仲間はおかま? #2
翌朝、クロムとラーセンは、扉の閉まった酒場の前でオリーブが来るのを待っていた。
日が昇ってから、もうだいぶ時間が経っていた。
「これって、すっぽかされたんじゃないですか?」
クロムは、訴えるようにラーセンを見る。
ラーセンは、特に気にすることもなく、佇んでいる。
何か考え事をしているかのようにも見えるし、特に何も考えていないようにも見える。
ラーセンが気にしないのならば、クロムも待つしかない。
オリーブがどこから来るかわからないクロムは、通りの右や左にオリーブの姿が見えないか、ウロウロし続けていた。
そしてさらに時間が経ち、もうすぐ昼になるのではないかという頃に、ようやくオリーブの姿が現れた。
オリーブは全く悪びれる様子もなく、二人の元へと近づいてきた。
「お待たせー。ちょっと身支度に時間がかかっちゃってー」
「ちょっと、オリーブさん。朝の待ち合わせの約束なのに、もうお昼ですよ!」
「お昼になっていないっていうことは、まだ朝よ、お嬢ちゃん」
クロムの抗議を、オリーブはさらりと流す
そして、ラーセンに話しかけた。
「えっとー、じゃあ早速廃屋、行っちゃいます?」
「いや、ちょうどいい時間だ。腹ごしらえでもしておこう」
「あらー、それならいいお店知ってるの。一緒に行きましょう」
適当なオリーブをあっさりと受け入れるラーセンに、クロムは一言言いたい気持ちを心に抱く。
それでも、雇い主のラーセンが文句を言わないならば、クロムに文句を言える筋合いはない。
憤まんやる方ない気持ちで歩くクロムの横に、ラーセンが近づいてくる。
そして、前を行くオリーブに聞こえないよう、小声でクロムに話す。
「こういうのはな、常套手段なんだ」
「えっ?」
「ちょっと動揺させて、依頼主の懐の深さを測るってわけさ」
「じゃあ、師匠は知ってて……」
「お前は、顔に出過ぎだ」
そう言われたクロムは、思わず両の手をほおに当てる。
旅に慣れ、人に慣れたラーセンにとっては、当たり前のそれまた以前のこと。
しかし、学生気分の抜けないクロムにとっては、衝撃的な事実だった。
動揺して言葉もないクロムと、ひょうひょうとしているラーセン。
オリーブは目当ての店の前で、そんな二人を手招きする。
オリーブの紹介したお店のランチは、確かに美味しかった。
クロムは、肉団子がたっぷり入ったトマトソースのパスタを食べて、すっかり機嫌が直っていた。
ランチを食べ終えると店を出る。
オリーブに連れられてしばらく歩いて行くと、だんだんとスラムに近づいてくる。
スラムには、さまざまな理由でスラムでしか暮らせない人たちが集まる。
彼らは、真っ当に生活できている人を、拒むような雰囲気を醸し出す。
「さあ、スラムに着いたわよう」
しかし、オリーブはそんな雰囲気を物ともせず、スタスタとスラムに足を踏み入れる。
住人たちは、オリーブを見ると、まるで身内かのように手を振る。
「久しぶりだな、オリーブよお」
「あら、だんなさん。ごめんなさいねぇ、ご無沙汰で」
「いいんだよ。それよりちょうどよかった、かまどの火、つけてってくれないか? 年取ると、腰をかがめるのが億劫でよう」
「お安い御用よ、ちょっとどいててねぇ」
オリーブはクロムが持つものと同じ形の魔法の杖を出すと、魔法陣を描き出す。
魔法陣からは小さな炎が飛び出して、それがかまどに火をつける。
「ありがてえ、助かるよ」
「いいのよお、大したことじゃないから」
それをきっかけに、わらわらとスラムの住人たちがやってくる。
そして、やれ水瓶に水を満たしてほしいだの、道に転がる岩を砕いてほしいだの、頼み事をする。
オリーブは、その度に水魔法や土魔法を出して、問題を解決していった。
大体の頼みごを捌くと、オリーブは手をひらひらと振ってから、また歩き出す。
しばらくはオリーブについて歩いていたが、我慢できなくなってクロムはオリーブに声をかけた。
「オリーブさん、さっきの魔法って……」
「何よう、あたしが魔法使うのに、何か文句でもあるの?」
「いえ、そういうわけではないんですが…」
