捜査
カオルは夜会のリーダーと思われる人間を逮捕し、彼の取調べを行う。
その時に飛び出したのは「忍海」という単語だった。
夜会に不気味なものを感じながら、彼女はさらに捜査を行うことに。
私が向かった先は夜会の現場だった。
村の要素を組み合わせたような素朴で小さな街「赤瀬町」は私が住む都市から車で1時間の所にある。森に囲まれたこの街は未だに焦げ臭く、人々の顔色は青白く見える。
部長から手渡された資料によると夜会が行われたのは1週間前で、街外れの住宅街にある民家3棟が全焼、その両隣の民家が半焼だった。そこに住む老夫婦2人と新婚夫妻2人、あとは中年の無職の男が死亡。老夫婦の孫の女の子が意識戻らず重体。この生き残った少女はこれからどうやって生きていくのだろうと思ったりもする。
更に資料に目を通す。
夜会の跡地に必ずある星がこのケースでも存在している。模倣犯の可能性は低い。何故なら世間に流出している夜会の情報は規制されており、本来は星の中に黒い丸が書かれており、周りに謎の異国の呪いが書かれているからだ。
今回もはっきりと書かれていた。まるで黒魔術の現場だな、と思う。
報告書の末尾を見る。
「高橋ヒカル」
高橋が書いた報告書だ。この日は高橋が担当したわけか。
「そうだよ」
急に後ろから声をかけられる。振り返るとベージュの薄手のコートに身を包んだ高橋が立っていた。
「高橋?何で貴方がここにいるの?」
「朝田のおっちゃんの命令だから。今日はお前のサポートだってよ」
高橋の目は恨みがましく私を捉えている。どうして俺が、という声が眼から聞こえてくるのは気のせいではないはずだ。
「後輩ならともかく、同期がサポートってのはやりづらいわね」
「俺だってイヤだよ。・・・で、とりあえず現場に来て何をするんだ?」
高橋は男性にしては長めの前髪をかき分けながら言う。
「まずは報告書の内容の確認。あとは聞き込み」
「まぁ基本だな」
ふてくされた顔をしている高橋はまるで同じ歳の男には見えない。まぁ夜会を嫌悪している彼がここまで追ってきたことだけでも凄いことかもしれない。
私の目の前には黄色の立ち入り禁止のテープ。その向こうには黒く変わり果てた家屋だったものが崩れている。
「お疲れ様です」
テープに寄り添うように警官が立っている。警官は愛想良くこちらを見ていた。前回高橋が訪れているので我々が警察の者と気づいたらしい。
夜会が行われて数週間の現場は警官かそれに代わる者に見張られている。ある程度時が経っても巡回の対象になっている。それほどまでに夜会の情報の流出は警戒されているのだ。
「調査ですか?許可証を持っていますか?」
私は部長に渡された資料と混ぜこぜになった一枚の紙を鞄から出した。
「はい。いいです。ご苦労様です」
私達はテープをくぐり抜け、敷地に入る。鼻を突くような火災現場独特の臭いがする。黒く変わり果てたものは家庭とは程遠いものに見えた。戦地のような悲劇的で不吉な空気が漂っている。
「問題のマークは・・・?」
私が問うと、高橋は黙って足下を指さす。あと1歩踏み出せば踏んでいただろう。赤いペンキのようなもので星が書かれている。
「まがまがしいね」
「まがまがしいな」
主観的な感想を交わしながら、その赤い印を見下ろしてみる。周りに書かれてある不思議な文字を解読しようとしてみるが不可能だった。
「読めないね。何の文字だろう」
「蛮族の文字が俺達に読めると思うか?」
溜め息混じりに言う高橋は明らかにやる気がない。
「蛮族?」
「火を付けて生け贄を捧げるなんて原始的な人間のやることだろ?」
高橋のふぬけた顔から、赤い印へと視線を戻す。あれ…?
