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隠れ家にいた少年

月に照らされた廃墟は、幻想的で神秘的だった。崩れた黒い城の呪縛が徐々に解かれ、聖なるものへと浄化されるような神聖さを感じる。


そこに佇む少年もまた美しく、私を金縛りにした。手に青い刃の刀を握りしめた彼は静かに私を見つめる。


「キミが隠れ家を覚えていてよかった」


透明な湖を思わせる澄んだ声が響く。まだ変声期を迎えていないのだろう。


「キミが手紙を読み損ねてたら、危なかったね。俺が思ったよりも早くやつらが動き出したから」


私は目を見開いた。彼のような私の一回りも年下の少年が私に手紙を書く理由が見あたらない。


「訊きたいことがたくさんある」


私が言うと、少年は小さく首を傾ける。どうやら「どうぞ」の意味らしい。


「なんで私がここにいるの?」

「キミが自分の足で来たんじゃないのか?」


訝しげな表情で私を見る少年に、私は首を振って「ノー」を示す。


「気付いたらここにいたの」


少年は周囲をぐるりと見渡し、再度私を見る。


「ここはキミの昔の家だ。キミの家があったところで、さらに詳細に述べるならここは書斎があったところだ」


腑に落ちない表情のまま、彼は言った。灰も残らないこの場所はかつて自分の家だった面影は無い。黒ずんだコンクリートとそこからはみ出している鉄筋が奇妙なほど痛々しい。


「キミが引っ越して数年後に、この近くで夜会があった。キミの家を巻き込んで辺り一面燃えたんだ。警察をやっているなら、ご存知かな?」

「あなたは私を知ってるの?あなたは誰?」


私の問いに数秒沈黙を保ち、彼は静かに告げる。


「俺は忍海ナオト。この名前が世間を騒がしてるみたいだけど」


私はその名前にビクリと反応する。


「忍海・・・?本気で言ってるの?」

「嘘をついてどうするのさ。正真正銘、本物だよ。間違っているのは貴方達だ。忍海を神か何かと勘違いしている。ひどいことに警察に関しては忍海が夜会を起こしていると思っている」

「では忍海とは何?」


彼は私の方へ歩きだし目の前に立った。近くで見ると、より一層美しさが際だった気がした。大きな鋭い目としなやかな黒い髪、月に照らされた白い肌、女性のような華奢な身体。彼は私の顔を見て、無邪気に微笑んだ。


「忍海は俺の名字だよ」

「真面目に答えて」

「正確に言うなら、忍海は悲しみを共にし、世界の変革に抗う血縁無き同志。俺以外にも忍海は存在する」


都市伝説によると「忍海」とは命蝕に対抗できる唯一の存在だったはずだ。彼が本当に真の忍海であり、真実を述べているなら、都市伝説は強ち間違っていなかったことになる。


「あなたはここで何をしているの?」


私が問うと、彼は「迎えに」と短く答えた。


私の頭の中ではまず彼を信じる信じないという2つの選択肢が表示されていた。そして自分でも驚くことに、この時から信じる方に傾きつつあった。安易だとは思うが、彼の人間離れした美しさと神秘的な場の空気だけで信じるに値すると感じていた。


「あなたはいくつ?ずいぶん落ち着いているわね」


彼は小さく首を傾げて、困ったように笑った。


「年齢を聞いているの?生まれて何年か言えばいいのかな」

「そうね」


彼は宙を見やり、しばらく考え始めた。


「忘れた。でも、間違いなくキミより年上だよ。いろいろ事情があってこんな形をしてるけど」


彼は柔らかい笑みを浮かべて私を見ている。態度そのものは飄々としているが警戒しているのか彼の目は私を観察しているように見える。


「何故あなたは私に手紙を?」


訝しげに尋ねる私に、彼は動じることはない。小さく息を吐き、微笑む。


「父親を亡くした貴方のことが心配だったから。貴方の父親を俺は心底尊敬していた」


冷たい風が吹いた。私の顔を凍てつかせるほどの風。


「今、何と・・・」

「貴方のお父さんのことは存じ上げているよ。滝島ハルキさんでしょ」


意外だった。

急に押し込めていた感情や想いで達が溢れ出し、自然と私の頬に一筋の涙が流れていた。悲しみは私の中に消化されずにそのままの形で残っていた。 母は父が消えた後、父は元々いなかったかのように振る舞った。幼い私の心的ショックを配慮してか、それとも自己防衛のためかは母が亡き今となっては分からないが、私はそれが嫌だった。父の存在の証明を握っていたのは私達なのに、それを見ぬ振りすることはあまりに残酷に思われた。父の存在証明は悉く抹消された。こうして喪失の悲しみも歓喜の記憶も心底の泥の中に埋められた。

