銃口
「着いておいでよ」
忍海ナオトにそう言われてから、相当時間が経った気がする。私は黙って彼の後ろを歩き続けた。歩きながら今し方起こったことを頭で整理してみると、大半を絶望が占めていることに気づく。
私は警察から逃げた。
あの時の判断は間違ってはいなかったと思うけれど、もう戻れないということに不安と悲しみを感じるのは仕方ないことだろう。
そして高橋。彼はどこへ行ったのだろうか。彼も脱獄に荷担したわけだから、通常の生活はできないに違いない。無事に生きていてほしい。心からそう思った。
「忍海・・・さん?」
おそるおそる話しかけると、彼は苦笑した。
「ナオトでいいよ」
「じゃあナオト。いくつか質問があるのだけど」
「ん。歩きながらでいいなら、なんでもどうぞ」
彼の口調は湿り気のないこざっぱりしたものだ。
「何が起こってるのか、さっぱり分からないの。まず、ウサギのことなんだけど…」
「ウサギ?あぁ、キミを襲ってたやつね。あれもコアだよ」
質問は疑問を解決するためのものだと思っていたが、さらなる謎を呼び頭の中をぐちゃぐちゃに混乱させるものにもなりうると知った。
コアがあのウサギで、父もコア、彼もコア。意味が分からない。彼は私の腑に落ちない表情に気づいたらしい。
「コアは命蝕で生まれる。この世にたった一つの命として生まれるんだ。一人一人全く異なる命としてね。凝縮された命の核となる存在、だから総称してコアって言うんだ。さっきのはウサギを核として生まれたし、キミのお父上はヒトを核として生まれた」
「お父さんは10年くらい前の命蝕で姿を消したけど・・・」
「ハルキさんはその命蝕よりはるか前に生まれた。俺が生まれるより前なんだから結構な歳だぞ」
歩いている道は暗闇に吸い込まれているように見える。道は舗装されていない砂利道で、明らかに森に向かっていた。周囲の情景も驚くほど田舎の風景で家どころか畑すらない。砂利道の脇にはだだっ広い雑草が繁茂する空き地があるだけだ。都市部からはかなり離れた所にいるのだろうと推測する。
「お父さんはもう死んだのよね?」
彼は押し黙る。表情からは何も読みとれない。数秒の沈黙の後ナオトは言う。
「そうだね。残念だけれど」
彼はそれきりしばらく口を開かなくなった。二人が踏む砂利の擦れ合う音がリズムを刻むように響いていた。私達は道に誘われるように森の奥へと歩いて行った。
青青と繁った木々が私達を出迎えた。世界に森はたくさんあるが、大半が国の保護下にある。森と言っても庭園のようなもので、役所の人間が定期的に整備に来るため、人工的な森ばかりだ。
しかし、この森は違う。剥き出しの野生の樹海だ。木は自らの縄張りを広げようと壮大な成長を遂げている。隣の小さな木が大木に飲み込まれそうになっていて、それでも懸命に自己主張をしている姿が健気だ。
「この森は・・・?」
「よく気付いたね。そう、この森は国の管理下におかれていない。サムライの時代から、ある理由で管理権を俺達に委ねられているんだ」
「ある理由って?」
「妖刀の監視。これのことだけど」
ナオトは腰に下げた刀を指さす。あの奇妙な青い刀のことか。
「この妖刀は国家の宝だった。でもあまりに多くの血を吸いすぎて普通の人には危険すぎて扱える代物じゃない。だから刀と会話できる鍛冶屋の一族に管理を一任されたんだ」
いろいろなことがありすぎて、頭がおかしくなりそうだ。彼の言うことを信じるとか信じないとか考えることすら疲れてきた。
「キミは信じる?いきなり言っても分からないかな」
「正直、どうかしてると思う。私も、あなたも」
「だよね。でも俺はキミには絶対ウソをつかない。キミのお父上に誓うよ」
強い意志のこもった言葉はこんなに人の心に届くのか。これが偽りの言葉なら、彼は名優になれると思う。彼はふと足を止めて振り返って私を直視した。
「キミは命蝕被害者として謂われのない罪に問われ、居場所を追われただけと思っていると思うけれど、今起こっていることはそんな小さな些細なことじゃない。キミはもう元の生活に戻れない。でもすぐに分かる。キミだけじゃなく世界は全員を巻き込んで、変わる。俺達にできることはその変化に抗うことだけだ」
綺麗な真っ黒な瞳だった。その瞳の奥に秘めた使命を知ることなく、私は頼りなく頷くことしか出来なかった。
枝や草をより分けて歩き続けて1時間くらい経った時、彼は再び振り返り「ここで待ってて」と告げた。
真っ暗な森に置き去りにされることはこの上なく恐怖を感じたが、彼が進む方にうっすらと明かりが見えた。私は小さく頷き、彼の背中を見届けていた。
私は茂みの中でへたりこんだ。
体力だけが取り柄だったのにな、などと呟いてみる。
「動くな」
若い男の声だった。私の背中には硬い筒が押しつけられている。銃だな、と推測する。どうしてこうもいろいろなピンチが誕生日に舞い込んでくるのだろう。
動くなと言われても、もう疲れて動けないのだから安心して、と小さく白旗を揚げた。