表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/100

日記8 追放された男

ハルキさんはあの夜あったことを誰にも言わなかった。


喋る犬ノエルのことも黙っていたし、私があの夜泣いたことも言わなかった。


ハルキさんは夜こっそり侵入するハスキー犬を見て見ぬふりをしてくれる。

ハルキさんは実験で必要な採血をする時には、目配せをして私を笑わせてくれる。

ハルキさんだけが私の心を見ていてくれる。


私はハルキさんに少しずつ心を開くようになった。

ハルキさんは私の語る命蝕以外の話にも熱心に耳を傾けてくれた。


勿論それが実験の一部であろうことは想像できたけれど、あまり考えないようにしていた。


一方でハルキさんは自分のことをあまり語らなかった。

自分が何故日本からこの地へ赴いたのか。日本で何をしていたのか。

彼女はいるのか。


私としては尋ねたいことがたくさんあったけれど、彼には一定の間合いより寄せ付けない雰囲気があった。


しかし2ヶ月後、ハルキさんが自らそれを語る日が来た。


ハルキさんの顔は夕日に照らされ、いびつながらも優美に見えた。


「マリル。今、いいかな」


私は相変わらずベッドの上で寝そべっていた。

私が小さく頷くと、ハルキさんは私のベッドの傍らにある丸椅子に腰掛けて夕日を見た。


「綺麗だなぁ。夕日ってやつは」


「そうですね」


暫くぼんやりと夕日を眺めていると、時間が経つのを忘れそうになる。


花一つない沈黙の病室で夕日を見るのも悪くはない。


夕日が沈むまで私達はそこに佇んでいた。

時々微動だにしないハルキさんがちゃんと呼吸をしているのか不安になったけれど、彼はとても安らかな顔をして一心に空を見ていた。


「俺はマリルと同じ日本人だ。知っていると思うけど」


「はい、知っています」


「俺は3年前まで東京の大きな病院で医者の卵をしていたんだ。でも辞めた。何故俺がイギリスに来て命蝕の研究をしているか分かるかい?」


私は無表情のまま首を横に振る。

その様子を見てハルキさんは柔らかく微笑んだ。


「実は俺の両親は命蝕によって消えたんだ」


「え…?」


「日本では4人が消滅したことが分かっている。そのうちの2人が俺の父親と母親なんだ。別に特別仲がよかったとは思わないけど、なんだか悔しかった。心の中にぽっかり穴が空いてしまうとはこういう感覚なんだなって分かったよ」


ハルキさんは少し俯いたまま胸に手を当てた。


部屋はすっかり暗くなっていたけれど、電気はつけないままだった。


「でも俺は納得出来なかった。なんで意味の分からない命蝕とかいう現象で両親が失われたかなんて理解出来なかった。だから…」


「だからハルキさんはここに来たんですね」


私がそう言うとハルキさんは静かに頷いた。


「命蝕が何たるかを知るために。でもそれももう終わる」


「終わる?」


ハルキさんの表情は変わらず柔らかいものだったけれど、そこには内なる感情が滲み出していた。


「俺は日本に帰ることになったんだ」


自分で喜んで帰国するわけではないのだろう。

ハルキさんの笑顔は完璧だったけれど、声色や目の色で何となく感じられた。


「そうですか」


とても残念に思ったけれど、敢えて顔には出さないように努めた。

あまりジロジロ観察されると、内部まで見透かされそうで眼を逸らしそうになる。


しかしハルキさんの眼は私の眼を捉えて離さなかった。


「俺は頭の回転がいい方ではないけれどある程度のことは考えられる。マリルはマリルしか知らない命蝕の真実を知っている。でもそれを今のところ、口に出来ずにいる。おそらくそれは心の根底に恐怖として刻まれていてトラウマになっているんだろう。仕方がないことだと俺は思う。でもさ、マリルのためにも世界のためにもマリルはその恐怖を見つめ直すべきだ。マリル。俺は日本に帰るけれど、諦めるつもりはない。マリルも恐怖を克服するんだ。諦めないでほしい。キミが出来ることを強い意志を持ってやるんだ」


ハルキさんを格好いいと思ったことは一度たりともないが、この時ばかりは私の冷えきった心臓がバクバクと音を立て血液を送り始め、いわゆるトキメキを感じていた。


真剣な人間の目とは、なんと綺麗なのだろう。


「一方的に話してしまってすまない。でもこれだけは伝えたかったんだ」


ハルキさんは椅子から立ち上がった。

スッと背筋が伸びていて、澄んだ瞳をしている。


「また、会えるといいね」


ハルキさんがそう言った。


「私もそう思います」


私も頷きながら同意した。


後から知ったことだけれど、ハルキさんは「追放」されたらしい。

私の身体をズタズタに切り裂いて探しても、遺伝子を詳細に解析しても命蝕の手がかりは得られないから彼女を解放すべきだと主張したらしい。


ハルキさんは欧米の年輩研究者達に目を付けられた。


異国から来た若造のくせに生意気だと思われたのだろう。


ハルキさんは、私がハーフとはいえ日本人であることを考慮され派遣された人だったらしい。


ハルキさんが帰国すると宣言した翌日の朝、ハルキさんはいなくなった。


それでもハルキさんの代わりがやってきて採血をして、脳波を調べ、口の中の細胞を催促される。


何も変わらない日常の風景。しかし。


私はハルキさんの言葉を反芻していた。


「キミがやるべきことを強い意志を持ってやるんだ」


私に出来ること。

私がやるべきこと。

真実を伝えること。

真実を見つめること。

彼を止めること。

彼を諫めること。

悲しみを浄化すること。

人々を慰め労ること。

罪を償い生きること。


挙げるときりがないかもしれない。

もし私が死ねば、これが無責任に完全にリセットされる。


でもそんなことを決して許したくはない。


私に出来ることは、考えながら行動し続けることだ。


私の心臓は今熱を帯び、収縮と拡張を止めどなく繰り返している。


立ち止まっていてはいけない。

振り向いてもいけない。

業を背負いながらも、ただ一途に耳を傾け、目を開き、語りかけてみよう。


それが私が踏み出せる最初の一歩となるはずだ。



日記編、1/3くらい終わりです。


もしよろしければ是非、一言書き残して言ってください!

おねがいします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