日記1 イギリスに行くことが決まった
『今日から私は日記をつけることにする。明日からイギリスに行くことになったからだ』
私はお小遣いで買った太いA5サイズのノートにシャープペンシルで素早く書き込んだ。
どうしてイギリスに行くことになったかについては記さなかった。
その理由を知っているのは大人達で、私には教えられることはない。
昨夜、突然養母に呼ばれて「貴女はイギリスに行くのよ」と言われた。
更に「貴女は全てをソウゾクできるかもしれない」と眼を輝かせながら言われた。
養われている以上、私は言うとおりにするしかない。
しかし一方で、予測することは可能だ。
養母は金を要しており、私に対してそれに関する絶大な期待を寄せている。
「いいわね。お行儀よくするの。貴女は正当なコウケイシャなのよ」
養母は喜んでいた。
突然宝くじを当てたように、喜んでいた。
拾ったただの紙切れが数十億円の小切手だったように喜んでいた。
私は養母が喜ぶ姿に喜んでいた。
貧しい生活を強いられている彼女があんなにキラキラ輝いて見えるのは初めてだったし、私がイギリスに行くと決まった日から彼女は掌を返したように優しくなったからだ。
私には物心ついた頃からたった一人「友人」がいた。
彼は幾度となく私にアドバイスをしてくれたし、悩みを聞いてくれた。
そんな彼だけが私のイギリス行きを反対した。
「マリル、行くべきではないよ。きっとよくないことが起こる」
彼はいつも優しくて、私の大事な存在だった。
でも私は彼の形も名前も知らない。
彼は私のことなら何でも知っているのに、私は彼のことを何も知らない。
小学校に入学した時くらいからようやく彼は私にとって唯一の存在であると知った。
つまり彼が話す相手は私だけで、大人も子供も例外なく彼の存在すら知らないのだ。
「仕方ないよ。私に拒否する権利はないから。私は養母に感謝するべきだし、恩返しだってするべきだもの」
私の言葉に彼は納得しなかった。
彼にとって恩返しという概念は卑小で粗末なものでしかなかった。
彼には私以外の人間に価値を見いだせないようだった。
「マリル、よく考えた方がいい。未来を知っている私が言っているんだ。よくないことが起こるのは必然なんだ」
彼はそう何度も主張した。
でも私には彼の主張を受け入れるだけの力も勇気も持ち合わせていなかった。
狭い4畳の部屋の真ん中で私は大の字になって寝そべってみる。
ここを私の部屋として与えられたのはもう8年前になる。
当時の私はまだ5歳で何も知らない初な子供だったなぁと思う。
もう私はそんなに子供じゃない。
大人では決してないけれど、自らの意志で考えることくらいはできる。
「大丈夫。きっと私、うまくやれると思う」
イギリスに行きたい気持ちはなかった。
まず私にできることは自分に言い聞かせることだ。
私は、なけなしのお小遣いで購入した粗末なノートを小さなリュックサックに入れた。
日記編、突入です!!