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日記14 お母さん、ごめんなさい

雀が鳴く声で私は目を開けた。眠りはしなかったけれど、これだけで充分に疲れがとれる。まだ外は薄暗く皆眠っていたけれど、私はこっそりと顔を洗い小さな鞄を片手に宿舎を出た。


「忍海マリルですが」


国立研究所の窓口で私が名乗ると、白いマネキンのような受付嬢が「どうぞ」と言って、そびえ立つ透明の自動ドアを遠隔操作で開けた。おそらく国の機密事項がここに詰まっているため厳重に守られているのだろう。


私は更に奥に進み病院の一室を切り取ってくっつけたような診察室に案内された。採血、細胞採取、尿検査。まさに健康診断に来たような錯覚。違うのは針を刺す時に「チクッとしますよ」と言われないことくらいだ。作業員は皆無機質な仮面のような顔をして、私を囲んでいる。


検査を終えて私は与えられた控え室で待機していた。検査にはかなりの時間を要したらしく、検査からおよそ8時間後に私の前に鰐渕が現れた。


「随分お疲れのようですね」


私にそう言う鰐渕は疲れた笑顔を浮かべながら部屋に入ってきた。鰐渕の手元には広辞苑くらいの分厚いファイルと難しそうな書籍があった。


「こんなとこに半日押し込められてたら疲れますよ」


私は皮肉をこめて彼に言った。


「そうですね。なかなか検査が難航しまして」

「へぇ。で、結果は?」


鰐渕は一瞬の躊躇をしめしてから首を横に振った。私は笑みを浮かべる。結果は分かりきっていたことだけれど。鰐渕は負け惜しみを言った。


「こちらとしては確信があった。そうでなければ貴女が生き残った理由がない」


確かにいい線を突いていたよ。私は心の中で呟く。容疑者の尻尾を掴むために必死で格闘していたのだろう。しかし、データとは無情なもので残酷なほど明確に数値で答えを出してくる。苦悶の表情を浮かべる鰐渕に私は尋ねてみる。


「どうするのですか?これから」

「また1から探すしかないでしょう。世界の脅威を野放しにはできませんから。あらぬ疑いをかけて、すみませんでした」


コアは世界の脅威である。しかし私には安直にそう考えることはできない。


夕方に差し掛かっていたけれど私は約束通り、花見に行った。総理官邸までは鰐渕の黒いセダンで移動した。総理官邸から少し歩いたところにガードマンが数人立っていて厳重に警護されている。そしてそのガードマンのいる場所から10分ほど歩いた所に美しい青の花びらを散らしている桜の木があった。


「鰐渕さん。少し離れていてもらえませんか」


引率していた鰐渕は小さく頷き、私から30メートルほど離れてくれた。里親の消滅を受け入れる時間を与えてくれたつもりなのだろう。しかし私はその理由だけでここに来たわけではない。

私は桜の木に近づいて幹にそっと触れた。


「あなたが言葉を話せるということは分かってる」


私は小声で桜に語りかけてみる。コアは話せる。それは人間を呑み込んだノエルを見ていたらわかる。桜はしばらく沈黙していたけれど、やがて枝を小さく風に揺らしながら答えた。


「貴女は何者ですか?ただの人間のくせに変わった空気を纏っている」

「私はマリル。あなたのいうとおりただの人間よ」


桜には勿論瞳がないが、私を見定めているような雰囲気があった。


「なるほど。こんなに私がざわめくのは、私の一部が貴女の母親だから、ですか。マリル」


桜は全てを悟ったようにゆっくりと息を吐いた。その吐息は風となり私の伸ばしたままの髪を靡かせる。


「私はヤヨイと一つになりました。彼女がそれを望んだから。彼女が永遠を求めていたから。ヒトの女と同化することで私には感情が生まれました。感情とは訳の分からない煩わしいものです」

「それでも感情は人間にとって必要なものよ」


私は幹を丁寧に撫でながら言った。気がつくと手が震えている。喉元に引っかかった言葉がなかなか飛び出してくれない。


「ヤヨイは怒っていませんよ」


桜がぽつりと言った。私は不意に顔を上げる。桜には心を読みとる能力でもあるのだろうか。


「ヤヨイは貴女を手放したことを後悔していました。そして貴女への罪の意識を抱いていました」

「罪の意識?」

「貴女に大いなる使命を課して、辛辣な災害に巻き込んだことに彼女は酷く落ち込み絶望していました。全てを失った彼女がここを訪れた時、私は彼女に声をかけました。そして長い長い時間語り合ったのです」


