帰路
どうやら青い桜は総理官邸の裏の森にあったらしく、歩いて数分もするとパーティ会場に戻ることができた。
何事もなくパーティは進行しており、談笑に興じる人々で賑わっていた。相変わらず女性陣に四方を囲まれているリヒトは顕在しており、彼が偽者であり、世界に命蝕という名の災厄をもたらす星であると思うと目を疑いそうになる。
ナオトはと言うと、また姿を眩まし行方不明になった。おそらくまた私の周辺を張り込んでくれているのだろう。
「リヒト様にお会いできましたか?」
私に近づいてきたのはチェキだった。
「えぇ。ほとんど一方的にペラペラ話をされただけだったけど」
棘を語調に含ませて私は言った。チェキは申し訳なさそうな表情を浮かべながら少し声を顰めて告げる。
「貴方には隠すつもりはありません。だからこそリヒト様は身を呈して貴方にお会いしたのですから。リヒト様は貴方に次の指示を出されたはずです」
私に出された指示は「マリルの日記を読むこと」だったはずだ。マリルのことはノエルに聞けば分かりそうだ。
頭の中でグルグルと考えている姿を眺めながらチェキは柔らかく微笑んだ。
「お持ちでないならば早めにパスポートの申請をしておくことをお勧めしますよ」
彼はそう言ってその場を去った。私のパスポートは家のタンスの引き出しにしまってあるはずなので大丈夫だ。期限が切れてなければ、の話だが。
やがてパーティは終わり散り散りに皆帰っていった。私も控え室に置いたままのパンツスーツを回収し、その場を後にした。
「ナオト、いるの?」
私は誰もいない帰り道で何もない暗闇の空間に声をかけてみた。返事がないのでいないのかな、と思ったが数秒後に私の背後に姿を現した。
「いるよ」
「マリルの日記はロンドンにあるのよね」
「やっぱり行くわけか」
明らかに呆れた口調だ。
「駄目なの?まぁダメって言っても私は行くけど」
ナオトはゆっくりと首を横に振る。
「いや。別に反対してるわけじゃない」
ナオトは明らかに動揺しているように見えた。兄を憎み続け、その兄が突然予期せぬことを告げたことが衝撃だったのかもしれない。
「日記には何が書かれているのかな」
「さぁ。そんなものが本当に存在しているのかどうかも怪しいが。でももし本当に存在しているとすれば、始まりの話が書かれているかもしれない。俺達とコアの戦いの始まりではなく、更に遙か昔話。命蝕の始まりの話だ」
「ノエルが生まれた命蝕…」
ノエルから以前聞いた命蝕の始まりの話を思い出す。
『命蝕より私は生まれた。そして私から命蝕の歴史が始まった』
ノエルは最初の命蝕により生まれた。ノエルと忍海マリルは命蝕を追って父に会い、彼らは研究により1本の妖刀に辿り着いた。
これがノエルが語ったノエルから見た歴史だ。
やがてそこに2人の仲の良い兄弟が登場する。彼らは命蝕により決別し憎悪と悲哀の感情の元、今夜再会を果たした。
これが私の知る唯一の彼らの歴史だ。
「今、サキが日記について調べてくれている。カオルは帰って休んだ方がいい」
私は歩きながら適当に相槌をうった。
「そういえば…」
私はパーティでの出来事を思い出した。
「そういえばサキの羽須美アキの変装がすごかったね」
「まぁ変装というか、本人だけどね。羽須美アキはサキのペンネームだから」
「え?」
「忍海はいくつもの顔を持つ。政界に通じているものもいれば、マフィアと関係のあるものもいる。政府と通じていれば、いざという時にいろいろと便利だろ?」
忍海が武装集団でありスパイであるというのは本当のようだ。そして、政治やあらゆる方向において様々な力を持つ。
武力だけではなく、世界を動かす力だ。
歩きながら月を見上げようとするが、月は見当たらなかった。
今宵は新月。夜が闇に閉ざされる日だ。
私の行く末も真っ暗だなぁと思いながらチラリと傍らのナオトの横顔を見る。
この少年が刀を握りしめ闘う先にあるものは何なのだろうとか、私が何に向かって歩いているのかとか、父は何故黙って姿を消したのかとか、いろんな思考が一斉に浮かんだが即座に靄がかかりウヤムヤになった。
疲れが溜まっていたのだろう。突如どうしようもない睡魔が私を襲い、私は歩くのと睡魔を隠すがやっとで帰宅し、なんとか自宅のベッドになだれ込んだ。