ある夜の話
彼は朽ちた黒い街に佇んでいた。
炎により飲み込まれた澄んだ空気の代わりに、濁った重苦しい大気に満ちている。
火をつけた人間はいない。火をつけられた骸は廃墟に転がっているだろう。
「いる」
何かが蠢いているのは分かった。それが命の成れの果てであり、自分の標的であることは間違いないだろう。
彼は身につけていた刀を鞘から抜いた。収められていた刀身は不自然なほど鮮やかな青で、妖しくも美しく艶やかにその輝きを秘めている。
「夜会」の跡地には高い確率でコアが訪れる。
死が満ちている場所は彼らにとっての食事の場だ。
死に群がるコアはごみに群がる都会のカラスよりもタチが悪い。
そして今回も奴は現れた。
知性、理性より本能に忠実な奴なのだろう、と彼は判断する。
彼は辺りを見渡す。全焼の家屋を見るとそこで死んだヒトの無念が伝わってくるようで、自分の無力さを感じた。握り締めた刀が彼自身に語りかけるように淡く輝いた。
「それ」はやがて闇の奥から姿を現した。
4本の長い触角と小さな目をコロコロと動かし、彼を観察している。全長は分からないがマンホールくらいの幅があり、蛇のような長い身体をうねらせている。
「同じ匂いがする」
彼の頭に「それ」の声が聞こえた。人間の男性の太い声だった。
「お前も同胞か」
更に激しく身体をうねらせ、喜びを表現する。知能は低いが、何らかの感情は抱くようだ、と彼は脳に記録する。こんな醜い生き物に同胞と呼ばれる自分の運命を呪いたくなる。
「あぁ。お前と同じ、コアだ」
少年は端的に答えた。それが正確には嘘であることは知っていたが、何のお咎めも感じない。「それ」は満足そうに頷き彼を眺めていた。
「お前はリヒト様に似ているな」
「よく言われるよ」
少年は苦い顔をして笑う。リヒト様、か。
「リヒト様ほどではないが、お前は美しい」
「それはどうも」
「なんだ…つれないな。何か話せよ」
調子のいいやつだ、と彼は思う。そしてほんの少しの哀れみと悲しみを覚える。すぐ別れが訪れるからだ。
「君に質問がある」
少年の声が響きわたる。
「お前が大好きなリヒト様はどこにいる?」
「なんだ。仲間になりたいのか」
大きな勘違いをしている生物に苦笑しながら、少年は続ける。
「質問を変えよう。リヒト様は陰で何をしようとしてる?」
「それ」は楽しそうに笑った。表情は分からないが、そんな気がした。
「お前は賢いみたいだな。興味がある」
目が妖しく光り、友好的な態度は一変した。興味がある、というのは、お前を喰いたい、と言う意味だと理解する。安直だな、と心の片隅で思う。
「質問に答えてくれよ。俺は君の答えに興味があるんだ」
少年が催促すると、「それ」の口が開いた。ぱっくり割れたその口は大きく、人間なら丸飲みに出来そうだ。
コアは能力を求める。
更に進化し、生き残るためだ。彼らは野心に満ち、空腹だ。
小さく少年は息を吐く。
そして握り締めた青い刀を振りかざし、襲いかかる目の前の口に突き立てた。
「それ」は耳に突き刺さるような仰々しい叫び声をあげた。少年の白い肌に向かって赤い血潮が飛び散ると同時に、薄緑色の鋭い光を放ちながら、その生き物は悶え続けた。
「オシミ…だったのか」
ようやく声になった言葉がそれだった。
「残念だったね」
冷たい少年の声がこだまする。慰めるように優しい穏やかな風が彼らの間を吹き抜けた。薄緑色の光は青き刀に溶け込むように消え、そこには不動の亡骸と血潮の痕だけが残った。
少年は刀を鞘に収めた後に、顔に付着した粘性を帯びた赤い血液を手で拭い、亡骸を見下ろす。
「リヒト様、か」
彼は呟き、「それ」に背を向けた。そして焼けた黒い廃墟に一瞥してから眼前に広がる暗闇の中へと消えていった。