ネズミと赤毛と招待状
大ネズミはその大きな口から霧吹きのような細かい黒い粒子を吐いている。あれが何かは分からないが、見るからに有害そうなので極力息をしないほうがいいだろう。
ナオトは青い刀を抜いたものの構えることなく力なく腕をだらんと下げたままだ。刀の刃先は完全に地面に向いている。
ナオトはネズミの姿を観察しながら少しずつ黒い霧へと近づくが、ネズミの方向から吹く風に黒い霧が乗りナオトを覆うので私は不安でたまらなくなる。
この霧が毒ガスならばナオトが卒倒し、次に私が食われるのは間違いない。
真っ直ぐに彼はネズミの方に歩く。およそ30歩進んで彼はネズミの前に立ち直立した。刀は相変わらず下を向いたままだ。
黒い霧にすっぽり覆われたままナオトは動かない。ネズミも霧を吹き出すだけで一向に動こうとしなかったので少年と大ネズミが向かい合う奇妙な絵面が出来上がった。
黒い霧がやがて薄れ始め、ナオトの姿が浮かび上がる。背筋はちゃんと伸びているので霧に毒されたわけではないのかもしれない。
「モモネズミを脅すなんてふざけた真似をする奴だ」
ナオトがそう呟くと、急にピタリと風が止んだ。そしてナオトは刀をネズミの頭上へと向ける。
そこには何もないはずなのに、キーンと言う金属のぶつかり合う音が響いた。
「モモネズミの毒ガスが効かないってことはやっぱりキミが噂のコア使いかぁ」
突然聞き覚えのない女の声が何もない場所から聞こえる。
「見つかっちゃった」
モモネズミの背後に赤毛で短髪の若い女がゆらりと浮かび上がった。女は細身のスラリとした身体に似合わない大剣を構えながら無垢な笑顔をナオトに向けている。
「私、ルイ。はじめまして、だね」
「やけに友好的だな」
ナオトは刀を女の喉元に向けたまま冷たく鋭い口調で相手を咎める。
「だって同じコア同士じゃない。仲良くしたいって思うのは当然でしょ。あ、でもコアはその刀だったね」
「見たところ余裕があるようだが、この刀をそのまま突けばお前は消滅する。分かっているのか?」
彼女は笑みを浮かべたまま青い刀身を見つめている。
「分かってるよ、あなたが言うまでもなく。でも貴方にそれができるかな」
ルイは手に握りしめた大剣でナオトの刀を弾き返し、ヨロヨロとナオトは後ずさる。間に挟まれるようにして立っていたモモネズミはここぞとばかりに一目散に走り去っていった。
「何をしに来たんだ」
「そうね。敵陣に乗り込むにはそれ相応の理由があるよねぇ。知りたかったらさ、ちょっと遊ぼうよっ」
ルイが大剣を振り下ろしたがナオトは素早く避けたので、地面に剣の刃先が刺さった。衝撃で砂が舞っている。
「奇襲とは姑息だな」
「あなたは私の攻撃を予測してたし、私も避けるのは分かってた。こういうのは奇襲とは言わないでしょ」
ナオトは刀を再び構え、ルイの振り下ろす大剣を受け止める。ギーンという金属のぶつかり合う音が辺りに響いた。ルイの大剣は太くナオトの刀の5倍は幅がありそうだ。そんな太い剣を自在に操るルイの筋力は見た目からは想像できない。コアだからできる所業かもしれないと思う。
「すごいね。そんな華奢な刀、分断できると思ったのに」
ルイは息を弾ませ、大剣を振り回しながら言った。
「この刀はコア。簡単に斬られはしないさ」
「そうだったね。リヒト様にも同じこと言われた」
彼女の言葉にナオトが目を見開き、ナオトから生まれた突風が彼女を吹き飛ばした。彼女はそのまま近くの建物の壁に叩きつけられた。
「いてて…」
ナオトはジリジリと歩み寄り彼女の前に立ち、刀を喉元に突きつける。
「遊びは済んだか?」
「そうだね。一応満足した」
「じゃあ何をしにここに来たか教えてもらおうか。リヒトに言われて来たんだろ?」
「そうだよ。でも私がここに来たのは貴方に用があったからじゃない。そこのお姉さんに用があってね」
外野の私に急に視線が向けられる。ここで初めてルイが紅い眼をしていることに気づいた。
「私に?貴方達は私に何をさせたいの?」
「私は何も知らないわよ。リヒト様のメッセージを伝えに来ただけ。一度しか読まないから耳かっぽじってよく聞きなさいよ」
ルイはズボンのポケットから紙切れを取り出した。しばらく紙切れに目を通していたが、赤毛をくしゃくしゃにして紙切れを私に差し出す。
「あー意外に長い…やっぱ面倒だわ。自分で読んで」
私は遠くで戦いを眺めていたが手紙を受け取るために、おそるおそる彼女に近づく。罠を警戒して、ナオトが刀を向けたまま紙を受け取り、私に渡した。
紙切れにはボールペンで書かれた丁寧な字体で伝言が書かれている。
『滝島カオル様
はじめまして。僕は桐谷リヒトという者です。僕は紛れもなくコアですが、混沌の中にあるこの世を救いたいと強く願っています。そしてその目標のためには貴方の力が必要です。貴方は星に選ばれた唯一のヒトだから。そこで貴方と直接会ってお話がしたいのです。勿論貴方に危害を加えたりはしません。不安に思うならば忍海を護衛に連れて来ても構いません。僕は彼らを恐れないし、あまり時間がないので身を呈しても貴方に会う必要があるのです。明日の夜7時から総理官邸でコアとヒトの友好を祝うパーティがあります。僕は貴方を招待します。是非お越し下さい。お待ちしています』
気持ち悪さと好奇心の混じり合った複雑な心境だった。
「読んだ?リヒト様から誘いを受けるなんて最高の誉れだよ。羨ましいな」
そんなこと言われても私はちっとも嬉しくない。
「楽しかったわ。忍海クン。また遊ぼうね」
ルイが柔らかい笑みを浮かべた瞬間には彼女は綺麗さっぱり消えていた。