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ロンドン郊外の蔦の館

私はロンドン郊外にいた。

イギリスに来たのは初めてのことで、我ながら子供っぽいと思うのだが、その空気を吸うだけで妙な満足感があった。時差ボケさえなければ言うことなしなのに、と思うが、こればっかりは我慢するしかない。


昼過ぎに成田から飛んで着いたのは夜だった。イギリスの都心部は東京とあまり変わらない気がした。

もちろん風景も走っている車も違うが、人々が各々忙しなく目的地に向かっており、雑踏に紛れているところは何も変わらない。


それが少し郊外に出ると様子は変わってくる。広大な麦畑、レンガ造りの家、深い深い緑の森。日本に無いものがそこにあった。


私の横にはナオトがいた。

黒いTシャツにデニムの短パンをはいて歩いている。私の後ろには空港で合流した忍海の男が無表情のまま歩いていた。名前はウィリアム・オーサ。みんなにはウィルと呼ばれている。顔を合わしたのは初めてではなく、最初絆の森で私に銃を突きつけたあの青年だった。ナオトだけでは心許ないということと、2人だけでは心許ないということがあってのことだろう。さらにどういう経緯があったかは不明だがウィルはマリルの家に行ったことがあるらしい。


空港からマリルの家まではかなり遠く、車を店で借りて走らせることおよそ3時間でようやく着いた。

田舎だった。

私の実家も田んぼに包囲されたなかなかの田舎ではあるが、それよりも田舎だった。使われていない井戸が所々にあり、広大な麦畑跡が荒野と化し、その中心に古い情緒ある大きなお屋敷が立っていた。屋敷の壁には野生と化した蔦が絡まっていて、その隙間から白い壁が見えている。


「ここみたいだな」


ナオトも初めて訪れるらしい。妙な緊張感が伝わってくる。


「ノエルの話によると、マリルの遺言に従って送付したままだから、日記はポストに入ったままのはずだ」


錆びた白いポーチを開けて屋敷の前に広がる雑草林に足を踏み入れる。開けっ放しのポーチの蝶番がギギギと鈍い金属の擦れる音を鳴らしながら自然に閉まった。何年間も人を招き入れた形跡のないこの屋敷は主人の帰りを威信を持って待ち続けているように見えた。


「ナオト、明かりがついたよ」


ウィルが流暢な日本語で呟いた。確かに彼の言うとおり屋敷の蔦の隙間から窓が見え、その向こうに明かりが見えた。


「え?」

「誰か住んでいるのか?そんなことノエルは何も言ってなかったけど」


ウィルが首を傾げながら訝しげに屋敷の窓を見つめている。ナオトが険しい表情を浮かべ、鞘から物騒な刀を抜いた。


「用心していかなきゃな」

「そんな刀を握り締めないで。違ったらどう言い訳するわけ?」


もしそれが何も知らない真っ当なイギリス人だったら、我々が武装して乗り込んだテロリストと警察に通報されても仕方がない。先陣きって歩きだしたナオトだったが私の咎める声に足を止め振り返った。


「カオル、覚えておいた方がいい」

「何?」

「俺が刀を構えるときはコアの気配を感じる時だ」


そう言って無造作に生い茂る雑草達をかき分け、彼は再び玄関へと向かった。彼は中にコアがいる、と言いたいのだろう。確か数日前にノエルがコアにはコアの居場所がなんとなく分かると言ったような記憶がある。どういう感覚か私には分からないけれど、確かにその感覚は存在し、だからこそ私の父とノエル達は巡り会えたのだろう。


立ちふさがる雑草を乗り越え、玄関に辿り着く。みすぼらしい白いポストが玄関の横に置かれてあり、所々錆が見え隠れしている。ポストの中は空っぽで、蜘蛛が自らの縄張りにカスタマイズしているだけだった。


「日記がない。やはり誰かいるのか。盗まれたのか」

「後者でないことを祈ります」


私は半分は神に祈る気分でもう半分はヤケクソでそう言った。


「剥き出しの気配だな。リヒトとかルイみたいにコアの気配を隠す術を知らないらしい」


ナオトはそう言い嘲笑を浮かべながら、ドアの取っ手を握った。


「カオルは俺から離れるな。ウィル。背後を任せるぞ」

「分かった。ただし俺はコア専門じゃない。言わなくても分かってるよな」


ウィルは金色の少し癖っ毛のある髪をかき分けながら言った。額には鈍く光る汗の水滴が浮かび上がっている。ウィルは表情が乏しいタイプのようだが、いつもの仏頂面に緊張感が加わっているのが彼をあまり知らない私でも分かった。


ナオトは慎重に取っ手をねじり素早くドアを開いた。中には高級そうなシャンデリアが吊されたエントランスが広がっていた。ひっそりとしていて私にはコアの気配どころか、小さなネズミすらいないような気がした。

少なくとも数年は開いたことのない扉の奥に広がる世界は思いの外普通の景色だった。


古い木の香りを感じたが、それも異常を感じさせるようなものでもない。家具から何から何まで当時のままなのだろう。何一つ朽ちることなく当時の状態を保ち存在していた。

辺りを見回すが何かが動く気配は全くなく、私達まで無機物に成り果てたように息を殺していた。


突然、ナオトがエントランスから天井に伸びる広々とした階段に目をやり、刃を階段の踊り場に向ける。それに反応して私も目をやる。


視線の先には着物に似た真紅の不可思議な衣装に身を包んだ若い中性的な顔をした青年が立っていた。黒髪は長く、束ねているにも関わらず足首まである。眼は紫で不思議な色をしている。

青年は無表情のまま、階段の手すりに手をかけながら、口を開いた。フワフワと浮かび上がり消えゆくような先の細い声だった。


「お待ちしていましたよ。日記を求める者である貴女を」


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