命蝕と夜会
「命蝕より私は生まれた。そして私から命蝕の歴史が始まった」
ノエルは深い男の声でそう告げた。犬の姿だから表情は分からないが、口調や纏った雰囲気、そして眼光から彼が凛々しく聡明であることはわかる。
「あなたが最初の命蝕の産物であるということ?」
「そういうことになる。そしてそれ以来7年という周期を刻み、命蝕が始まった。キミの父親である滝島ハルキも、彼が30歳の時に命蝕に遭いコアとして生きることとなった。最初の命蝕から7年後のことだった」
私は算数が苦手だが、さすがに単純な足し算引き算ならできる。
「ということは、父は100歳をこえていたということ?信じられないわ」
私は強張った顔の筋肉を引き攣らせながらも酷使して笑うしかない。私が100歳の老人の子であるなんて疑わずにはいられない。
すると壁にもたれかかっているナオトが無表情のまま口を挿んだ。
「コアは歳を取らない。コアとなった時から時間は止まるんだ。老化どころか死ぬこともない。俺がキミより年上であるというのもこういう理由だ」
26歳にもなり、一見一番成熟した私がこの中で一番若いということに違和感がある。
「コアには命蝕の時が分かる。当時英国にいた私も、ハルキが命蝕に遭う前に日本で何かが起こると感じた。だから日本にやってきた」
「犬なのに?」
犬が一匹で飛行機に乗れるのなら、乳幼児ですら一人で飛行機に乗れそうだ。彼のように言語を話せる天才犬であっても、飛行機に乗って彼が向かう場所は日本ではなくサーカスだ。ノエルは少し遠い眼をして静かに答えた。
「私の最愛のパートナーが連れて来てくれたよ」
目の前にいる犬の表情が何か特別変わったわけではない。しかし何故か彼は優しく悲しそうに笑っているように見えた。
「私が日本に着いた時、ハルキは既に多くの生物を取り込んでコアとなっていた。私は彼を捜し出し面会した。ハルキは自らのせいで多くの命を犠牲にしてしまったことに酷く傷ついていた。彼は私と違って、感情豊かな人間だったからね」
「あなたは犬だったから平気だったの?」
「私にとって誰が死のうと誰が悲しもうと興味がないことだ。むしろ私はコアとなりパートナーと長く生きられることを喜んだくらいだ。悲しみの淵にいたのは人間である私のパートナーだ」
ノエルがパートナーと呼ぶ存在は飼い主のことだろうと推測する。そしてノエルがさぞかし飼い主に忠実な名犬であったと想像する。
「ハルキと私のパートナーは深い悲しみを生み出す命蝕を阻止しようとして研究を開始した。私もパートナーのために尽力した」
父親の研究は命蝕に関するものだったのか。あの研究所で父は自分の悲しみと罪悪感に向かい合っていたのだ。
「私達の目的は、世界に起こる命蝕を起こす存在を封印することだ」
「え?」
「君は知っているかな。コアを生み出す存在、つまりは命蝕を起こす存在がいることを」
一般的に命蝕は「自然災害」と扱われている。地震を大ナマズが起こす、というように、命蝕も何者かが起こしているというのだろうか。
もしそれが本当ならば、根源を絶てば命蝕は終わる、ということだ。
「丁寧に教えてもらっていい?」
ノエルは嫌な顔1つせずに丁寧に教えてくれる。犬だから表情に乏しいのが幸いしただけかもしれないが。
「ヒトはその存在を知らない。命を監視する星の思念体。彼は実体をもたず、いつでも私達を見守っている」
なんだか、胡散臭い話になってきたが、とりあえず最後まで聞いてみることにした。
「私達はその神に近い存在を『星』と呼んでいる。ハルキは君に命蝕について、語らなかったようだな。仕方ない。君はあまりに幼かったから。私達はコアを生み出す存在、つまりは命蝕を起こす存在を探し続けていた」
