処刑からはじまる物語
数千人の視線がマリアに突き刺さる。 王宮の広場。処刑台の上、縛られたマリア・リアネットは、震える呼吸で青空を見上げた。
「これより、マリア・リアネットの罪を断罪し、斬首をもって執行とする」
冷酷な声。見下ろすルイス王子、その隣には白いローブ姿の“聖女”キャサリン。
(――どうして誰も、私の言葉を信じてくれないの?) (私は……私は何も悪いことなんてしてないのに……!)
必死に叫んでも、怒号と嘲笑、信じていた大人たちの無表情。
(父さま、母さま……誰か、誰か、私を助けて)
だが、処刑人は動く。刃が振り下ろされる。
刃の冷たい光が、青空を裂く。
――ああ、これが最期なんだ。
全てが遠ざかるように、マリアの意識は走馬灯のように過去を映しはじめた。
(私は……子供のころから両親に愛され、屋敷の皆に大事にされて育った。春の庭で本を読んだ日も、優しかったルイス殿下も、全部、全部思い出せるのに――)
(あの時、本当はもっと自分の気持ちを言葉にしていればよかった。)
一度でもキャサリンの嘘を疑っていたら。小さな手を握り、縋り付くような心が、そのたびに恐れに負けて何もできなかったこと。
(私、何も守れなかった。家族のことも、私自身のことすら――)
不甲斐なさと、絡み合う後悔に、喉の奥から声にならない嗚咽がこぼれる。
でも、もう遅い。
誰も助けてくれない。
尊厳も未来もすべて奪われる、こんな結末が、自分の全てになるなんて。
…もし、もう一度だけ。
ただ一度、過ちをやり直すことができたなら――
(そんなこと、あり得ないって分かってる。) (だけど、もしも――ほんの少しでいいから、運命が違っていたなら……)
悲しみと後悔の向こう、マリアの魂がかすかに願う。
もし可能なら、次は大切なものを守れる自分でいたかった、と。
――まるで水底から急激に浮かび上がったような感覚だった。マリアは、重さを感じていたまぶたをそっと持ち上げる。視界に飛び込んできたのは、豪奢な天蓋、真新しいリネン、窓から差し込む柔らかな朝の光。
(え……?)
胸がどくん、と早鐘を打つ。体を起こそうとすると、固く縛られた鎖の感触も、焼けつくような痛みもなく、代わりに春の花の甘やかな香りと、シーツのぬくもりだけがそこにあった。
――処刑台の冷たさ、誰にも届かなかった叫び、そこで終わったはずの自分。
あれは夢だったのだろうか。それとも、今が夢の続きなのだろうか。
手のひらを握ると、小さな震えが伝わる。夢ではない「実感」がそこにある。
ぐるりと部屋を見渡すと、机の上に見慣れた鞄と、「ローゼンハイム学園 入学式のご案内状」──
(……学園の、入学式の前日……?)
身体も、表情も、何もかもが“死ぬ前の自分”と同じ。
けれど胸の奥には、消えそうなくらい切実な痛みと、あの絶望の記憶が生々しく残っている。
「お嬢様、お目覚めですか?」
控えめな声とともに、扉ごしに侍女エミリアの声がした。
「……ええ。今起きました…」
喉を震わせて返事をすると、夢ではない現実が、じわじわと自分に満ちていくような気がした。
(あの処刑は、確かに現実だった。痛みも、後悔も、全部覚えてる……でも私は今、生きている)
手のひらを胸にあてて、静かにひと呼吸。
生きている。温もりがある……もし神様がほんの少しだけ私に機会をくれたのなら、今度こそ――
希望と不安、そしてわずかな決意を胸に、マリアはゆっくりとベッドから立ち上がった。