日記21 約束
次の日、私達は村を囲う森を探索していた。暇を持て余していたというのもあるが、まずは彼等のことを知ろうということでその周囲を観察することにした。
結果を先に言えば、特に得られたことはない。水源が極めて澄んだ水であるということ、森が如何に入り組んでいるかということ、そういった大した進歩のないことしか分からない。
次に彼等の家を訪問した。しかし、私達が家をノックしても声をかけても彼らは出てこない。偶然外で出くわした人間も逃げるように小屋に入ってしまう。
彼等の説得は極めて困難なことであると実感した。
その日の夜、再びリヒトが御堂を訪れたのは日が暮れてまもなくのことだった。
「リヒト、どうしたの?」
リヒトは息を切らして立っている。昨日のような穏やかな微笑みはそこにない。
「ここに留まっていてはいけない」
リヒトは何かの呪文のようにそう告げた。
「何?」
「ここにいてはいけないんだ」
彼の表情は真剣だった。背筋がゾクリとするほどに。
「ここにいてはイケニエにされる。大人達はお前達をイケニエにしたいと言ってるんだ」
「?!」
脳裏にあの消えた仔牛が浮かんだ。青い刃に捧げられる尊い命。私は思わず、静かに糧を待つ呪われた刃を見た。
「早く行こう。逃げよう!」
「でも・・・」
「お前達が消えたら、元も子もない。そうだろ?」
私はリヒトに手首を摑まれ、引っ張られる。思わず足が動いた。
「ナオト!」
リヒトが叫ぶと、扉の裏で忠犬のように静かに佇んでいた少年が近づき、ハルキさんの腕を掴んだ。
「行こう!」
小柄な少年に手を引かれ、ハルキさんも御堂を飛び出した。ハルキさんからすれば、大した力ではなかったが、少年に手を引かれたことで「手加減」が無意識に働いたのかもしれない。私達を追いかけるようにしてノエルも駆け出す。
「大人達に見つかる前に行かないと手遅れになる」
リヒトの弟であるナオトは彼に比べ、随分幼く見えた。リヒトは20歳付近だとしても、ナオトは10代前半に見える。本当の年は知らないが、背が低く童顔であるがゆえ、より幼く見えるのだ。
私達はなされるがままになっていた。自分でも何故かよくわからないが、少なくとも私は突然の警告を受け入れた。私達は多くの犠牲の上にたつ咎人であり、世界のために命を投げ捨ててでも「青い月」を手に入れなければならない。その使命を果たすためには、死ぬわけにはいかない。
森で出会った青年と彼を慕う少年の手に引き摺られるようにして、私達は森を飛び出した。あんなに村に来るのに時間がかかったというのに、帰りは一瞬だった。
あそこから脱出する時は必死だったにも関わらず、森の外に出ると急に罪悪感が湧いてきた。
逃げ出してしまったことに対する恐怖がじわじわと湧き上がってくる。
「結局、青い刃は手に入れられなかったわ・・・どうしよう」
私は頭を抱える。放心状態のハルキさんもノエルも同じことを考えていただろう。
「説得なんてできっこないよ。少なくともお前達には」
リヒトが汗を拭いながらばっさりと言い切る。
「あいつらが、外の理由を受け入れるわけないんだ。大人達はいつもイケニエのことしか考えてないんだから」
リヒトの言葉に横でナオトが頷いている。
「青い刃が暴走しないように、作物を捧げる。それでも怒りが鎮まらなければ仔牛を捧げる。それでも無理なら、人間を捧げる。僕達はそうやっていつも生きてる。やむを得ず村民がイケニエになるなら、あいつらは舞い込んだ部外者の命を捧げるさ」
「ひどい・・・」
「あぁ。ひどい。僕達は咎人なんだ。外の世界のことも何も知らずに、与えられた使命のために命を捧げて黙々と生きている」
リヒトは思いつめた表情で、背後に広がっている深い黒い森を眺める。
「それなら・・・どうして助けてくれたの?」
私が問うと、リヒトは硬い表情を和らげ、微笑んだ。
「世界を見てみようと思って。命蝕がどんなものか、それが何を生み出したのか。世界の危機に挑むお前達の姿を僕達に見せてくれよ。本当にあの刀が必要だと分かれば、僕達が大人達にかけあってあげることを約束するよ」
自信満々に「かけあう」と言うこの青年にどれほどの発言力があるのか疑問だ。その思いを先読みしたように、リヒトはさらに続ける。
「僕達兄弟は刀の所持者だから、大人達もなおざりにはできないだろうし」
「刀の所持者?あなたたちが?」
リヒトもナオトも目を丸くしている。
「え?兄貴、言ってなかったの?」
「そうみたいだな」
少し恥ずかしそうに笑うリヒトの笑顔はいつもより幼く見えて、弟のナオトととても似ていた。
「今、アレの声を聞けるのは一族で僕とナオトだけなんだ。だから僕達が刀の所持者となっている」
『星』の声を聞く者が私で、『青い月』の声を聞く者はこの兄弟。そういう制限がなければ幾分も世界はいい方向に進むのに。
「ねぇ。で、どっちいけばいいの?」
傍らに立つナオトがハルキさんの腕を引っ張りながら訊いた。
第24部「出立の日」を読むと、また少し裏側が見えます。
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