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月に祈りを

その後1時間ほど他愛のない話をしてから、私はチェキと別れて自宅へ向かった。既に街は夕陽に照らされ夜を迎えようとしている。皆が、待つ人のいる家へと帰る時間だ。

独り身の私にはそんな人はいないけれど、不思議と寂しくはない。これまで生きてきて苦痛でしかなかった休息の時間。しかし、そんなただの空白の時間が、重厚で熱をもった何かに埋められたという感覚が今の私には確実に存在している。


私は西日を浴びながら川沿いの道を車で走っている。川の土手でキャッチボールをする微笑ましい親子もいれば、犬の散歩を嫌々させられている少年の姿もあった。平和な日常の風景。窓を閉めきっているが、彼らの声が聞こえてくるように思えるのは私の【眼】に起因するのだろうか。それともあまりに彼らの表情が分かりやすいから?その答えは分からない。

夕陽を反射して、川が黄金色に輝いている。そこにある全てのものがとても尊いものに思えてくる。こうして私達が今生きているのは、それに抗った者達がいるお陰なのだと、知っている人間は少ない。


私は深く息を吐いた。そして「終わり」を噛み締めた。悪夢は終わったのだ。多くの犠牲を伴って。


しばらく車を走らせていると、私は高架下に立っている幼い少女を見つけた。

彼女は三つ編みを両肩に垂らし白いワンピースを着ていた。彼女は川に向かって何かを喋っているように見えた。楽しそうに両手を広げて、はしゃいでいる様子がとても印象的だった。学芸会の劇の練習をしているのだろうか。私は車の速度を少し下げてその愛らしい姿を見て思わず微笑む。


車を走らせて30分ほどして自宅に着いた。あっという間に日は落ちて、太陽の代わりに白い光を放つ満月が姿を現していた。

世界から追放されたあの絶望の夜、私を救ってくれたのは月だったな、としみじみ思い出す。あの月は目も覚めるほどの青い三日月だったけれど。私は世界中に飛び散ったあの青い月に心から祈りを捧げる。


私は車から降りて、ポストを開ける。近隣の携帯ショップのチラシと電気代の請求書と共に入っている薄っぺらい白い封筒を手に取る。差出人の名前は書かれていない。


それでも私にはそれが誰から送られてきたものか分かっている。私は自然と笑顔になる。封筒の中にはB5サイズの白無地の便箋が丁寧に畳まれて入れられている。


『あんまり仕事にかまけるなよ』


端正なシャープな字体で書かれている文字には当然見覚えがある。


「分かってるよ」


私はそのメッセージに吹き出してから、夜空を仰ぎ小さく呟いた。空で一番輝いていた星が、大地へと走り去っていくのが見えた。



   =================================



「何してる?」


森に囲まれた廃墟で崩れた建物に寄りかかり、ぼんやりと夜空を眺めている彼に声をかけたのはコンビニのビニール袋を持ったサンデだった。


「何だ。お前か」

「なんだとはなんだ。随分腑抜けた顔しやがって」


確かに腑抜けている。彼自身、はっきりと自覚していた。彼は空を仰ぎながら訊ねる。


「何の用?」

「あ?」

「こんな所までまさか俺にただ会いに来たわけじゃないだろ?」


長い黒髪を夜風に靡かせながら、彼はサンデの方に視線を向けた。そこに立っているサンデはあの頃と何にも変わらない姿だった。別に緊張しているわけでもなく、威嚇しているわけでもない。ただ、遊びに来たような風貌で佇んでいる。


「約束、だったよな」


ぽつりと呟いたサンデは不敵な笑みを浮かべている。


「約束?」

「何だよ忘れたのか?再戦、するって言っただろーが」


サンデは口先を尖らせ、憤りを顕にする。


「あぁ、あれ本気だったのか」

「当たり前だろーが。そうじゃなきゃ、あの時、お前とそのまま闘ってたよ」

「は。よく言うよ。あのままじゃお前、負けてたんじゃねぇの?」

「うるさいな。お前だろ、死んでたのは」


そんな戯れを充分堪能した彼は、少し寂しそうな笑みを浮かべて手を挙げた。


「無理だよ、再戦は。俺はもう丸腰だからな」


あの日、彼の武器は粉々に砕け、世界中に飛び散ってしまった。勿論、あのような強力な妖刀は失われてしまった方が世界にとってはいいことは分かっている。それでも、彼にとって長年連れ添ってきた相棒が失われたことは少なからず彼の心に空洞を作っていた。こんな気持ちが生まれることを彼自身も想定していなかったし、戸惑っていた。


「なんだよ。つまんないなぁ」


子供のように拗ねた表情を浮かべて、サンデは少し大きめの岩に腰を下ろした。


彼はサンデの来訪の真意が分かりかねていた。サンデが「星が降った日」のことを知らないわけがない。彼の武器が失われたことを知り、闘えないことを知らないわけがない。


「星の支配から逃れられたんだ。贅沢言うなよ」

「まぁね。リヒト様も生きているし、確かに良かったと思ってる」

「じゃあもういいだろ。闘う理由はない」


星がいなくなった今、戦いは終わったのだ。だからこそ刀は失われたのだと、彼は認識していた。もう刃を交える必要はない。血を流す必要はない。彼は肩を竦めてから、その場を去ろうとする。


「ナオト」

「?」

「オレはまだ終わってないと思ってる」


立ち去ろうとするナオトの足が止まった。


「これは終わりじゃない。世界中に飛び散った刀を放置するのか?お前のせいで粉々になったんだぞ」

「はぁ?」


そのような切り口は初めてだったので、新鮮さすら感じてしまう。


「責任持ってちゃんと集めろよ。それで、もう1回勝負しよう」

「……おまえ、ただ喧嘩したいだけだろ」


呆れすぎて声がちゃんと出ない。そんなナオトの様子にも構わずサンデは言葉を続ける。


「約束は守れよ。オレはあの時のお前と戦いたいんだ。そんな腑抜けた顔のお前じゃなくてさ」


真っ直ぐに見つめるサンデの視線に、耐えられずにナオトは笑ってしまった。別におかしかったわけではない。笑わずにはいられなかっただけ。湧き上がる感情が抑え切れなかったのだ。


「なんだよ。オレ、おかしいこと言ったか?」


ナオトは目尻に溜まった涙のようなものを指で除きながら、「言ってない言ってない」と笑い、言う。その様子を見てサンデも安堵したように笑った。照れ笑いのようにも見えた。


「じゃあ、ここで再戦を再約束だ」

「あぁ、わかったよ」

「よーし。じゃあ、誓いの酒だ。飲もうぜ」


サンデは手に持っていたビニール袋から褐色の小ビンを2本取り出す。中身は酒だったのか、とそこでナオトはようやく気付いた。


「もう、子供じゃないだろ?」


無邪気に笑いながら、サンデは1本を掴みナオトに差し出した。酒を口にしたことがない彼は、それを受け取ることを一瞬躊躇ったが、おそるおそる手を伸ばす。受け取ったことを確認して、サンデは満足そうに大きく頷いた。


「自由とオレ達の再約束に」

「青い月と忍海達の健闘に」


手にした褐色瓶を月に捧げるように掲げ、彼らは高らかに言う。


「乾杯!」


彼らはお互い握り締めた褐色瓶の底をぶつけてコチンと鳴らした。その音と同時に、空で一番輝いていた星が、大地へと走り去っていくのが見えた。



今までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


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