私の心に太い釘を打ち込まれる。養母がそこまで私を思ってくれたことに感動し、そして落胆する。


もう彼女の実体は失われたのだから。


「私は貴女がここに来ることが分かっていました」

「何故?」

「私は夢を見たから」


『夢を見ていた』と呟いたハルキさんと重なって見えた。これを人はデジャヴと呼ぶのだろう。


「夢?」

「貴女がここにいた。そして知らない少年が2人貴女を挟むように立っていました。一人の手には青い鋭い刃が握られていて私はそれにより浄化される。妙にリアルで鮮明な夢でした」


青い刃?私が引っかかったのはそれだ。


「青い刃があなたを殺したというの?」

「そうです。しかし夢は夢。貴女は少年を連れていないし、ここには青き刃も存在しません」


桜が見た夢はおそらくアレに干渉することで垣間見えた未来だ。青い月と青い刃。関連しているのは間違いないだろう。私が桜に面会した真の目的は夢の内容を聞くことだ。


「他に見た夢は?」

「ありません。ヤヨイは私の夢の内容を聞いて私との同化を求めました。私といれば離れてしまった貴女に会える、と」


私は桜の幹から生える弱々しい小さく細い枝を見つけた。その枝を指でつつくとくすぐったそうに左右揺れた。


「マリル。私には分かります。世界は何かしらの大きな意志により変わろうとしている。そしてその礎となるのが私達コアなのでしょう。変化を拒むならば、私達は消すべき存在です」

「そうね。分かってる。でも私はコアが悪いなんてどうしても思えないの」

「しかしその貴女の揺らぎが生命を脅かすことを忘れてはいけません。星の意志で世界が変わるように、貴女の意志でも世界は変わります。それほど世界は脆く不安定な状態に今あるのです。青い刃が不死なる我々を滅ぼす唯一の手段ならば、貴女はそれを見つけ私を貫くべきです。私は貴女を憎んだりはしない。穏やかに解放されるだけです。世界を蝕む存在として産み落とされた私を解放してくれるのは貴女しかいません」


窘めるような口調だった。母親が世界のルールを子供に教えるような優しさがあった。


「ありがとう。貴女はお母さんみたいね。本当に私のことを想ってくれているみたい」


私は思ったことをそのまま伝えた。


「もし私が語り合えぬ者だったならば、風に枝を揺らし花を散らすだけの存在だったならば、そこには愛も憎しみも存在しなかったのでしょうね。貴女とヤヨイが私にそれを教えたのですよ」


桜はそう囁き口を閉じた。もう今日は話さないと心に誓ったように沈黙した。風に花びらが舞い、それがあまりに美しくて私はその様子を目に焼き付けていた。


「お母さん…」


呼びかけたところで返事がないことは分かっていた。しかし何も言わずにはいられなかった。


「何もできなくて、ごめんなさい」


瞼が熱くなり自然と涙がこぼれてくる。私の目の前の水彩画のような世界に水を垂らしたように滲んでいく。肩を揺らし嗚咽がこみあげる私の後ろ姿を遠くで鰐渕が眺める奇妙な絵面が出来上がっていた。


「忍海さん」


夕日が沈む間際に鰐渕は私に声をかけた。随分長い間そこに佇んでいたけれど鰐渕は忠犬のように私の帰りを待っていたようだった。


「もう日が沈みます。そろそろお暇しましょうか」


私に声をかける鰐渕が幾分か優しく見えた。養母の消滅に涙を流す女に、気を遣ったのかもしれない。涙はとうに乾いていた。さようなら、お母さん。心の中でそう呟いて私はその場を後にした。道中、鰐渕は私に何も尋ねることはなかった。黙って2人で大通りまで出て、鰐渕のセダンに乗り込んだ。


「何を話されていたのですか」


車内でハンドルを操作しながら鰐渕が私に問う。


「何を?あぁ…恥ずかしいところをお見せしましたね。母と話していました。これまでゆっくりと話せなかったので」


しおらしい演技は我ながら100点だったと思う。しかし真相を知る者に対する演技ならばどんなに巧妙であっても意味はない。


「桜があんなにお喋りだとは知りませんでした」


唐突に鰐渕が言い、その言葉に私は凍り付いた。


「何を言ってるんですか」


私がしらばっくれていると、鰐渕は彼の右耳の中に入っていた小さな小型の機械を取り出した。すぐに察した。盗聴機だ。


「青い刃。貴女が求める力はコアを消す力のようですね」


鰐渕は表情を変えずに正面を向いたまま運転し続けている。鋭い瞳は信号を見るものでは決してない。また再び私から何かを掴もうとしている眼だ。


「興味がありますね。非常に。私が青い刃の在処を知っているから、尚更です


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