久しぶりの外の世界
私は朝日が昇る頃何事もなく帰宅した。
ナオトはずっと私に張り付いて警護をするのかと思っていたけれど、私の家の前まで来て「じゃあ気をつけて」と言い残してそそくさといなくなってしまった。いきなりコアが現れたらどうするのだと咎める暇さえなかった。
帰路でナオトに言われたことは2つだ。
護衛が難しいから警察には顔を出すな、ということ。それからパーティの時間まで自由にしていろ、ということだ。知っての通り私は退屈な空白の時間が何より苦手なので億劫な気分になってしまう。
テレビでは緊急放送の映像を検証したり説明したり等、慌ただしくコアについてニュースキャスターが述べていた。突如現れた新生物に人々が動揺しないように丁寧にコアの安全性を訴えた。
「我々は平和と友好を愛する日本人でありたい」等と訴えかけられると、彼らを保護する人間が正義であり、彼らを敵とする武装集団である忍海が完全に悪という世界が築かれることが予想できる。コアは平和主義の名の下に安全な居場所を確保できるわけだ。誰でも受け入れられる優しい国は得てして利用されやすい。
私はその日は携帯電話を充電し、その傍らのんびりと風呂に入りテレビを見るというスローライフを送った。退屈で死にそうになるのは耐えがたい苦痛だったけれど、この状況で自分を多忙に追い込むことはできなかった。
私は日没時に私はタイトなパンツスーツに着替えて家を出た。
ナオトが迎えに来ると思ったけれどそれもなく私は1人で行くことになった。街中会場の首相官邸にはおよそタクシーで1時間ほどかかった。
タクシーの窓から見える景色は今までの日常と何ら変わることはない。慌ただしく道を行き交う人々と世間知らずな若者達でごった返している。
帰宅ラッシュの渋滞に巻き込まれると思っていたけれど、そんなこともなくスムーズに到着したのが意外だった。
「お待ちしていました。滝島様ですね」
私がタクシーから降りると真っ先に茶髪の青年に声をかけられた。彼は無駄のないスマートな体形で黒いスーツを着ていて、見ようによっては接客上手なホストに見えるしとても出来の良い執事にも見える。
「あなたは?」
「私はリヒト様の補佐役のチェキと申します。滝島カオル様を丁重にお迎えするよう言われております」
とても丁寧な物腰だった。自分が急にお姫様になったような妙な感覚になってしまう。
チェキは私の全身を見回し、少し眉をしかめた。
「滝島様。失礼ながら今夜のパーティはもう少し着飾って頂く方がよろしいかと思われます」
「スーツじゃだめなわけ?」
彼は鷹揚に頷く。
「そうですね。こちらへどうぞ」
チェキは私を建物内に誘い、パーティ会場の前を通り抜けて控え室のような小さな部屋に案内した部屋の片隅に黒いサテンの生地で仕立てられたパーティドレスが飾られている。
スパンコールが散りばめられており、所々にビーズが輝いている。純粋に美しいと思ったけれど、この展開ならば彼が何を言わんとしているか予想できる。
「こんなこともあろうと貴方にリヒト様が用意したドレスがあります。どうぞお着替えください」
「こ…こんなドレス着れないわよ!」
私は思わず赤面してしまう。これまでこんなドレスを着たことがないし、ドレスの作りからして肌の露出が多そうだ。
私の頑なに拒む姿を眺めながら、チェキは困ったような顔を浮かべる。
「ルイ」
チェキがその名を呼ぶと私の背後に突如彼女が現れる。ルイは面倒くさそうに頭をボリボリ掻き毟りながら、黒いパーティドレスを手に取る。
「パーティにスーツで来るとか、あんたって女っ気ホントないね。早く着替えて。時間あんまり無いんだから」
ルイはドレスを私に押し付けて不機嫌な顔をする。この女はコアであり、私を何時だって食えるのだと自分に言い聞かせて気を引き締めるが、彼女にはそんな気はサラサラない雰囲気だ。
ただ純粋に私をパーティに出席させるというリヒトの言いつけを守るために動いているようだ。
「着終わったらメイクするから早くしてよ。あと30分しかないんだから」
「あなた、コアでしょ?あなたの前で着替えなんてしたら何されるか分からないじゃない」
「食うならとっくに食ってるわよ」
どうやら火に油を注いだらしい。私の一言でルイの機嫌はより悪い方へ傾いたようだ。
気がつくとチェキはいなくなっていて、部屋は私とルイだけになっていた。
私は渋々黒いドレスに袖を通した。スリットが入っているとはいえ、足首まである長い丈のものだったので足の露出は少なかった。しかし背中はごっそり露出していて肩から腰までは肌が剥き出しになっている。タイトな身体にフィットした私のためにあつらわれたかのようなドレスだ。
私が着替え終えるとルイは素早くメイクを開始し、10分後には見違えるような華やかな顔になっていたので素直に驚いた。長い髪も頭のてっぺんで束ねられ、鏡の前の自分が別の人間に見える。
「まぁこんなもんでしょ」
あまりの手際の良さに私は仰天していた。
「あなた、上手いのね」
ルイは表情を強ばらせ、私に背を向けた。
「コアになる前は美容師だったから」
ぶっきらぼうな口調の向こう側に何か温かいものを感じたが、敢えて言及することは避けた。これ以上火に油を注ぐ趣味は私にはない。
「非常に美しい」
突然何もない空間にチェキが現れた。彼らは消えたり現れたりを自由自在に行うが故にいつも驚かされる。もう少し前振りをしてほしいと思うが、おそらくその要求はするだけ無駄なことだろう。
「リヒト様もお喜びになるでしょう。ルイ、ご苦労だったな」
ルイは赤い髪を掻き毟りながら、無表情のまま消えた。
「どうぞ会場へ。まもなく開始でございます」
丁寧に頭を下げ、チェキはドアを開いた。私は膨張する不安を抱きながら、すぐ近くのパーティ会場に向かった。