彼の話を聞いていると、まるで地球そのものに意思があり、生き物であるように思えてくる。
「星は生きている。性格が悪くて、極めて自分勝手だ」
ノエルが断言する。妙な重みがあり、説得力があるから不思議だ。
「命蝕を起こすには2つの条件が必要になるらしい。1つは巨大な炎、もう1つは生け贄だ」
ノエルの言葉と夜会のリーダーとして捕まった山岡の言葉がリンクし、二重の声となって聞こえるようだった。
『彼は、忍海の降臨には聖火と生け贄が必要だと言いました』
彼等の証言は一致する。山岡のいう「彼」とは地球そのものだったというのか。どうも信じがたい。
「そこで星は夜会を開いた。星に扇動されるようにして、人々はあのおぞましい夜会に参加した」
「つまり、夜会を起こすと命蝕が起こる、ということ?」
「分かりやすく言うとそういうことだ。正確には、炎による生命の喪失が閾値を越えた時に、星が命蝕を起こせるようになる、ということになる」
「私が取調べした夜会のリーダーは、聖火と生け贄により忍海が降臨する、と言ったわ。どういうこと?」
一瞬、ノエルは目を見開き息を呑んだ。
「それが星の最終目的ということだ。いずれにしろ、今、星の生み出したコア達によって人々が扇動され、夜会は拡大の一途を辿っている。今では毎日世界規模で夜会は繰り返され、命が失われているのだからそれは阻止しなければならない」
話をはぐらかされたが、ノエルはいささか興奮していて早口だったので、その場は見守ることにした。
「しかし一つ問題があった。コアは通常のやり方では死なないということだ。彼らはナイフで刺されようが、銃で撃たれようと死なない。彼らは自らを核として命を吸収し新たに再構築する力を持つからだ。私達はそれを再蝕と呼んでいる。コアは無限に増殖する癌細胞だと考えていい」
なるほど。不死なるもの、ということか。
「そこで私達は日本のある刀に注目した」
「それがこれ?」
この展開ならば子供でも刀がナオトの持つ青い刀であると分かるだろう。私がナオトの腰に下げた刀を指差すとナオトもノエルも深く頷いた。
「この刀は普通の刀ではない。人身御供により作られ、戦乱の世で数えきれないほどの血と憎悪を吸ってきた魔剣だ。この刀は人工的な命蝕により生まれたコアと言っても過言ではない」
「人身御供って生け贄ってこと?」
「あぁ。より強い刀を造るために行うことがあるらしい。コアは貪欲で命を欲する。この刀も同様だ。いつでも命を、血を、憎しみを求めている。この刀が再蝕することで、コアを封じることができる」
彼の話は分かりやすいようで更なる混乱を呼んだことは間違いない。
要するに世界の光の当たらないところで生命がコアに脅かされており、何も知らない人間たちが唆され夜会を起こし命蝕を促進している、ということだ。
しかし・・・。
「忍海に近づきたいと彼らは言っている。結局忍海とは何なの?」
「私のパートナーとその子供達のことだ」
「?」
「私とパートナーとハルキは世界中を旅して、命蝕により消えた命の調査をしていてね、その時に知り合った孤児のことだ。彼らは皆、命蝕により両親を失い、悲しみを抱くとともに、強い使命感を持っていて私達に力を貸してくれている。忍海は私のパートナーの姓でね。皆、彼女を母としてここで生活しているんだ」
私は思わずナオトを見る。彼も孤児で深い悲しみを抱いている。
ナオトは険しい表情ではあるが、悲愴感のようなものは漂っていない。私の視線に気づき「何?」という顔をするが、私はすぐに目を逸らした。
「人々が信仰する忍海とは、私のパートナーのことかもしれない」
「どういうこと?」
「それ以上でもそれ以下の意味でもない。星が躍起になって求めているのは私のパートナーだから」
少し、ややこしいかもしれないです。混乱させてしまったらすいません。