それを外から掘り出された私の感情は涙としてとめどなく流れ、私の頬を潤した。


「お父上は立派な人だった。コアで、命蝕に立ち向かったのは彼とノエルだけだ」


少年の声は大きな優しさを含んでおり、私の動揺した心に自然と浸潤してくる。


「コア?」

「命蝕の核になる者のことだよ。貴方は命蝕の勉強が足りないみたいだね」


少年は笑った。嘲りや侮蔑の色はなく、足し算を間違えた我が子を窘めるような温かさを含んでいた。

少年にそのようなことを言われることは違和感があった。


「貴方が命蝕をどうにかしたいと強く願うなら、いろいろ勉強した方がいい。そうすれば貴方のお父上が何を為そうとして消滅したか分かる」

「為そうとしていたこと…?」


彼の言葉が正しければ、父が忽然と姿を消したことの原因が命蝕であったことは間違いだったということになる。


「全てを知った貴方はどうするだろう?」


少年は消えそうな笑みを称えながら私に問いかける。


「滝島!」


後ろから急に名を呼ばれ私はビクリとする。振り向くと朝田部長が哀れむような表情を浮かべ立っていた。


「もう逃げられないぞ。お前は機動隊に囲まれている」

「部長・・・」


ジリジリと私に近づいてくる足取りは慎重だった。私が危険な夜会のリーダーと勘違いしているのだから仕方ないだろう。


「もう諦めろ。自首するんだ」


何故彼は微塵も私の疑いそのものを疑わないのか分からない。警察の者で命蝕被害者であるということがどれほど決め手になるというのだろうか。「はめられた」という考えが浮かばない彼が信じられない。

妙に芝居がかった説得はやっても無駄だと実感する。


急に体中に悪寒が走った。振り返ると、目の前の少年の先ほどまで浮かべていた柔らかい笑みは消え去り、代わりにその顔は静謐な笑みで覆われていた。


鋭い視線。冷たい瞳。


「だから警察はイヤなんだ」


少年が乾いた声で呟き私と部長の間に入る。


「なんだ。この子は」


朝田部長は嘲笑を浮かべている。信頼していた人がこんなに憎らしい笑い方をするのがショックだった。


少年は淡々と問いかける。


「お前は本当に彼女が夜会を起こしていると思っているのか?」


部長が萎縮しているのが分かった。こんなに弱々しい彼を見たことはない。


「と・・・当然じゃないか。彼女しか有り得ない。彼女は凶悪な扇動者だ。そもそも・・・お前は何なんだ!」

「俺は忍海。お前達が誤認している忍海だよ」

「忍海だと?笑わせるな。お前が扇動者だと言うのか?悪ふざけはよせ」

「俺が扇動者であるわけないだろう。お前こそふざけるなよ。警察は翻弄されている。命蝕にも、夜会にも、真の扇動者にも」


突然、彼は私の腕を掴み部長に背を向けて駆けだした。あまりに素早い身のこなしに私の身体は反応するのが遅れたが、彼は強引に私を引っ張った。その細い腕のどこにそんな力を秘めているのだと問いたくなる。


「ちょ・・・ちょっと!」

「捕まったら死刑だよ。分かってる?」


部長が手を挙げると、廃墟の瓦礫の裏に隠れていた機動隊が姿を現し、銃を私たちに向けた。


ここは本当に日本なのか?


「捕まらなくても逃げなかったらこの場合死刑だね」


少年は不敵な笑みを浮かべる。この状況で何故笑う余裕があるのだ、と問いたくなる。彼は息を弾ませながら、身軽に瓦礫を伝っていく。機動隊は彼の足を狙い銃を発砲したが、一発たりとも当たらない。


「警察を動かされるとはな。厄介だ。あんまり使いたくはないけど」


少年は足取り軽快に走りながら小さく何事かを呟く。


私にもその時何が起こったのか分からなかった。


急に突風が吹いてきて、私と機動隊の間に竜巻が発生した。

すぐに彼は向き直り走り出した。


私は必死で彼の横で走り続けた。自分でもどれだけ走ったかはあまりに夢中で覚えていない。


やがて銃声は遠くなった。追いかけてくる人の気配も感じないくらいに走り抜けた時、少年は立ち止まり振り返った。


「もう追ってこないみたいだな」


随分長い時間走ったというのに、彼の息は乱れていない。私はと言うと、みっともないくらいへばっていた。


「な・・・なんで警察が・・・」

「警察はもう敵に飲み込まれてる。キミを撃ったのが何よりの証拠だよ。日本の警察が普通容疑者をいきなり撃つか?警察のトップが扇動されたんだよ」

「扇動?夜会のように?」

「そう。夜会のように」


周囲は奇妙なくらい静まっていた。


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