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日記10 走り続けることを決めた代償

私は既に20歳を迎え成人になっていた。


命蝕が起こってから6年が経ち7年目を迎えようとしている頃だった。


かつての私ですら感じた悲劇の風化はいい意味でも悪い意味でも確実に進行していたけれど、世界を旅しながら身寄りを失い希望を失った人間と向かい合う分には十分に命蝕の爪痕が残っていた。


私は孤児としばしば出会った。

両親が目の前で消滅したショックで口が利けなくなった子供や、どうやってこれまで生き延びてきたのか分からないような親なしの野生の子供が多数存在した。私は彼らに出来る限りの教育を施した。


とは言っても私に身に付いた教育はあくまで中学2年生までの浅はかなものには違いないので、彼らの教育が決して充分なものとは言えなかった。

しかしいつの間にかノエルは常人にはないスピードで知識を身につけていたので彼が私をサポートしてくれた。


私は既に四カ国目にあたるタイにいた。


命蝕など過去の事件として処理されているようだが、郊外に出るとそうはいかない。

やはり一部の村は閑散としており、命蝕の混乱に巻き込まれたようだ。


当時は激しい暴動のせいで世界中がパニックに陥った。

その中でも東南アジアは他地域に比べても治安が乱れ暴動で大勢の人間が犠牲になった国が多かった。


私は地域住民と協力して潰れた家の撤去作業に取り組んでいた。

孤児が崩れた廃屋に住み着き、そのまま下敷きになる事件が多発していたからだ。


「マリル。少し休んだ方がいい」


この時既に2日間休みなく働いていた私に、さすがにノエルも心配の限界にきたらしい。


とはいえ私の身体は眠りを決して欲しているわけではなかった。

不思議なことに、そして残念なことに私は病院を抜け出して以来、眠れない身体になっていた。

病院ではおそらく大量の薬を飲んでおり、その中の一つが不眠症の薬だったから眠れていたのかもしれない。

今までどのようにして眠っていたのか、その術をすっぽり忘れてしまったようだ。

精神的なものなのか、薬の常用による副作用なのかは分からないが、とにかくどうしようもない。


ここに関して言うと、住民の対応はとても素晴らしかった。

私が呼びかけると惜しみない協力をしてくれたし、日頃から暴動の被害に手を拱いていたようで我々が支援に来たことが分かると厚く歓迎された。


「マリル。ここの穴をセメントで埋めようと思うんだが」


手を止め、汗をタオルで拭き取る私に地域住民の1人が英語で声をかけてきた。

確かに柱の埋まっていた所に大穴が空いていてとても危険だ。


「そうですね。そうしましょうか」


私は笑顔で答える。その様子をノエルが神妙な面もちで見つめている。


私が眠れないことはある意味大きな障害の一つとなった。

睡眠を欲する、ということは身体を休める必要があるという身体のサインだ。

それを感じない私は身体を休めるタイミングが分からない。

やろうと思えば死ぬまで働き続けてしまう。

体調管理という言葉が必須な身体になってしまったわけだ。


しかし一方で私を戒める声がする。

私は前を向いて歩き続けるとそう決めたのだろう?と。


その精神的な部分と身体的な部分の狭間で私はいつもウロウロしている。

これまでも幾度となく倒れたしその度に迷惑をかけてきた。

しかし立ち止まることは何よりの恐怖だった。

休んでいる時はいつも眠れないので、目を閉じてハルキさんのことだけを考えた。


ハルキさんに会いたいと幾度となく思ったけれど、それは私がもっと大人になって胸を張って真っ直ぐに立てるようになってからがいいだろうと思うようにしていた。


近くに立てた仮設テントに足を運ぶ。ノエルは緩やかな足取りで私の後に続いた。


「マリルは働きすぎだよ」


後ろから呟きが聞こえる。


「そうかな。私より働いている人なんてこの世界にはいっぱいいるわ」


私はぼんやりとハルキさんの顔を思い浮かべる。

思い出の中のハルキさんの顔は夕日に照らされ、いびつな形をしていた。


テントの下には見知らぬ少年が座り込んでいた。

不健康にげっそりと痩せており皮膚は日焼けして茶色に染まっている。


すぐに孤児だと分かった。

私は慣れないタイ語で辿々しくも話しかける。

しかし孤児は憂鬱な瞳で私を見つめるだけで何も答えようとはしなかった。


彼らの暗く閉ざされた瞳は皮肉にも私の原動力となった。

孤児の曇り無き閉ざされた瞳は私が生み出した悲しみを具現化し罪の証を突きつけてくる。

そして私がやるべきことに光を当て続けてくれる。


日焼けした少年は立ち上がり、どこから摘んできたのか分からない白い花を私に差し出した。


「くれるの?」


少年は無表情のまま小さく頷いた。

手にとって間近で見ると全く知らない花であることが分かった。


日本にもイギリスにもない、東南アジア固有のものかもしれない。

感謝の気持ち、あるいは友達になろうという前向きな感情によるものだろうと私は勝手に判断した。


「ありがとう」


私が精一杯の笑顔を浮かべると、ようやく少年も弾けるような笑顔を浮かべた。

良かった、と私は小さく肩をなで下ろした。


その時だった。


ゾクッとする冷たい空気を感じ取ったのは。


背筋を氷水が伝うような凍り付く感覚。

そして乾ききった砂漠のような空。


かつて感じた不愉快な歪みを再び感じたのだ。


それに気付いたのは私だけではなかった。

傍らにいたノエルまでも地面に伏せ、見に覚えのない過剰な重力を感じているようだった。


「マリル、この感覚は・・・」


私の脳裏に刻まれた悪魔の高笑いが再び蘇る。


「これは・・・命蝕・・・?」


何故だろう。


胸騒ぎがした。

また悪夢のようなことが起ころうとしている気がする。


「滝島ハルキが・・・」


ノエルが突っ伏したまま深い声で呟く。


「ハルキさんがどうかしたの?」


ノエルは俯いたまま答えた。


「彼は核になる。僕と同様に」


命蝕は再発した。

世界は再び暗転し、混乱の時代を迎えた。


私もまた暗闇の底に叩きつけられたような気がした。



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