私の視線の先にある文字に見覚えのあるような感覚がある。先ほど見ていた時にはあまり感じなかったのだが、急激に脳内で何かが浮かび上がるような不思議な懐かしさがよぎる。私の様子の変化は高橋が見ても明らかだったらしい。呆然と赤い印を眺める私の顔をのぞき込んでくる。
「どうした?」
「いや…」
読めない、読めるわけがないその謎の文字に見覚えがある、と言うことに抵抗があった。相手が高橋なら尚更だ。蛮族にのみ使われる文字に見覚えがあるなど、高橋には異常以外の何者でもない。
「何だよ」
「ちょっと考えごとしてただけよ。それにしてもよく燃えたみたいね」
「ガソリンや他の可燃性物質を撒かれていた痕跡はなかった。何故燃えたのかは不明。これはどの夜会にも共通している」
「山岡雅文は着火方法について詳細に語らなかったわ」
取り調べの時、山岡は首を振り「分からない」と語った。私がどんなに凄んでも、彼はそのように答えた。おそらく詳しい着火方法を語れない事情があるのだろう。リーダーである彼が着火方法を知らないわけがない。
「忍海が関係あるのかな」
「忍海?お前、忍海にやけにこだわるよな」
「忍海が夜会に関係してるのよ。仕方ないでしょ。夜会に参加する人間は忍海に憧れている」
「お前がやるべきことは夜会の現場の調査と聞き込みと書類作りだろ。それ以上のことは特捜がやる」
「あら。私、取り調べもしたわよ」
「特捜のお下がりだろ?書類作成に必要だとかごねちゃったから仕方無しに許可された」
高橋は私のやる気を削るために派遣されたのか?と問いたくなる。同期と捜査すると何故かこうなってしまうのは私のせいでもあるし、彼のせいでもある、と私は思う。
「もういい」
資料をもう一度見直す。間違いはない。不備はない。もう十分だ。
イライラした気持ちを抑えて、私は黒い廃屋を出た。高橋もすぐに後を追ってきた。
とりあえず隣人に聞き込みをしてみることにした。
現場の近くには砂利の広い駐車場があり、その隣に管理人が住んでいると思われる木造の家が建っている。私達は「ごめんください」と大声で家主を呼んでみる。
「はいよ」
家屋の奥から老婆が現れた。夕食の用意でもしていたのか、玄関に秋刀魚の焼けた匂いが充満している。
私達は夜会の捜査で来たことを告げ、彼女に夜会のことについて訊ねた。
「あの日は真夜中にね、外が騒がしくて起きたんだ」
「何時ごろですか?」
「うーん。3時くらいだねぇ。これは前に来た刑事さんにも言ったよ」
確かに手元の試料にそっくりそのまま書かれている。何度聞き込みをしても一緒だ。そう冷静な自分が語りかける。
「あ、そういえばね。刑事さんに言い忘れたことがあったのさ」
「なんでしょう?」
「最初はね、このあたりのやんちゃ小僧がまた騒いでると思ったのさ。でも、何か突然歌が聞こえてきたんだよ」
「歌・・・?」
「そう。初めて聴いた曲だったけどね。なんか、わらべ歌のような、キリシタンが歌いそうな歌にも聞こえたけどね」
歌のことは聞き込みの資料に全く記述されていない。これは収穫のような気もするが、だからどうしたというのだ、と思う自分も確かに存在している。これまでに一切そのような証言が得られていない以上、老婆の聞き違いの可能性だってある。
「関係ないじゃろね。ごめんねぇ。どうでもいいことしか、このババアは覚えとらんのよ」
そう言って老婆は声をあげて笑った。
それに共鳴するように後ろでピリリと携帯電話が鳴った。彼は玄関から出て携帯に出る。
「はい。高橋です」
しばらく彼は沈黙し、相手の用件を聞いている。相手は誰だろう。高橋の表情が曇っていくのが見て分かった。
「えぇ。報告書はファックスで送ります。それでは・・・」
小さくそう言って高橋は電話を切った。
私は老婆に礼を告げて、そこを後にする。戸が閉まった後、私は高橋に電話の主を問う。
「朝田部長?」
彼は不自然なほどビクリと反応し、曖昧に首を横に振りながら「まぁ」とか何とか言って誤魔化した。
詮索する必要性も感じなかったので私は車に乗り込んだ。車の中にまで街にそびえる厚く重い空気が侵入しなかったことは幸いだった。
私は小さく風と溜め息をつく。そしてバックミラー越しに高橋を見る。先程までのやる気なくだらしない様子ではない。急激に彼の周囲だけ重力が変わったかのような変貌振りだ。やがて彼も自分の車に乗り込んだが彼はそのまましばらく思いつめた表情のまま動かなかった。
この時、私は自分の周りで何が起こっているか全く分かっていなかった。
明日は私の誕生日だな、なんて暢気な事を考えている余裕すらあった。翌日から私の運命が予期せぬ方向へ導かれることになるなんて、この時の私に分かるわけもなかった。