日記11 絶望と小春日和
2度目の命蝕の後、私は日本にいた。
何のために来たかは自分でもよく分からなかった。
私が日本に来たところで、終わった命蝕をなくすことは出来ない。
きっかけはノエルの言葉だった。
ノエルはハルキさんが核となり、命蝕が起こったと告げた。
何故そんなことが分かるのかは不明だが、ノエルがふざけてそんなことを言うとはどうしても思えなかった。
1度目の命蝕の時は比較的日本は落ち着いている方だと言えたが、今回はそうもいかなかった。
前回と同様にグラウンドゼロの被害は絶大で、今回の日本でも数百人が一斉に消滅したらしい。
そしてその中心に立っていたのが滝島ハルキ。
つまりハルキさんである、とノエルが言ったことは聞き捨てならないことだ。
空港を出てノエルが埼玉に行くように指示を出したので私はそれに従いタクシーに乗った。
犬はダメだよと言われること承知だったけれど、治安が荒れている今の状況が人々の外出欲を損なわせ、タクシー界の不況を呼んでいたらしく、渋々ながら許可してくれた。
タクシー内に無線が大音量になったのを契機にノエルに話しかける。
「本当にハルキさんなの?どうしてノエルは分かるの?」
「分かるんだ。理屈抜きで」
有無を言わせぬ力があった。
彼がそう言うならば仕方ない。
とはいえ信じたくなかった。
ハルキさんは今どんな気持ちでいるのだろう。
頭の柔らかい彼ならばきっと命蝕がいかにファンタジーに基づくものか分かっただろう。
それを知った時の絶望の深さを私は知っている。
「すいません。急いで下さい」
私がタクシーの運転手にそう言うと、彼は無言のままアクセルを踏み込んだ。
着いたのは夕刻だった。
ノエルの指示でタクシーを降りると、小さな森があった。
そしてその入り口には森の番人が住んでいそうな古い木の小屋があった。
窓一つない小屋は何かの倉庫にも見える。
「ここにいるの?」
「間違いないよ」
私は恐る恐る小屋のドアに手をかける。
近くで見ると木が腐っていて、かつて蜘蛛の巣だった糸がビロビロと巻き付いていた。
「ハルキさん?」
小さく声をかけてみる。
正直に言うと、こんな所にハルキさんがいるとは思わなかったし思いたくもなかった。
緩やかにドアは開き、外の光が一斉に小屋へ入り、中を照らした。
「これがキミの秘密だったんだね」
穏やかなさざ波のような懐かしい声が聞こえる。
小屋の壁に凭れ座っているのは、まぎれもなくハルキさんだった。
「は…ハルキさん」
ハルキさんの眼は虚空を見ている。
「あんなに求めていた答えの犠牲がこんなに重いなんて誰が想像しただろう」
「ハルキさん、しっかりして」
墜ちそうな意識を細い糸一本でなんとか保っているという感じだった。
私を見ているようで彼は私を見ていない。
「無駄だよ」
私の足に寄り添うノエルが言った。
「核になった者は、自我を見出すのに時間が必要なんだ。今、滝島ハルキの中には数万の生物の意識の欠片が混在している。そこからかつての自分の記憶を基に新しい自分を形成する必要がある。今この男は闘っているんだよ。僕もそうだった」
ノエルは哀れむような目でハルキさんを見ていた。
「それでもこのままにしておくわけにもいかないわ」
「じゃあ病院に連れて行くかい?精密検査なんてされた日には滝島ハルキは拘束され研究サンプルに早変わりだ。マリルが一番知ってるだろう?」
私はハルキさんの腕を肩に回しなんとか立たせた。
「だったら宿に行く。田舎の汚い宿なら特に目立たずにハルキさんを休ませることが出来る。来る時に小さな民宿があったわ。そこへ行こう」
最悪の再会に私の心は沈んでいた。
しかしただ沈んでいては廃人のようなハルキさんを立ち直らせることはできない。
この時はただ必死で、大人の男だろうとなんだろうと担いで歩けるくらいの力が湧いていた。
ハルキさんを背中におんぶして、歩き続けて1時間すると、とても繁盛してるとは言えない小汚い民宿があった。
宿の正面にベニヤ板に筆で書かれた民宿「小春日和」の文字が妙に滑稽に見える。
こんな切迫した世界でそんな気分になりません、と憤るわけではないけれど、明らかにそんな世界には有り得ない空間のように思われた。
「すいません」
引き戸を開けて、呼び鈴を鳴らすと奥の方で「はーい」という元気の良い返事が聞こえた。
外装と同様に粗末な内装だったけれど、私の予想に反して奥から登場したのは余生を細々と暮らす老人ではなく、恰幅の良い中年女性だった。
「すいません。連れが気分が悪くなっちゃって。少し休ませてやりたいので部屋を一室借りられませんか」
私がそう言うと、女性はすぐに私を宿の奥へ案内しようとした。
「あ、あの…」
「分かってるよ。犬は足を拭いてくれたら、部屋に入れても構わない。この辺りは野犬が出るから外で過ごすにはあまりに可哀想だ」
女性のサバサバとした早口な口調はこんな長閑な田舎に似合わないような感じがした。
そう思いながらも犬に入居を許可してくれる寛大さには感謝するべきだろう。
「ありがとうございます」
女性は私をじっと見つめてから、にっこりと笑った。
私は4畳ほどのこじんまりとした和室に案内された。
壁にはベニヤ板が無造作に貼り付けられており、畳にはところどころシミのようなものが見えるが、この際民宿の汚さを嘆く必要はない。
それでも綺麗に掃除されており、いつでも客を迎える準備をしていた彼女に敬意を払うべきだろう。
「布団は押入に入ってる。自分でやってね。また様子見に来るよ」
彼女は壁にめり込んだように存在している襖を指さし、その場を去った。
一般的に評価するならば接客態度は悪い方だと思うが、無用な詮索は受けたくない私にとっては非常にありがたいことだった。
ハルキさんを一旦壁に凭れさせ私は布団を敷く。
畳のい草と押入の埃臭い匂いに少し懐かしさと安堵を感じ、じわじわと日本に帰ってきたんだなぁと実感が湧いてきた。
「世界は随分変わっちゃったね」
私が布団を敷きながら呟いた。
「マリルのせいではないさ。気に病むことはない」
「私のせいだよ。分かってる。でももうくよくよしない」
「そうか」
布団の上にハルキさんを寝かせる。
掛け布団を被せる私は母親にでもなったみたいだ。
ハルキさんは未だに別の次元に存在しているように思われた。
眠りながら何かをぶつぶつと呟いている。
「青い月が見える」
ハルキさんがそう言ったのは聞き間違いではと思う。
青い月。
一体いつになればその姿を現しこの漆黒の闇に包まれた絶望の世界に光を照らしてくれるのだろう。
待っていてはいけないのかなとぼんやり思う自分に、その通りだと頷く自分がいる。
私しか知らない最大のヒントを活かすのは私しかいないのだから。
ハルキさんが目覚めたら青い月の手がかりを探してみよう。
そんなことを考えながら、気がつくと私はうとうとと浅い眠りに誘われていた。
読んでいただきありがとうございます。
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