ちょっと言い淀んでから、クロムは続ける。
「さっきの魔法って、近代魔法ですよね」
「そうよ。それが何か?」
「近代魔法をあんなに気軽に使うは、ちょっとどうかと思いまして」
クロムは、ジュリアード魔法女学園で最初に習ったことを思い出す。
近代魔法は、力のある魔法。
使い方を間違えると、周りに被害を出してしまうこともある。
そのため、使うときは慎重にならなければならないと。
そう習ったクロムは、近代魔法にどちらかというと畏敬の念を感じている。
そんな近代魔法を気軽に放つオリーブは、クロムの理解をやや超えていた。
「別にいいでしょ、たかが魔法よ」
「でも危なくないですか」
「大丈夫よ、ちゃーんとコントロールしているから。どこかの誰かさんのように、力一杯魔法陣を描いて爆発させるようなヘマは、しないわよう」
「な、わ、私はそんなこと」
まるでクロムの普段のユニゾン効果の実技を見ているかのようなオリーブの言い方に、クロムは慌てて言い返そうとする。
オリーブは、そんなクロムの言葉を遮るように笑い出す。
「あら、あなたのことを言ったつもりはなかったんだけど、もしかして図星だったかしらあ」
クロムは、やっぱりこの人嫌い、と思う。
しかしそれと同時に、オリーブの描く魔法陣には興味を持っていた。
オリーブの描いた魔法陣は、いわゆる初級魔法。
しかし、その魔法陣の紋様は非常に細い線で構築されていた。
あれだけ線が細ければ、威力はだいぶ弱くなるだろう。
それでいて、線の細さは均一。
クロムのクラスメイトの誰よりも細い線を、誰よりも緻密に描き切る。
そんなオリーブに複雑な思いを持ちながら、クロムは歩いていた。
スラムの中でも人が集まる場所を抜けると、だんだんと家が少なくなり、代わりに鬱蒼と生えた草が多くなってくる。
ともすると道を見失いそうになるが、オリーブはしっかりと道を見失わずに歩いていく。
そしてしばらく歩いたところで、ようやく目的地である廃屋にたどり着いた。
「はい、到着ー」
オリーブが目的地についたことを、二人に告げる。
クロムは門の外から中を覗き込んだ。
こじんまりとした平屋の廃屋は、人が住んでいる気配は皆無だった。
敷地に入る門は、錆びてボロボロになっている。
門から建物に続く通路に敷かれた石畳は、割れたりかけたりしている。
通路脇の庭は、もう庭と呼んでいいのかわからないほど、雑草で埋め尽くされている。
そして極め付けの建物は、壁の至る所にひび割れがあり、入った途端崩れてしまうのではないかという状態だった。
「ところで、この廃屋は、勝手に入ってもいいものなのか」
しばし沈黙したのちに、ラーセンが切り出した。
オリーブは、首を捻りながら答える。
「んー、いいんじゃないの。ここの住人たちはこんな空き家に用はないし、普通の人たちはそもそもこのスラム街に足を入れないし。勝手に入っても、文句を言う人はいないと思うわー」
「元の家主の関係者は?」
「……さあねぇ。もういないんじゃないかしら」
一瞬オリーブの表情が変わったようにクロムには見えたが、何か聞こうと思う間もなく、オリーブが宣言する。
「さあ、じゃあ中に入ってみましょ。あ、あなた。はしゃいで先走らないように。何があるかわからないからね」
「ちょっとオリーブさん。私、そんなに子供じゃありませんから」
「はいはい、えっと、鍵はどこにしまったかしら……」
オリーブがクロムに、また一言多い注意をする。
抗議するクロムを尻目に、オリーブが門をくぐる。
ラーセンもオリーブの後に続いて歩いていく。
置いて行かれたことに気づいたクロムは、慌てて二人の後を追う。
扉の前に着くと、オリーブはどこからか鍵を取り出し、その鍵で廃屋の扉を開けた。
ぎいぃ、とどこかが軋む音を立てて、扉が開いた。
廃屋の中は、外と比べるとそれほど荒れてはいなかった。
きっと、ずっと締め切られていたからなのだろう。
「だいぶほこりっぽいわねえ」
そう言うとオリーブは、スタスタと奥の部屋へ入っていく。
(先走らないようにって言ったのは、どこの誰よ!)
