眼から見たもの
ノエルの話を聞いた後、私は一棟の小屋を貸してもらった。畳の敷かれた4畳の和室で広くはないが整備されていた。畳の匂いが立ちこめているが嫌いではない。警察に謂われのない罪で捕まって、冷たいコンクリートの独房に入れられ、死刑宣告を待つよりは遙かに良い。
「狭い所で悪いけど。まぁゆっくり休んで」
ナオトは私にそう言って小屋を出ていこうとした。私はとっさに声をかける。
「待って」
ナオトは立ち止まり振り返る。
「私はどうすればいいの?一生ここに住むの?私は…」
彼は私の肩を掴んでにっこり笑った。私の肩は恥ずかしいくらい震えていたので、思わず頬が赤くなってしまう。
「いつまでもここにいろ、というわけじゃない。滝島さんの娘であるキミは元から俺達の兄弟だし、ちょっと里帰りしたんだって思っていたらいい。でもこれから変革は激化する。コアが警察を巻き込んだなら、なおさらだ。しばらくはここに避難しておくことを俺はお勧めするよ」
そう言われると、私もそうせざるを得ない気がする。
ノエルと話した後は、さすがに外にいた人々も眠ったようで、ひっそりしていた。
いきなり寝ろと言われても眠れないのが私だ。身体の疲労をひしひしと感じながらも頭の中の混乱と不安がそれを妨げ眠れずにいた。
私はふと何故ここにいるのかを考えていた。
「キミの目的は保護と追及だ」
ノエルにはそう言われたけれど、自分でもよく分からない。父に関わる人間を追ってきたというのが半分で、もう半分は逃げ道がここしかなかったからだ。
ここに来たことが正しい正しくないというのは私には分からないけれど、選び取った道はどこかに繋がっていると信じるしかない。
布団で寝そべりながら、ぼんやりと天井を見上げる。
私は気がつくと森の中にいた。
空には霞がかった満月があった。
そして【私】の周囲の生い茂った木々が各々雄大さを主張しており、月明かりに照らされ艶やかな姿が浮かび上がっている。
「聞いてるのか?」
後ろから声をかけられて振り向くと10歳ほどの男の子が立っていた。直ぐに彼の顔を見て誰か分かった。ナオトだ。面影がくっきりと残っている。
彼は木で出来た桶を持っていて、中には澄んだ水がたっぷりと入っていた。
「あぁ聞いてるよ。喋る犬だろ?」
【私】は答える。
ナオトは素っ気ない態度が気に入らないようでふてくされた表情を浮かべる。
「兄貴は全然分かってないよ。犬が喋るんだぞ。信じられないよ。外界ではそんな犬が流行ってるのかな」
「まさか。大人があれだけ騒いでるんだ。あの犬は特別だろ」
歩きながら【私】は言う。ナオトは短い手足でひたむきに【私】を追いかける。彼の小走りで桶から水が飛び出しこぼれるのが多少気になるが【私】は何も言わない。
「あの犬の飼い主の女見た?異国の人だった。俺、初めて見たよ」
「あれはハーフみたいだな」
「ハーフ?」
「日本人と異国の人との間に生まれた人のことだよ。美人じゃないけどさ、可愛いらしい人だったなぁ」
【私】の両手にも水の入った桶がある。会話から推察するに、どうやら兄弟が水汲みに来ているようで、その帰り道だろう。
私はその【眼】から、限られた視界だけを見ることのみを許されている。
「何しに来たのかな」
「集落を訪れる理由は一つだろう?」
「刀かな?」
「刀だろ。刀の存在をどこで知ったのかは知らないけど」
【私】達は真っ直ぐに暗闇を歩き続け、次第に明かりが見え始めた。
そして【私】は確信に満ちた声で予言する。
「よそ者は拒まれる」
プツリ、と何かが途切れるような音がして、視界は暗闇に閉ざされた。