思わず声をあげる。目の前の青年は自らが仕える主の姿に酷似していた。青年は青い刃を握り締め立っている。その足元には気絶したまま突っ伏している仲間のコアであるサンデの姿があった。
「今処刑中だ。邪魔するなよ」
青年は歪んだ笑みを浮かべた。違う。彼はリヒト様では決してない。彼はこんな歪んだ禍々しい笑みを浮かべたりしない。一瞬目の前の存在が『星』である可能性を考えたが、これまでの経緯から考えると先ほどまでサンデと激闘を繰り広げていたのは忍海ナオトなのだから、目の前の青年は忍海ナオトであると考えるのが自然だろう。
ナオトと思われるコアは握り締めた刃を振り翳し、サンデを貫こうとする。
私は思わず「力」を使った。
体内で燻っていた炎が飛び出し、獰猛な獣のようにナオトに襲い掛かった。
一瞬声をあげたものの、青年は炎の中で動かなくなった。ゴミ捨て場の壊れた玩具のように。
すぐに冷静さを取り戻したチェキは炎の中で佇むナオトを救出し、衣服についた炎を消火した。
ナオトは意識を失っており、静かに眠っていた。
「どういうことだ?」
チェキは頭の中を整理する。
今、自分の腕の中で眠っている青年はおそらく忍海ナオトであり、リヒト様に非常に酷似している。彼の体にべっとりと付着した凝固した血液から考えると、相当な激闘が繰り広げられていたと考えられる。一方で、そこにうつ伏せで意識を失っているサンデに傷はほとんどない。サンデが一方的に攻撃し、彼は圧勝するはずだった。あくまで、途中までは。
おそらく何かが起こったのだ。
何かが引き金となり、これまで「人」であった忍海ナオトが、突如「コア」へと変化を遂げた。
彼の身体能力は飛躍的に上昇し、戦況は一変した。そして、そこにチェキが現れたというのが彼の予想だ。
「おい、サンデ。起きろ」
チェキがサンデを揺さぶると、彼はうっすらと目を開けた。「いたた・・・」と頭を抱える様子は暢気なものに思える。
「私はお前を運ぶ気はないぞ。さっさと起きろ」
「チェキ・・・?」
「反省しろ。お前は勝手な行動をしたんだからな。これ以上あの方の心労を増やすな」
サンデは思いつめた表情で俯いたままだ。
「でも・・・オレ、リヒト様がいない世界なんて耐えられないよ。このままじゃ、リヒト様はこの刃に飲み込まれて死ぬ。チェキは平気なのか?」
平気なわけないだろう。チェキは無表情のまま心の中で呟く。しかし、自分が傷つこうが錯乱しようが、「リヒト様の意志」は最優先事項だ。彼が「死ね」と言えば死ぬし、彼が「殺せ」と言えば殺す。それがたとえリヒト様本人だったとしても。
それが彼の生き方であり、彼のアイデンティティだった。
彼が選び取れうる数少ない生き方のなかから選び取った道だった。
当然、サンデもそのことは分かっている。彼はすぐに「無意味なことを訊いたな」と質問を撤回した。
「今は滝島カオルの中に眠るマリルを目覚めさせている最中だ。星を滅ぼす計画の第一段階。それをお前のエゴでグチャグチャになれば、リヒト様の覚悟はどうなる。お前があの方に害するものとなるならば、私は許さない。リヒト様はお前を許すとおっしゃっているが、次同じようなことがあれば、私がお前を再蝕して消滅させるからな」
凄みのある眼でチェキが睨み、サンデは思わず息を呑んだ。コアのナンバー2であり、いつもクールな彼が今は感情を剥きだしにして怒っていることにサンデは事の重大さを感じた。
「ご、ごめん」
「分かればいい。で?何があった?」
サンデは首を竦め、首を傾げた。
「最初は余裕だったんだけど、あいつ、急に成長してさ。何かめちゃくちゃ強くなったんだよな。別人みたいだった」
「二重人格?」
「さぁ?リヒト様といい、こいつといい、複雑な兄弟だな」
体に付着した泥を払いのけながら、サンデは立ち上がった。
第46部「裏切り者と声」の続きになっています。
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