とクロムが呆気に取られながら振り向くと、ラーセンも手前の部屋に入っていく。
また置いて行かれたことに気づいたクロムは、どちらについていけば良いか一瞬迷い、そしてラーセンの後を追って手前の部屋に入る。
そこは割と広い部屋で、中央には大きなテーブルが置いてあった。
奥にはキッチンらしき場所もあり、どうやらリビングらしき役割を果たしていた部屋らしい。
クロムが部屋を見渡すと、壁に一枚の絵がかけてあることに気づいた。
だいぶ埃が溜まっており、ぼんやりとしか何が描かれているかわからない。
しかし近づいてみると、それは二人の人物が描かれた肖像画だとわかった。
一人は、椅子に座った利発そうな少年。ちょっと緊張しているようだ
その後ろには、やや歳をとった女性。よくみると、椅子に座った少年を見守っているようにも見える。
(ここに住んでいた人かしら。でもこの男の子、何か見覚えがあるような……)
絵に気を取られているクロムを置いて、目当てのものが見つからなかったラーセンは、オリーブのいる隣の部屋に移動する。
部屋を出るラーセンに気がついたクロムは、すぐに絵について考えることをやめて、ラーセンの後を追う。
隣の部屋は、手前の部屋に比べるとだいぶ狭かった。
窓の前に小さな机が置いてあり、その前にはオリーブが立っていた。
壁際には、大きな本棚が一つ置かれて、何冊もの本が立てかけられていた。
クロムが本を手にとって良いかどうか迷っていると、ラーセンはひょいと棚から本を取り出してパラパラとめくり始めた。
クロムが肩から覗き込むと、そこにはクロムが見たことがない魔法陣が記されていた。
「師匠、これって」
「ああ、古典魔法の魔法陣だ」
「じゃあ、ここに住んでいた人って」
「おそらく、俺と同じ古典魔法を使うか、少なくとも興味を持つ魔法使いだったんだろうな」
「師匠の探し物はありましたか?」
目的地について、これだけ本があれば、きっとお目当てのものがあったんだろうと思ってクロムは聞いたのだが、ラーセンはパタンと本を閉じた。
「いや、残念ながら、ここに描かれている魔法陣は、俺が見たことのある初歩的なものばかりだった。おそらく他の本も、装丁から見て同じくらいのレベルの魔法陣が描かれているんだろう」
残念だったなあ、と思ったクロムはふと、机の前に立つオリーブに目を向ける。
オリーブはその手に、本にしては小さな冊子を持っていた。
ちらっと眺めると、その冊子には手書きの文字が書かれていて、日記のようにも見えた。
「オリーブ、さん?」
クロムが問いかけると、オリーブは冊子を閉じた。
そしてラーセンに問いかける。
「ちょっと案内したいところができました。明日もお付き合いしてもらって、よいかしら?」
こちらを向いていないオリーブの表情は見えないが、その声には、先ほどまでのおどけたものではないものが混じっていた。